これは悪い夢に違いない!

「センノ・リクです」


 千野利久、と黒板に書かれた名前。


「大学卒業後、臨時講師などしながら、2年ほど色々な学校を回っていました。担任を持つのは初めてなので、皆と一緒に勉強していきたいと思う。よろしく」


 間近で見ると、端正な顔のラインが、はっきりとわかる。


 大学卒業後、2年……ストレートに行っても、24、5歳? ……うそぉ!


 今は、きっちり髪を固めて、メガネとスーツで、何となく大人っぽい感じを出してはいるけど……。


 近くで見れば見るほど。


 あの眼鏡を外して、髪を下ろして。


 脳内補正をかけると。


 20過ぎには見えない……。


 でも、間違いない。


 私のファーストキスを奪った……あの人だ。


「専門は国語、古文だが、日本史も兼任する」


 教室内に、えー! と、きゃー! いう声が同時に響き渡る。


 必修教科の国語はともかく、古文と日本史Ⅱは二年生から選択教科なので、受ける生徒とそうでない生徒がいるんだ。


 ついでに言うなら、「えー」は受けない子達が叫んでいたもの……そして私は。


「きゃー」×かける2。


 古文も日本史Ⅱも、選択している……。

 でも、素直に「きゃー」となれない……。


 だって。


 ヤバいんだよー!

 軽く「きゃー!」なんてできないの!


 マジ、目が合ったりしたらどうしよう!

 伏せ目がちに、そっと見上げるのが、精一杯。


 ……胸がバクバクする。


 ヤバいんだよー!


 苦しい……息が詰まりそう。


 あんなに憎まれ口叩いてたくせに、本人を前にしたら、目を合わせることもできないくらい……好き、かも。


 ホントに、マジぼれしちゃったみたい。


 だけど。


 あの人は、先生、なんだよー!


「……じゃあ、出席をとるので、簡単に自己紹介してくれ。……」


 自己紹介!

 うわぁ!

 どうしよう!


 まさか、目をそらして話すわけにもいかないし……。

 な、なるべく、みんなの方を見て、話そう……。


 名簿順で自己紹介が続き。


「次は、ナカザワ……サホ? ……ふーん……」

「な……!」


 フッ、と鼻で笑われ、私は思わず立ち上がり……先生をガン見してしまった。


「……」


「ナカザワ……?」


「……はい」


 もう、こうなったら、開き直るしかないよね?

 私は、ジッと先生を見つめて、口を開いた。


中沢なかざわ茶朋さほ、です。お茶の茶に、朋友ほうゆうほうと書いて、サホ、と読みます」


 一息にそこまで言って、先生の表情をうかがう。


 全く変化なし。


 笑っているような、そうでもないような、アルカイックスマイル。

 慌てた様子は、微塵みじんもない。


「名前の通り、お茶の友の和菓子が好きです。茶道部に所属してます。只今部員大募集中でーす」


 そう言うと、クラスのみんなは、ドッと笑った。

 けど。


 先生の表情は変わらない。

 ううん。

 笑っては、いるんだ。


 みんなと同じように。


 新しく教え子になった生徒の自己PRで、クラスメートが笑いさざめくのを見て、微笑ほほえましげに。


 自分も、思わず笑っちゃいました、と、少し困ったように。

 

 先生の、顔で。


 あくまで。

 全く、何にも、知らない顔で。


 キスした相手だって、気づいてないの?


 それとも。


 記憶に残らないほど、ドーでもいいことだった、とか?



 私の……ファーストキス、なのに……?



 ファーストキス、だっていうのに……!


 こんな男に、マジぼれしちゃった、なんて……!





 あ、悪夢だぁぁぁっ!



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