52歳の誕生日は病院で~
パパちゃんの誕生日が来る。
プレゼントは買ってある。
誕生日にはコトちゃんの手作り。料理教室での最後のレッスン。ケーキを作るので、それを食べようと約束してた。
コトちゃんは5年生から全国展開をしている大人の料理教室に通っていて、本当だったら小学校が終わるときにすべての授業を終わらせるはずだった。休んだり、授業を増やしたりしていて、ケーキの授業が残っていた。
それを、今年のパパちゃんの誕生日ケーキにすればいいね。
今までにコトちゃんが作ったケーキはどれもおいしくて好評だったから。
倒れる前にお願いしていたことだった。
パパちゃんのお誕生日なんです。子供の作ったケーキでお祝いしたいんです。コトちゃんと面会しやすいと思うんです。
病棟の看護師さんに事前に相談・お願いしていて。
食事は食べ始めたと言っても租借はかなり大変なことで。
二年後の今から考えるとかなり無謀なお願いだったなぁ~と思う。
スポンジみたいなぱさぱさしたものは飲み込みにくいので難しいと思います・・・と事前に言われていた。
ちょうどムースケーキだったから大丈夫!!!
何度もそんな会話をしたと思う。
スプーンだって持つのに苦労していた時期。
ゆるゆるのゼリー状の者しか食べられなかった時期。
話しかけても反応がないのがほとんどで。自分の意志で声を出すこともなくて。左手がやっと動けるようになった時期で。看護師さんから言われたのはピンクレディーのUFOは歌われますよ。と言っていて。
リハビリ病院に移ってから歌は言葉とは違う脳を使うので・・・言葉とは別ですと言われたけれど。ちょっとした反応が嬉しかった時期。とにかく私自身は元気よく、少し興奮気味で話をしていた時期だと思う。それは自分が倒れないように。元気でいるために。
誕生日の前日に私宛に小さな宅配があった。
何かわかっちゃう。
涙が止まらない。
私宛のプレゼント。
パパちゃんの誕生日は結婚記念日で。
結婚記念日を忘れないようにパパちゃんの誕生日に結婚した。
パパちゃんの誕生日はお祝いするだけではなく、パパちゃんも私にプレゼントをくれるのが恒例の事だった。
今年はないと思っていたよ。
今年だけじゃないよね。
もう・・・プレゼントはもらえないと思っていたよ。
たぶん・・・というか、パパちゃんのいつもの行動からすると、倒れた日の私たちが帰ってくる前に注文していたんだな。きっと。
小さな色のついた石が三つ着いた可愛いピアスだった。
その話をパパちゃん担当の看護師さん何人かにした。ちょっとした自慢話。みんな感激してくれた。
お祝いをしましょうと言ってくれた。
料理教室の終わり、迎えに行って。それを持ってパパちゃんの病室に行く。
8人の大部屋でカーテンで仕切られている真ん中。
ベットを起こして。病院の寝巻を着ていたぱぱちゃん。
「お誕生日おめでとう。プレゼントもらったよ」
私は元気に笑顔で言った。
ノアちゃんもしかめっ面だったと思う。口数も少なくて。おめでとうと言った。
私もプレゼント用意していたんだけど。
倒れる日。昼間お出かけを舌帰りに用意していた大好きな電車の本は・・・・見向きもしなかった。いらないとつっかえされて。大好きな電車だよって言ったけど反応は芳しく。
今から考えたら、表情もひきつっていた時期。
コトちゃんのケーキを開ける。
15センチほどのホールのムースケーキ。
リハビリの先生と二人と看護師さん二人!!4人が見守る中スプーンですくって一口だべた。
「もっと(食べたい)」・・ともごもごとパパちゃんは言った。
カロリーを管理されているので食べられないよ。
誤飲が怖くてリハビリの先生が二人と看護師さんと、そのあとまたリハビリの先生が来て、七人でお祝い。
コトちゃんが書いてくれた花束の絵と、お正月に家族写真を持って行って、見えるところに貼ったけれど、見向きもしなかったよね。
あと
あれ・・・あれ・・・動かせる手で何か欲しいと言っているけれどそれが何なのかわからない
コトちゃんが・・・
「メガネのことじゃないの?」
というからメガネ?
と聞いてもメガネの単語も、どうゆう物かもわからない。
翌日持っていくと、メガネだったとわかる。
極度の近眼なので、メガネがなければ全く見えなかっただろう。
メガネがないので余計にぼんやりとした世界にいたんだね。
コトちゃんの連想!ばっちり当たった!!
その後も私の面会はづづく。週末は黒じいじとコトちゃんの面会も。部活で忙しいノアちゃんはたまに面会に行くぐらい。
1カ月は長かったような短かったような。
長かったように感じるのは、体が動かせないところから、車いすに移譲できるようになって、スプーンを持つことができるようになって、座れる時間が少しづつ長くなって、ベルトを締めなくても座れるようになって・・・と日々進化があらわれていたから。
短かったのは、毎日が必死だったから。週に一度以上は実父・白じいじの有料老人ホームでは愚痴を1時間聞いて、実母:白ばあばのところで面会を30分ほどして、週末は舅:黒じいじと食事をしてその準備とか。その間に打ち合わせやら説明やらあったりと。ぐったりだった。記憶も定かでないところも多い。
急性期病院には最長でも1カ月しか入院できない。
ぎりぎりの日に7月8日にリハビリ病院に転院した。
退院の日、出発する前に、おむつをしているけれどトイレに行く様子を見た。体の大きいパパちゃん。つかまって立つのがやっとで女性二人がかりで支えてトイレに座らせる。
車いすに移譲するときも立っていられないので結構大変。
あ~~うーーしか言えない。
介護タクシーに乗ると周りの風景がとても不思議に見えるようで睨むように見ていた。
触っていたほうがリハビリになると聞いていたので、ことあるごとにさすっていたから、タクシーの中でも手をさすっていた。けれど、じゃまだったのか、払われてしまった。
った
そんなことする人ではなかったのにな。
さみしく思う。病気だから仕方のないこと。言葉では理解をしているけれど。本当のところは理解できていない。
いつだったか。
倒れてすぐに人格がかわるのかと聞いたけれど、変わった様子はない。
でも確実にできないことは増えていて。
心はどこにいったのだろう。脳は心と直結しているのだろうか。
使えなくなった脳の部分のパパちゃんはどこにいったのだろう。
使えなくなった脳の部分のパパちゃんは死んでしまったのだろうか。
なくしたものは・・・・たくさんあるような。
のこったものも・・・それなりにあるような。
そんなことを考えると、子供ってすごい、赤ちゃん誕生・・・ひいては生き物の多安生ってすごいとおもってしまった。細胞一つ一つが必要に応じて変化して人間としてあるいは違う生き物に形成されていく。それぞれ必要な育つ期間をへて。
それは本当に奇跡なんだな。人間はたった2つの細胞の出会いから10か月して生まれてくる。それは本当に奇跡なんだと思うようになった。ありがたいこと。授かりもの。大事な授かりもの。何も残すものがない私には次の世代、そして私の知らない、出会えないだろう未来の子供たちのためにバトンを一つ渡したんだなと思うようになった。細胞一つ。見えない細胞でも大切な大切な命。生まれてからも第二次成長期までさまざまに成長していく。心と知識はその後も成長する。
なんてすごいんだと思った。壊れても修復したいと細胞が願うことを私はまだまだ理解していなかった。2年後にはもっと修復、成長しているとはその時は想像もできなかった。
パパちゃんの誕生日。コトちゃんがケーキを持って行ったときの表情はあまり覚えていない。ノアちゃんの様に元気づける言葉も、涙もなかった。
まわりに患者さんやスタッフがいたし、多感な年ごろだし。
2年後の今だったら、中学三年生の今だったら、私のいい加減さを突っ込んだりするのだろうけど。
ちょっと前までは小学生で、ちょっと前まではママちゃんが忙しいならパパちゃんに・・・甘えていたので。
淡々と現実を受け入れていたのかもしれない。
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