第9話 それから


 それからしばらくの間、私は、レンの姿が見えないと不安で仕方なくてひどく取り乱してしまい、侯爵家の皆様に多大な迷惑をかけた。

 落ち着くまでの数日、侯爵家の客室でお世話になることになり、レンは起きてる間中ほとんど手を繋いでいてくれた。



 レンはそれから、ゆっくりと私達のすれ違いについて説明してくれた。

 魔術誓約のせいで正式な婚約者でないと侯爵家が関わる魔術協会絡みの事は伝えられないのだということ、そのせいで婚約当初からボタンの掛け違えがあったこと。


 巷で流行っている格差婚約の件は、そういった事に興味のないレンは知らなかったし、もし知っていったとしても侯爵家はそういった誠意のないやり方を好まないことも。

 そして、正式な婚約者になった後は、彼自身が間違った判断をしてしまったために伝えることができなかったのだと、誠心誠意謝ってくれた。


 私が落ち着いてしばらくたっても、レンはどうしても気が済まないというので、頬っぺたを思いっきりひっぱたいてやった。


 もちろんクアッド様の姿の時に。





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 さて、こうして、私たちはハッピーエンドを迎えたんだけど。

 ちょっと問題が残っている。



 レンは、私の知ってるレンのままでいいんだけど。


 クアッド様に対して私はどうふるまっていいかわからなくなってしまったのだ。

 クアッド様がレンだとわかっているのだけど。

 二人とも、私の好きなレンなんだけど。



 頭では理解しているのだけど、私には、まだ二人がどうしても同じ人だと思えないのだ。


 クアッド様自身も、今まで姿によって中身を演じ分けていたようなので、それをなかなか直せないようだ。

 レンの姿の時が素の自分だとおっしゃっていたのだが、クアッド様の姿で全く同じようにふるまうのは難しいらしい。


 そして、やっぱり外ではクアッド様は今までのクアッド様のままだ。






 そして現在、絶賛、混乱中。

 一言で言っていたたまれないのだ。


「レイア、可愛い。不安げに見上げる瞳も僕の手に頬を刷り寄せる仕草も、僕の手を握って離さないところも」


 二人で侯爵家の庭を散策中だ。

 侯爵夫人の趣味で作られた四季折々の好い香りのする花々が一面に咲き誇っている。



 そしてクアッド様は、私の前なのに、今日はクアッド様モードのままだ。



 とっくに正気に戻っている私は、もうめちゃくちゃ恥ずかしい。

 クアッド様が言っていることは、私が確かにやってしまったことだ。


 やらかしてしまったことだ……。


「こっちにおいで、レイア。抱きしめたい」


 そして、私の腕をとる。

 私が近づくのを待っている。



 ……それは、私が自分からいかないとだめなやつ?


 レンの時はできるよ?


 むしろ私が触りたい。飛び込んでいける自信がある。



 でも。

 でもでもでも、無理だから。

 金髪碧眼きらきら王子様オーラ全開のクアッド様にそれは無理だから。



 夜会の時とか、くっついてたけど、あの時はレンだと思ってなかったし。

 今は、……今は違うのだ!!

 むしろ、思い出して更にいたたまれない。



「ク、クアッド様」

「二人きりの時は、レンと呼んでほしい」


 彼の名前。ごく親しい家族だけに伝えられる、公式には決して用いられない彼の本名は、実はクアッド=レン=ベネデッティというのだった。



「レ、レン。無理、無理です」

「この姿のときも、敬語はやめて」


 そして、仕方ないなあ、と呟くと掴んだ腕をぐいっと引いて私を引き寄せた。

 転びそうになった私は彼の胸にしがみついてしまう。


「あれ、積極的だね。レイア。なら、これもできるんじゃない?」


 クアッド様は、しがみついた私の顎を右手でくいっと持ち上げると、そのまま顔を傾けた。


 さらさらの金髪が、私の頬に落ちる。


 バシーン!!


 小気味いい音が庭園に響き渡った。

 ああっっ! またやってしまった。


「ク、クク、クアッド様のばかーー!」



 私は、その場を駆け出した。



 ばかばかばか。

 絶対わざとだ。面白がってる。

 それとも私に叩かれたいの? Mなの?



 慣れない侯爵家で私が隠れる場所などあんまりなくて。

 私はすぐに捕獲されてしまった。



 レンに。



「すまない。嫌がるのが可愛くて」



 ぼそぼそと告げる。


「レン」で謝りに来た。


 かわいい。ずるい。かわいい。


 庭のクレマチスが絡まるアーチの隅に座り込んで隠れていた私に、レンは告げる。


「許してくれる?」


 そんな、捨てられた犬みたいな顔して、(ほとんど顔に出ないけど)私をいったいどうしたいの??

 頬がかあっと熱くなるのがわかる。


 ずるいずるい、私の方がお姉さんなのに! 悔しい。だからちょっと反撃。

 さっきの仕返し。


「レン、抱きしめたい」


 レンの顔が赤くなる。

 勝った!!


「もう、きみは!!」


 レンは、しゃがみ込む私の手を取って強引に立ち上がらせた。


 そして私を抱きしめると、それはそれは、口にするのもはばかられるような、甘く、深い、深いキスをしたのだった。



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 クアッド様は外では相変わらずのキラキラの貴公子モード。そして、二人でいるときは無表情。

 でも、うれしいときには、ちゃんと笑う。

 そして、時々、姿変えの魔道具でレンになる。

 私は、レンを笑わせたくて一生懸命だ。

 




 最近、婚約破棄が流行っている。


 なあんてことも世の中にはあったようだけど、この時初めての婚約者に浮かれてた私は、そんな世の中の様子なんてやっぱり全く気にならないのだった。





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Fin  (番外編続きます)

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