第8話 涙と後悔と真実
「レン=ヤード」
クアッド様が、その名を口に出す。
びくりと肩が震える。
私がこっそり調べていたのを知っているのだろうか?
婚約をしていながら、ほかの男性を思っているなんて、とんでもない裏切り行為だ。
さらに、クアッド様が私に好意をよせくださっているのなら、なおさら許せるものではないはずだ。
私のこの告白は、クアッド様をとても傷つけたに違いない。
でも、私はレンを好きでいるのをやめられなかった。
そして、今、クアッド様の怒りがレンに向かうのが恐ろしかった。
「申し訳ありません! 彼は何も知らないんです。
彼とはもう会っていません。彼はあきらめて姿を消しました。
私が彼をあきらめきれないだけなんです。
罪があるのは私だけです。
どうか、どうか罰するのは私だけに。
わ、私はこれから修道院に参ります。
終生修道院をでません。
ほ、ほかの罰がお望みなら何でもいたします。
どうか、彼への罰は……!」
クアッド様は、片手で顔を覆って、何だよそれ、と小さく呟いた。
「彼が、そんなに忘れられないの? 彼のどこがそんなにいいの?」
クアッド様は、泣きそうな声で、小さく尋ねる。
きちんと答えなければ。
クアッド様に向き合って、ちゃんと誠意ある回答をしなければ。
それは、これから、婚約破棄という、非礼で下劣な行為を行おうという私にでき得る、最低限の礼儀だと思う。
「レンは、私より何歳か下の男の子です。
街で困っているところを見かけて、危なっかしくて、はじめはかまってあげなくてはいけない弟のように感じていたんです。
でも、彼と同じ時間を過ごすうちに、彼が、私にだけ素の表情を見せてくれるのを見て、だんだん目が離せなくなって。
かわいくて。
飾らないところとか、さりげないやさしさとか、甘えたがりなのに、時々びっくりするぐらい大人びた行動をとるところとかも素敵で。
一緒にいると、何をするのも楽しくて。
かわいくて。
もう、ずっと見ていたくて。」
「もういいっ。もういいから」
ああ、馬鹿だ。クアッド様はこんなこと聞きたいわけないのに。止まらなくなってしまった。もっと違う言い方があったのに。
表情の見えない彼は耳まで赤くなっていた。
「なんでそこまで……」
私にだってわからない。
こんな素敵な方に思われてるのに、なんでレンがいいんだろう。
レンはクアッド様ほどかっこよくない。
目鼻立ちも平凡で、目立つ容姿でもない。
性格だって仕草だって、最近のクアッド様は一緒にいて心地よくて、レンの方がいいだなんてとても言えない。
……ああ、そうか。そういうことか。
その考えは、すとんと私の胸に落ちた。
私は、クアッド様に惹かれてたんだ。
このままクアッド様といたら、多分、好きになってしまう。
私は、レンを好きじゃなくなってしまうのが怖くて、そんな自分を見るのが嫌で、逃げ出したのだ。
クアッド様からのキスも、ほんとはいやじゃなかった。
いやだったのは、それがいやじゃない汚い自分。
レンが好きなのに、クアッド様にも惹かれて。そんな汚い自分を突き付けられるのが一番いやだったのだ。
もう、レンは見つからないだろう。
いい加減気付いていた。
レンは、私をあきらめたのだ。
私に残されているのは、レンとの思い出だけだった。
私は、レンとの想い出と一緒に私の恋をきれいなまま、とっておきたかった。ガラスケースにいれて飾る宝石のように。後からながめて幸せに浸れるように。
自分の汚い部分は見ないふりをして逃げ出したかった。
向き合いたくなかった。
これ以上向き合ったらきっと壊れてしまう。
逃げ出す私を許してほしい。
逃げ出せないなら、もう、いっそのこと、消えてしまいたい。
私のそばに跪いて顔を覆っていたクアッド様は、絞り出すような声で囁いた。
「ごめん、レイア。
追いつめてごめん。苦しめてごめん」
クアッド様は懐に手を伸ばす。私は、それを目で追う。
「ごめん……俺のせいだ。もっと早くこうすればよかったのに。
君に愛されている自信がなくて、君に嫌われるのが怖くて、それがこんなにもレイアのことをずっと苦しめてたのに!」
クアッド様が何を言っているかわからなくて見上げた先。
懐から取り出したそれは、小さな魔道具。鎖のついた青の魔石が、はめ込んである。
レンと一緒に探した……あの――。
「俺は間違えてた。
自信がないとか、嫌われるのが怖いとか、そんなの俺の問題だ。
俺が、君に許しを乞うてやり直す覚悟を決めればいいだけだったんだ。
そんなことよりも、君がこんなに苦しんでるのに、気づかなくて。俺は!
ごめん、ごめんね、レイア。
もう苦しまないで」
俺を憎んで。全部、俺が悪いから。
そう告げるクアッド様の孔雀緑の双眸から、零れ落ちるそれは、涙?
そして、きらきらと光が散って。
そこには、クアッド様でなくて、レンがいた。
麦わら帽子のような色の髪に、特徴のない黄土色の瞳。
無表情で。だけど、瞳だけに気持ちをのせて。
私が愛しいとその目が告げている。
「レン?」
「そうだよ。レイア」
瞳だけで、愛を語る。
「レン? レン? レン? 無事だったの?
私、レンが見つからなくって、どこか行っちゃったのかとか、私のこと、飽きちゃったのかもとか……。
し、死んじゃったんじゃないかとか……」
「ごめんね……レイア、ごめん……」
呆然とする私を、手を伸ばしてレンが抱きしめる。
レンがそこにいることが信じられなくて、私は恐る恐る手を伸ばした。
頬をなでる。髪を触る。
胸を触って、肩をなでて、そのままゆっくり腕を伝って手を握って。
私はレンの顔を見上げた。レンの顔が赤い。
ずっと見ていたい。
「レン? レン?」
ここはベネディッティ侯爵家で。
レンがいるはずなくて。
私はおかしくなってるのかもしれない。
でも、いいや。レンがいる。
私はぎゅっとレンにしがみついた。レンのにおいだ。顔を摺り寄せた。ずっとこうしたかった。
一度くっつくと離れるのが怖くて。
もう離れられる気がしなかった。
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