私の知らない先生の事情~茶道部講習会編~
茶道部講習会当日を迎えた、が。
昼休みにサホが真っ青な顔をして国語研究室にやってきた。
珍しい。
「千野先生。実は……」
何と、今日の講習会で使うはずの主菓子を配達できなくなってしまったという。
サホのお姉さんが体調を崩した上、急な注文で手が足りず配達が間に合わないと。
今日は色々起きるといけないから、申請を出してスマホを持ち込むように言っておいたのが幸いした。
とは言え、心配なのだろう。菓子の配達のことも、お姉さんの体調も。
「あの、私、授業が終わったらすぐに取りに行ってきます」
お姉さんの様子も気になってはいたのだろうけど、そんなことはおくびにも出さず。部に迷惑をかけてはいけないという使命感のようなものも、確かにあったのだろうし。
ただ、いくら15分とはいえ、授業が終わってから往復するのでは時間がかかる。
おまけに20数個とは言え、繊細な上生菓子を運ぶのも大変だろう。
「いいよ、5時間目は空いているから、僕が取りに行ってくるよ」
教科主任に聞かれてもいいように「理事長もおみえになるからね。楽しみにしていたから」と付け加える。
呆気にとられているサホにも分かるように、そっと人差し指を唇の前に立てて、黙っているようにジェスチャーして。
俺が受取りに行くことを連絡しておいてもらい。
マイカー通勤の同僚に頼んで、車を貸してもらい、店に赴いた。教科主任が授業に行くのを見送ってから動いたから、少し遅くなってしまったが。
「え、ああ、茶朋の……え? あの」
「担任の、千野といいます。お菓子を受け取りに参りました」
サホのお母さんは、俺を見てビックリしていたが、問われれば弟がサホと付き合っている、と伝えるつもりだった。
「ああ、分かりました。今準備しますね。本当に、こんなことになって申し訳ありません」
けれどそれ以上追及されることもなく、お母さんが声をかけると工場から職人さんが出てきて。
まだ若い、と言っても俺よりは年上。がっしりした体格の笑顔が爽やかなイケメン。
「車なら、この箱のままいいですか? 明日にでも引き取りにいきますんで」
業務用のプラスチックケースごと、渡してもらい。
「これ……『唐衣』? とはちょっと違う……」
「ああ、分かりました? ええ、ちょっと細工してあります。サエ……茶朋嬢ちゃんの姉さんが、考えて。あ、ネタバラシはこっちに。できたら食べてから開けてみてください」
そう言って、封書を手渡す。
サホのお姉さんへの呼び方や、嬉しそうに菓子を語る様子から、この人が秀さんなんだと分かった。
「ああ、あなたが古文の先生なんですね。どおりで。『唐衣』なんてすぐに出てくるわけだ」
「『伊勢物語』の東下りですね」
「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と在原業平が都に残した妻を思って読んだ和歌が元になっている。
『唐衣』の意匠は、「かきつばた」の花。紫の花弁のに、店によってはクチナシなどで黄色に色付けしたり、花弁も求肥や外郎を使ったり。単に「かきつばた」を模した菓子を『唐衣』と呼んでいる店もあった。
なぜか「かきつばた」かと言うと、折り句と言って、和歌の区切りの先頭を拾って繋げると、「かきつば(は)た」になる。
からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ
古典文学の技法で、百人一首やいろは歌にも使われているとする研究もある。
新聞のテレビ欄の縦読みみたいなものだ。
それはさておき。
「これは、違うんですね」
「はい。まあ、変わりバージョンと言いますか、花には違いないです」
謎解きか、面白い。
菓子箱を受け取って車に積み、出発する前に。
「あの、中沢さんが心配していましたが、お姉さんの体調はいかがですか?」
サホは口には出していなかったが、かなり心配そうだった。
「昨日辺りから少し気温が高くて、連休の疲れも出たんだと思います。大丈夫って茶朋に伝えていただけますか?」
お母さんは、にっこり笑ってそう話してくれた。
「分かりました。伝えます」
「ありがとうございます。茶朋は一生懸命だけど、おっちょこちょいだから、色々ご迷惑をおかけしていると思いますが、これからもよろしくお願いいたします」
「いえ、本当に一生懸命で、とてもいい娘さんですよ。明るくて、見ていていつも励まされるというか、とても癒されます」
「そう言っていただけると安心です」
これは、担任教師への、ありきたりな挨拶だよな? 別に疑われてないよな?
お母さんの笑顔に見送られながら、俺は学校に戻った。
ギリギリ間に合うと思ったけど、同窓会館に着くとサホのお師匠さまは早々とみえていて、俺は慌てて挨拶した。
「
お師匠さま、ゆりえさん、って言うのか。
いかにも淑やかそうな、きれいな名前だな。
それに。
ゆりえ、という名前の響きは、どことなく郷愁というか、懐かしさを感じるのは、気のせいかな。
その後の講習会も順調に進み。
一連の所作を見せていただいたけれど、本当に隅々まで美しく洗練されている。
サホが『ずっと憧れている』というのも納得できる。
神経が行き届いているけれど、雰囲気はあくまでもゆったりしている。
「茶の湯の真髄は、『自然体』ですよ」
なんて、真面目に自然体で口にして。それに圧倒的な説得力があるくらい、本当に気負わず自然体で。
このまま何事もなく終わるかも、と思っていたんだけど。
理事長の来訪を告げる内線電話が、そのほんわかした空気を破った。
慌てて階下に移動すると。
階段を上がろうしている理事長に遭遇した。
「お一人なんですね」
「別に校内で、生徒の様子をみるくらい、一人で構わんだろう?」
「あんまりうろつかれると、周りが迷惑ですよ」
「自分の管轄している学校を見て回って何が悪いんだ」
他に誰もいないので、つい愚痴めいた苦言を口にしてしまったが、理事長は開き直る。
迷惑なのは自覚しているんだな。
「とにかく、お茶飲んだら、色々言わずさっさと帰ってください。あなたが来るって、生徒達もあたふたしているんですから」
「抜き打ちのつもりだったのに、情報漏洩させる顧問が悪い」
「そんな負担、生徒にかけたくありませんよ。生徒を守るのは教師の役目です」
「そんな一朝前の口を叩くようになったもんだな」
2階に上がり、作法室に入ると、思ったより空気がピリピリしていない。
緊張は伝わるが、何となく落ち着いていていた。
「やあ、お邪魔するよ。活動中悪いね」
生徒向けなのか、声のトーンがいつもより柔らかい。
サホが代表してお茶に誘うと、お礼まで言った。
サホはちょっと驚いて俺に視線を送る。俺だってビックリだ。
一応教育者なんだな。生徒に対してはここまで和らいだ態度で接するんだ。
まあ、水面下では生徒を金ヅルとしか見ていないようなことを言っているけど。
……昔は、こんな風に、優しく話してくれたよな、そう言えば。
教員の経験を経て、大学院で教育学を修めたり、また現場に戻ったり。
そんな風に、教育に身を捧げていたのは、決して家のためだけじゃなかった。
そもそも、本来はこの学校の理事長になんてなる予定も可能性もなかった、一族の主流からは外れた分家で。
理事長の異母妹、俺の養母が同じように傍流の千野家に嫁いだこともたいした影響は与えないほど、本家の権力は盤石だったはずで。
まさかの経営難に陥り、困難極める学校運営再建を押し付けられた俺の母を手助けするために運営に関わり、気がつけば理事長にまでのしあがっていた。
本家の後継者がボンクラ揃いだったのをいいことに、水面下で暗躍したのち経営権を奪取した手腕は見事としか言いようがない。
再建だけ押し付けて、本家の権力に胡座をかいていたヤツらは、まさか分家に乗っ取られるなんて想像もしていなかったに違いない。
結婚もせず教育に邁進してきた分家の若造に足元を掬われるなんて思ってもみなかったんだろう。
学校の教職員のほとんどは、本家の、創始者一族に連なるボンボンが棚ぼたで理事長になって、好き勝手に学校を弄んでいるって思い込んでいるけど。
強引な部分もあるけれど、本質的に学校運営を適正化したいっていう理事長の思いは間違っていない。
放漫経営で学校そのものが倒れてしまうより、形を変えながらでも学校の歴史を永らえさせたいという思いは、本物なんだ。
それが分かってしまうから、色々へらず口はきいても、最終的に俺は逆らえない。
まあ、茶道部は守るつもりだけど。
?
理事長の変わり身に驚いて目に入ってこなかったけど、何となく室内の雰囲気がおかしい。
今まで穏やかに、自然体でいたはずの、お師匠さまを様子が。
明らかに挙動不審。
手元が狂って棗を倒すなんて、らしくない。
よく見たら、顔色も悪いし、震えている。
「ゆりえ? ……ゆりえ、なのか? お前、生きて……」
理事長が……伯父貴の声も、震えている。
というか。
今、なんて?
ゆりえ、って言った?
まだ、紹介もしていない、はず。
俺だって、先ほど名前を知ったばかりだから、まだ伝えていない。
それに。
お前、生きて、って言った?
それは、死んでいたって、思っていたってことか?
……知り合い、なのか?
不意に。
ゆりえ、という名前が、記憶から甦ってきた。
昔、一度だけ、聞いたその名前。
『もし、ゆりえが生きていたら、こんな風に、お前にツラい思いをさせなかったのにな』
いつの頃か、伯父貴が、実の父親だと知った頃。
愚痴めいた呟きは、『何でもない、忘れてくれ』という打ち消しの言葉と共に、それ以上の追及を許さず。
そのまま、素直に忘れていた俺。
でも、あの言葉は。
「……気分が優れないので、申し訳ありませんが失礼させていただきますわ」
お師匠さまは、ゆりえさんは、青ざめたまま、よろよろと、でも足早に逃げるように作法室を出ていき。
慌ててサホがそれを追いかけ。
「遠藤、あと、頼む」
それだけ言うと、呆然としている理事長を強引に理事長室まで連れていった。
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