真実はひとつだけと言っても聞きたくない話もあるんですよ

 公園でリクと合流して、お師匠さまの家に案内する。


「どうぞ」


 時間を見計らっていたのか、もしかしたら気配を窺っていたのか、インターホンを押したのとほとんど同時にお師匠さまは玄関の扉を開けて。


「……お邪魔します」


 少しだけ躊躇して、会釈したリクを、感極まった半泣きのような瞳で見つめる。


 さっきはキツいことを言ってしまったけど、お師匠さまだって、リクに会いたくて仕方なかったんだよね、やっぱり。


 新しい茶葉でお茶を淹れて、茶碗に注いで下さり。

 

「……美味しい」

 

 一口飲んで、リクが呟く。

 それを聞いて、お師匠さまも心なしか笑顔になられた。


 さっきと同じ玉露だけど、何だかさっきよりも美味しい。

 時間の余裕があったからなのか、それともリクへの思い入れなのか分からないけど、芳しいお茶の香りは、リクの緊張も少しだけ和らげてくれたみたい。


 そのあと、お師匠さまは、これまでのいきさつを話して下さった。

 

 私が同席する事はリクが申し出てくれたけど、ホッとしたように表情が緩んだところをみると、やっぱりリクと二人きりは、気まずかったのかもしれない。


 まあ、まともに話したのは2回くらいで、しかも親子として初めての対面だもんね。


 内容は、リクが理事長……お父さんから聞いた内容とほとんど一緒だった。


 リクの義理のお母さんの親友で。

 

 家が破産して、天涯孤独になってしまったところで助けてもらって。


 やがて、理事長と恋仲になって……結ばれて。


 さすがにこの辺りのくだりは、複雑そうな顔で聞いていたリク。


 ……私だって、うちのお父さんお母さんのなれそめは興味があるけど、リアルなのは、やっぱり恥ずかしいもんね。


 ただ、ひとつ違っていたのは。



「苳子さんが結婚して、すぐに久弥さんは留学先に旅立たれたの。私は苳子さんの婚家に……千野家についていくことになって。久弥さんは、苳子さんに任せておけば安心だからって、そう言って旅立ったの。でも、しばらくして、苳子さんから縁談を奨められて」


「は?」

 

 耳を疑う内容に、リクは1オクターブ高い声で、疑問を呈する。


「その頃、妊娠も判って、お見合いの話はなくなったけれど、苳子さんから、産まれてくる子供の扱いを尋ねられて。『兄の子供なら、できれば引き取らせて欲しい』って。それで、久弥さんとは添い遂げられないって、理解できたの。久弥さんにも縁談がす持ち上がっているって聞いて」


「いや、それ、おかしいです。だって、伯父……父は、ずっと独身ですよ? ずっと、由利恵さんを想っていたって」


 リク経由だけど、私もそう聞いていた。


「そんな……そんなはず、ないわ。いえ、縁談は、なかったのかも知れないけれど、でも、久弥さんには、ずっと好きな人がいたって……私は、その身代わりなんだって」


「いったい誰がそんなこと?!」


「……ごめんなさい。これは、これだけは、私が勝手に話すわけには……」


 うなだれるお師匠さま。


 それ以上は、頑として口を開かず。


「分かりました。だったら、本人に訊きます。ここに呼んでもいいですか? それとも、これから出向きますか?」


 誰、とも、どこ、とも言わず。


 主語も目的語もいわないのはダメだって言ったのに!

 ………とは、さすがにここでは突っ込めず。


 まあ、言わなくても、だいたい分かったけど。


「……ここは、知られたくないわ」

「なら、一緒に行きましょう」


 有無言わせず、リクはさっさとスマホを操作して、タクシーを呼んだ。


 リクの勢いに引っ張られるようにして、お師匠さまは、呼ばれてきたタクシーに乗せられ……私も一緒に。


 着いた先は。



「……リク、すごいお家だね……」


「まあ、広いだけが取り柄の、古い家だけどな」


 この間、私が答えたのと同じような言葉だけど。


 規模が違いすぎる!!


 広さだけても、うちのお店と工場を足したより広いよ? 桜女の400メートルトラックがあるグラウンドが楽に入っちゃうよ。


 ここって。


 大きく掲げられた『千野』って表札が示す通り、リクの実家。


「今の時間なら母さんだけのハズなんだけど」


 呼び鈴(インターホンじゃなくて、本物の呼び鈴! こんな大きなお家で、飾り紐を引っ張る手動に意味はあるのかな?)を鳴らすと。


「利久さま! お帰りなさいませ!」


 奥から出てきたのは、え? 執事?


 今、『リクさま』って言った?


 いや、さすがにタキシードとかじゃなくて、ワイシャツにネクタイに黒ズボンの、サラリーマンスタイルだったけど。


 初老の品のよいおじさまは、いかにも執事というか、家内一切取り仕切っております、という風情で。


「どうされたのですか? 先ほど久弥さまも突然おいでになられて」


「あ、伯父貴もきてるんだ。なら話は早いな。客間? 母さんの部屋?」


「奥さまの離れでございます」


「分かった。あ、お客さんだから、お茶お願い」


 当たり前のように軽く命じて。


 執事風おじさまは、恭しく会釈して、それから突然現れた私たちに笑顔で(きっと内心は慌てていたんだと思うけど、そんな素振りは見せず)「ようこそいらっしゃいませ」と挨拶して、硬直した。


「……もしかして、由利恵ちゃん?」


 その呼び方には、驚きとともに、どこかホッとしたような、懐かしさがこもっていて。


「……ご無沙汰しております」


「……ああ、だから……やっと……いや、ともかく、離れへ。利久さま、お願いいたします」


 さっき、リクを見つめていたお師匠さまのように、目元を潤ませて、おじさまは足早に立ち去っていった。


「あの人は?」

「ああ、うちの使用人の、まとめ役みたいな?」


 やっぱり、使用人とかいるんだ?


「サホんちだって、人雇っているじゃないか?」


 いや、『雇って』って、字面は一緒だけど、なんか意味が違うよ。

 

 うちは商売で雇っているけど、ここんちは、家事のためでしょう?


 そう言えば、そもそも、お師匠さまも、理事長のお家でメイドとして働いていたって言ってたもんね。


 それで、お師匠さまは、リクのお母さんの結婚に合わせて、このお屋敷に来たのかな? 


 だったら、古い使用人の皆さんとは、面識があるのかも。


 あの様子だと、お師匠さま、いい人間関係築いていたんじゃないのかな?

 

 それが、どうしてリクを手離して、この家を出るような羽目になっちゃったんだろう?


 モヤモヤしたまま、リクに連れられて離れとやらに移動する。

 

 広くて迷いそうだけど、リクがしっかり手をつないで……って、そう言えばタクシー降りてから、ずっと!


 は、恥ずかしい!


「リク、手、離さないと」


 庭に出たところで、私はリクに声をかけた。


「ダメ。これから大勝負だから、充電続けないと」


 何の充電?!


 あ、私のパワーってやつね、って、もう大丈夫でしょ?!


「大丈夫じゃない。これから立ち向かうのは、良かれと思って勝手にそれぞれ猪突猛進しちゃうような猛者ばっかりなんだから」


 へ? だって、理事長と、リクのお母さん(義理の)だよね?


「サホもビックリの、猛突進だからな。まだ話聞いてくれるだけ、サホは全然かわいいもんだから」


 ……つまり、人の話を聞かない、ってこと?


 不意に、リクが立ち止まる。

 

 庭の端にある、小さなかわいらしい、小屋、というには優美すぎる、小さいお家。


「着いた。母さんの趣味の部屋」


 ちょっと困ったように説明するリク。


「俺だけど。入るよ」


 返事も待たず、リクは扉を開けて。


 中から溢れだしたのは、ピンクと白の、リボンとレースとフリルの山!


 いや、実際に溢れてきたわけじゃないけど。


 ものすごい圧力で、目に訴える。


「……相変わらず、乙女趣味なのね」


 お師匠さま、ちょっと苦笑して。


 ……ああ、だから、『趣味の部屋』。


 ワンルームの真ん中で、レースとフリルに囲まれて優雅にお茶を飲んでいるのは、理事長と。


「あら、リク、おかえりなさい」


 振り向いたのは……え? 義理の?


 義理なんて言わなくちゃ分からない、リクそっくりの。


 スッゴい美人!


 お師匠さまも美人だけど、どっちかと言うと儚げでしめやかに咲く撫子や桔梗のような花だとしたら。


 まさに大輪の牡丹の花。


 こんなレースとフリルに囲まれて、なぜか本人は和服なんだけど。


 でも、似合う! 和風ゴスロリみたいなアレンジがしてあって、半襟とかおはしょりにレースがあしらわれていて……というか、リクのお母さん?! 年いくつなの?


 年齢的に趣味が若いってわけではなくて、逆!


 言われなかったら、20代で通る!


 若すぎ!


 そっか、一応リクからしたら血筋的には叔母さんだから、同じ遺伝子があるのかも。


 若作り……もとい、若く見える遺伝子が。

 

 妙に納得して。


「お久しぶりね、由利恵さん」


 

 リクを無理やり(かどうかは不明だけど)取り上げたようなことをしたなんて思えない、親しげで懐かしさが込められた声。


 さっきの執事風おじさまと、同じように。


 微かに目元を潤ませて。


「やっと、戻ってきてくれたのね」


 明らかに再会を待ち望んでいた、というその言葉。


「……どう言うことなんだよ? みんなで追い出したんじゃなかったのか?」


「それは違います!!」


 いぶかしむリクの言葉を、お師匠さまはすぐに否定する。

 

「あなたを養子に出して、でも戸籍は違っても、ずっとここで暮らしてと、苳子さんは言って下さったのよ。その言葉を振り切ってここを出たのは私なの」


「だから、そもそも何で、俺を養子に出す必要があったんだってことだよ! そりゃ、結婚前に子供ができたなんて風聞は悪いかも知れないけど、特別変わったことでもないだろう?」


「そこは、ちょっとした行き違いだったのよ。妊娠が分かった時、まさか相手が兄さんだなんて思わなくて。由利恵さんもなかなか教えてくれなかったから、てっきり、その……あの人、明久さんが、手を出したのかと」


「はあ? あの男の?」


 誰だろう?


 私の疑問に気付いて、リクは「……戸籍上の父親」と小さく呟いて教えてくれた。


 ……冗談じゃなく、本気で、骨肉の争いになってきた感。

「ちょっと待て! なんでそこに明久くんの名前が出るんだ?! そんな事実があったのか??」


「そんなことありません!! 私が体を許したのは、久弥さん、だけ、です」


 必死で訴えながらも、お師匠さま、声が小さくなっていく。自信がないわけじゃなくて。


 うん、私も聞いていて恥ずかしいです。


 お師匠さま、顔が真っ赤。


 言われた理事長より、リクの方が顔を赤くして目を泳がせている。




 事実は知りたいけど、これは勘弁だよね、やっぱり。

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