親の悲恋がどれだけドラマチックだからって感動してもらえると思わないで下さい!
怒りに満ちた私の眼差しに気が付いたのか、お師匠さまはおずおずと言葉を返した。
「それは、できないわ。私は……あの子を捨てたのだから。今更何を話しても、言い訳にしかならないわ」
「言い訳でもいいじゃないですか?」
「……」
「言い訳でもなんでも、何も教えてもらえないより、ずっといいです」
「……怖いの。私が悪いことは、分かっているの。でも、それでも、完全に拒否された時のことを考えると……」
「それで、何も知らない顔をして、遠くから見守っていて? それは、先生の自己満足です」
「分かっているわ」
リクがそもそも本当にお師匠さまの子供なのか分からない。
私の知っているリクの状況を考えれば、それはかなり可能性が高いと思うけど。
そして、お師匠さまが、その情報で確信だけを得て、自分の存在は隠して、遠くから見守るだけにしたいと考えていることも、何となく分かっていた。
リクのことを気に掛けているようなことを言いながら、どこか自分を憐れんでいる気がした。
「厳しいことを言うようですが、あえて言わせていただきます。先生のおっしゃることは、みんな親の都合です。先生がどれだけ理事長を好きだったのか、どんな思いで身を引いたのか、どんな思いで子供を手放したのか、それがどんなにツラかったのか……それ、子供には関係ないです。だって、それって、みんな自分で決めたんですよね? もしかしたら強制されたこともあるかもしれませんし、大人の事情があったのかもしれません。でも」
分かってる。こんなの、世間を知らない私みたいな子供が、さも分かった風に批判するなんて、それこそ、勝手な言い分だって。でも。
「子供にとっては、ただ一つの事実しかないんです。何にも分からないまま、お母さんと引き離されてしまった、って。だから、その理由を知りたいなら、教えるべきです。それが、せめてもの親の役目じゃないんでしょうか?」
「……知りたい、かしら? 本当に?」
「さあ。もしかしたら、聞きたくないかもしれません。でも、それを決めるのも、本人だと思います」
「……そ、そうよね……ええ、分かっているのよ。でも」
「怖いですか?」
「……ええ」
「だけど、リ……その子は、怖いとか怖くないか以前に、そういう選択すらできないまま、もしかした寂しくてツライ子供時代を送るしかなかったのかもしれないですよね? そんなの、まったく本人のせいじゃなくて。先生はツラくて悲しかったのかもしれませんが、なんで子供までそんな目に合わなくちゃいけないんですか?」
「ええ……ええ……」
お師匠さまの目に涙が浮かんだ。きっと、手放した子供を思って、同じように泣いたこともあったと思う。
でも、同じように、きっとリクだって泣いたのかもしれない。
養父だって分かっていても、お父さんに無視されたのがツラかったって言っていた。仕方がないって言っていたけど、そう思えるようになるまでに、どれだけ泣いたかもしれない。
義理のお母さんは優しくしてくれたし、名乗る前から実のお父さんもリクを案じてくれたから、受け入れられたのかもしれないけど、でも、本当だったらしなくていい悲しい思いを、大人たちのせいでしてきたんだ。
どんな事情があったかは知らないけど、リクは、リクだけは、そんなこと関係なく、自分の思うようにしていいと思う。真実を知りたいと思うなら、リクには訊く権利がある。
「先生。私は、本人が望むなら、やっぱりちゃんと伝えるべきだと思います」
お師匠さまは、目を伏せたまま、しばらく考え込む。そして何かを言いたそうに口を開いて。でも、言葉は出てこない。
「差し出がましいとは思いますが、せめて訊きたいかどうかだけ、私が確認してもいいですか?」
「……お願いいたします」
しばらく口を開いてはつぐむ動作を繰り返してから、お師匠さまは、うなづいて、返答した。
その目が、ようやくしっかり私をとらえて。
「でも、今は、あの人に……久弥さんには、会えない」
「それは、後で大人が自分で決めればいいと思います。私は、私の大切なあの人がこれ以上悲しんだり苦しんだりしなければ、それでいいんです」
「……茶朋さんの、大切な人、なのね。私も、同じように考えていたはずなのに、どうしてかしら、何か大きな間違いをしてしまったのかもしれない」
小さくため息をついたお師匠さま。でも、その表情に先ほどまでの自分を憐れむ翳りは見えなかった。
私はスマホを取り出し、リクに電話をかけた。
お師匠さまの家にいることを伝えると、しばらく沈黙してから、『そうか』と答えた。
なんとなく、すでに事情を察している気がして、ボカシながら伝えてみた。
「お師匠さまが、もし訊きたいことがあるなら、話してくれるって。もし、リクが訊きたいと思うなら。理事長にはまだ会えないけど、って」
『……分かった。とにかく、そこに行く』
お師匠さまの家は少し入り組んでいて初めての人には分かりづらいので、表通りの小さな公園で待ち合わせすることにした。
お師匠さまにリクを連れてくることを伝え、家を出た。
……なんか勢いで、リクのこと、バラしちゃった気もするけど、今更だよね。
それに、かなりきついこと言ってしまった気がする。
もっと大きい秘密を知りすぎて、リクとの関係なんて、大したことじゃないような気になっちゃって。一応、後で口止め、お願いしよう。その前に、あんな口の利き方して、破門にされちゃうかもしれないけど。
でも、私にとって一番大切なのはリクだから、ガマンしたくなかった。
リクのためにガマンする必要があるなら、それならガマンするけどね。
……ううん、リクのためじゃない。
リクのためになりたいっていう、私のため。
リクのせいにしちゃダメ。
表通りの公園までお師匠さまの家から5分くらい。学校から来るリクが到着するのは、早くて10分以上かかると思うから、そんなに急がなくてよかったんだけど。
思わずお師匠さまに強く言ってしまった負い目もあって、気が付けば足早に公園に向かっていた。
公園について、入り口のベンチに座って呼吸を整えていると。
「サホ! 待たせた!」
公園に走りこんできたリク。
早!
「そんなに慌てなくてよかったのに……」
今日はちょっと動いただけで汗ばむような陽気だったから、夕方で少し気温が下がったとはいえ、全速力で走れば汗だくになる。
眼鏡を取って手の甲で汗をぬぐうリクに、私はハンカチを差し出した。
「ありがとう」
汗を拭いて眼鏡をかけ直すけど、まだ火照っているのか眼鏡が曇ってしまう。
あきらめてリクは眼鏡を胸ポケットに入れ、ついでに汗だくで乱れた前髪もくしゃくしゃに崩してから手櫛で軽く整える。
今日は白ワイシャツにシンプルなダークネイビーのスーツで、今は上着も来ていないから、まるで高校生みたいになってしまった。
「ゴメンね。勝手に」
「サホが謝ることないよ。むしろ、巻き込んでゴメン」
「ううん。あと、もう一つ,謝らないと。私、お師匠さまに、ひどいこと言っちゃた」
先ほどのやり取りを、かいつまんでリクに話す。
「ホントにゴメン。リクの気持ちも聞かないで、知ったかぶって」
「いや、いいよ。ううん、逆にありがとう。……俺自身、自分のそういう気持ちに蓋をしていたかもしれない。ホントは悲しかったのに、なまじ母さんや伯父貴が良くしてくれたから、わがまま言っちゃいけないって。……うん、本当は、ずっと知りたかった。母親が亡くなったとしても、どうして伯父貴と……父さんを父さんって呼んじゃいけないんだろうって。大人になって、一応理由は納得したつもりだったけど、やっぱり、心のどこかで引っかかっていたんだ」
「……その、リクの伯父さんって、理事長なの?」
「うん。黙っていて、ゴメン。あと、名前のことも。気付いていて、訊かないで待っててくれたんだね」
「……きっと、いつか話してくれるって、思っていたから」
「うん。でも、隠していて、やっぱりゴメン」
「……これから、どうする? 私、一緒に行かない方がいい? 一緒にいたほうがいい?」
「サホは、どうしたい?」
そう言ってリクは、あいまいな笑みを浮かべた。拒絶とも許容とも依願とも取れる、アルカイックスマイル。
「私は、リクと一緒に、いたい。もし、リクが話を聞いて、つらい思いをするなら、一緒にツラい思いを共有したい。何も知らないでも、もちろん私は絶対リクの味方でいるけど、知っていてできることがあるなら、せめてそばにいるだけでもいいから」
うまく言葉にできない。
「もしかしたら、色々骨肉の争い、みたいなことに巻き込まれるかもしれないよ」
「いいよ。受けて立つよ。……約束したでしょう?」
「約束?」
「『汝、中沢茶朋は、病める時も健やかなる時も、千野利久と一生添い遂げることを誓います』って」
「……うん」
「病める時も、健やかなる時も、つらい時も、幸せな時も、いつでも一緒にいるよ」
それから、リクは理事長……お父さんから聞いた話を、教えてくれた。
……不思議。
何で、二人ともお互いを好きだったのに、すれ違ったんだろう?
「そうだな。それも含めて、聞いてみたい」
そんな言葉に何の脈絡もなく、リクは突然私を抱き締めた。
「リ! リク! 誰かに見られたら!」
「今だけ。サホのパワー分けて。いざとなったら、すごく強く優しくなれるサホみたいに、俺もちゃんと、向き合うから。だから」
ギュッと腕に力がこもる。
耳元で響く声と、ワイシャツ越しにかんじるリクの汗の匂いに……何だかドキドキした。
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