私の知らない先生の事情~茶道部講習会その後編~

 まだぼんやりしている理事長をソファーに座らせて、俺は勝手に室内に備えてあった道具を使い、お茶を入れた。備え付けのポットにも、お湯は十分沸かしてあった。

 理事長室おいてあるだけあって、高級な銘茶が準備されていた。


「……ああ、悪いな」


 目の前に置かれた煎茶の湯気を見つめて、ようやく理事長は口を開いた。


「残念ながら、お茶請けは無しだよ。今日の主菓子も旨かったのにな」


「そうか、それは、残念だな……」


「で? あの人との関係は?」


「………………」


「生きて? って、ことは、死んだって思っていたってことだよな? あちらの様子を見ても、どうやらお互い衝撃の再会っぽいけど」


「ああ、そうなんだろうな」


「へえ。もしかして、昔の恋人、とか?」


「……ああ」


「……俺を、産んだ?」


「………………可能性は、高い」


 可能性? なんだよそれ?


 もしかして、俺を産んだ相手のこと、知らないのかよ? 誰に産ませたかも……孕ませたかも分からないってことなのか?!



 というか、他にも手を出してたってことか?!


「言葉のあやだ。彼女を、彼女だけを愛していた。必ず、添い遂げるからと約束して、留学したんだ。けれど、1年後帰国した時には、彼女は……由利恵は死んだと聞かされた。そして、お前は苳子がすでに実子として籍に入れていて。実子でないことは、すぐに知れたが、苳子は誰の子供か言わなかった」


「なのに、なんで、自分の子供だって」


「お前の名前だ。由利恵と、夢物語に話していた。いつか結婚して子供が産まれたら、男の子だったら、『利久』と、名付けようと。由利恵の『利』と、私の『久』で。今時なカッコいい名前がいいな、と『リク』と」


 理事長の、父さんの名前……『久弥きゅうや』の『久』?


 『久』の字をつけた男の子は一族に多くて、家風のようなものだったから気にしていなかったけれど。


 ありきたりな字面で、読み方だけ今風で、そんな風に思っていたんだけど。


「なので、おそらく由利恵の子供なのだと、思っていた。成長したお前の顔を見ても、私の子供に違いないと確信して。苳子に聞かないと、事実は分からないが」


「なんで、今まで確認せずに?」


「由利恵が死んだと、はっきり言われたわけではなかったから。ただ、もういなくなった、と。お前が由利恵の子だとすれば、その子供を手放した理由は二つしかない。由利恵が死んだか、もしくは……」


「……捨てたか?」


「ああ、そんなことはないと思いたかった。私の子供ならどうして手放す必要があったのか? もしかしたら、他の男の子供なのか、と疑心暗鬼に陥った。成長したお前を見て、そんな疑念は吹き飛んだが。そうすると、死んだことを受け入れなければならない。それが、ツラかったんだ」


 父さんが、お師匠さまを、由利恵さんを本気で好きだったことは、間違いない。


 ずっと独身を通してきた理由も。


 けれど。


 そこまで好きだったのなら、なんで、離れなければならなかったんだ?


 母さんのことは大好きだ。育ててもらったことも含め、俺の母が苳子母さんでよかったと、本気で思っている。


 けれど。

 

 父さんを、父さんと呼んではいけないツラさも、ずっと感じていた。


 ……伯父貴として以上に、慕っていたから、余計に。



「由利恵さん、って、家政婦だったのか? だから、俺を産んでもあんたと結婚できなかったのか?」


「家政婦、というのは間違ってはいない。お前を身ごもったと考えられる頃には確かにな」

「?」

「もともと、由利恵は苳子の友人で……親友といって良い間柄だった。よく家にも遊びにきていて、私は、彼女を憎からず思っていたし、おそらく彼女も。そのままなら、苳子を介してごく普通の恋人になれただろう」


 妹の親友と恋仲になる、というのは、ありきたりではあったが、あり得ると言えばあり得る。


 母さんとの兄妹仲が、世間で言われているほど悪くなかった、というか異母兄妹であるなんて言われなければ分からない程度には仲が良いと感じていた。


 ただ、二人はともかく、家の中では、特に亡くなった祖母からは愛人の娘として冷淡な扱いを受け、望まない政略結婚を強いられた、とは聞いている。


「それも、かなり誤解はあるんだが。お前が親戚連中から何を吹き込まれたか、大体想像はつくが。まあ、母も性格上、誤解を受けやすかったのもあるし、それを言い訳する人でもなかったからな。愛人から娘を取り上げた挙句、自分の実家とのつながりを強めるためにむりやり嫁がせた、と受け取られても仕方がない」


「でも、事実なんでしょう?」


「事実には違いない。ただ、その愛人が娘を虐待していた、という理由がなければな。千野家に、自分の実家に嫁がせたのだって、他の家で愛人の子だと卑下されるくらいなら、目の届く範囲で見守るつもりだったのだろう。そもそも政略結婚というほどうまみのある婚姻ではなかったし、親の選んだ相手と結婚すること自体、当たり前という認識の世代だ」


 知らなかった。母さんが実の親に虐待されていたなんて。


 正妻が手切れ金を餌に夫と別れさせ子供まで奪った、という話じゃなかったのか? それに、むしろ母さんのためを考えた結婚だったなんて。


「まあ、千野家は我が家より家格だけは上だったからな。ただし経済的な余裕はなくて、我が家が支援していた、というのが実情だったから、母には逆らえなかっただろうし。父は、愛人の子供を引き取ってもらった負い目もあって、母には逆らえなかったからな。ああ、別れさせた、というのも語弊がある。その頃、すでにその愛人との仲は破綻していたというから。むしろ娘を餌にゆすられていたくらいだ。母が多額の手切れ金を用意して、すっぱり縁を切らせたようだ。実際、苳子から母の悪口を聞いたことはないだろう?」


 確かに。養父への愚痴もそれほど口にしないから、口をつぐんでいるのかと思っていたが、そもそも悪感情がなかった、ということだろうか?


 


「まあ、千野家に嫁がせたことは、思惑が外れたようだが。まさか自分の甥っ子が、あんなクズだとは思っていなかったと、さんざん愚痴られたからな。仲の良い従兄妹だと信じていたが、本心では愛人の子供だと馬鹿にしていたと気付かなかったとな」


 そういえば,従兄妹同士だったんだ、あの二人。まあ、祖母を介しての血のつながりはないが。


 まあ、養父からしたら経済支援を盾に結婚相手を押し付けられた挙句、子供まで押し付けられたとしたら……愛情が持てなくても、仕方がないのかもしれない。


 そういう良かれと思って、でも相手の思惑を意に介さない強引なやり口は、本当に祖母と父さんが親子なんだと感じるよ。


 俺も、似ているかもな。それでさんざんサホを泣かせたんだし。


「で、普通に恋人なれるはずだった由利恵さんとは、結局?」


「彼女の家が破産してな。まあいわゆる一家離散という状態になった。最終的には彼女の両親が身をもって借金を命であがなった」


 ……自殺した、ってことか?


「借金は清算されたが、身一つで世間に放り出された由利恵を案じた苳子は、彼女を家に引き取った。自分の勉強相手で世話係、メイド見習い、という名目でな。別に働かせるつもりはなかったんだろうが、彼女が納得しなかったのだろう。自分の付き添いといって高校へも通わせ、家庭教師をしてもらうからと言って華道や茶道の稽古も続けさせていた。苳子が成人したら結婚する予定になっていたから、それまでに彼女の嫁ぎ先でも探すつもりだったのかもしれない」


「由利恵さんが好きだったのなら、立候補すればよかったじゃないか」


「苳子はその計画を、話してくれなかったんだ。自分の中で良かれと思って単独で計画を勧めていたようだ。血もつながっていないのに、一人で突っ走る、そんなところは母そっくりだ」


……血筋と環境の二重連鎖かよ。俺、かなり注意しないと、またサホを泣かせそうだ。


 


「そんな苳子の思惑は知らず、ただ同じ屋根の下で暮らすようになった由利恵をこっそり口説いて、まあ……秘密裏に、恋人同士にはなれた」


 そのあたりは、あまり具体的に聞きたくない。


 結果的に、俺が産まれてくるようなアレコレがあったってことだと思うけど……生々しすぎてイヤだ。


「そんな頃、私は大学院の留学生に選抜された。金銭だけではどうにもならない、実力本位の選抜だ。そのチャンスをどうしても掴みたかった。私は由利恵に、帰国を待っていて欲しいと伝え、日本を旅立った。帰国したら、結婚しようとプロポーズするつもりだったんだ」


「そんなの、行く前に伝えるべきだろう? 約束もなく待たされる気持ちになってみろよ」


「そうだな。もしすでにお前を身ごもっていたとしたら、ひどく不安だったろう」


 そして、帰国したら、由利恵さんは消え、俺は母さんに引き取られていた、というわけか。


 


 でも、二人とも、少なくとも由利恵さんは、どうして父さんに伝えなかったのか?


 20数年前とはいえ、電話でも、せめて手紙でもやり取りできただろうに。


 それが無理でも、母さんに話せば、何とか連絡をしてくれただろうに。


 


「……母さんに、話を聞きたい」


「そうだな。お前には、その権利がある」


 権利? それは、父さんだってあるだろう? 怖くて聞けなかっただけで。


 心のどこかで、由利恵さんを疑っていて、後からは聞けなくて。


 


 BBBBBBB……。


 


 スマホが震えた。


 画面を見ると。


「わかった。これから、行くよ」


 


 着信を受けて、黙って内容を聞いて、俺は短く返答した。


 


「これから、由利恵さんのところに行ってくる」


「由利恵の? それなら私も」


「俺に、ってご指名だ。……あんたの気持ちは、ちゃんと伝えるよ。それを由利恵さんがどう思うかは、分からないけれど」


 何かを言いたそうにして、けれど、黙って、父さんはうなづいた。


 


 それから、すっかり冷めてしまった煎茶を飲み干して。


「頼む」


 か細い声で言って、頭を下げた。


 


 俺は静かにうなづいて、理事長室を出た。そして。


 


 


 電話の主……サホが待つ、由利恵さんの家に向かって、歩き出した。


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