そもそもの我が家の介護の始りと途中経過と最近までの事

時代や地域、個人の状態によって違うと思います。私の、我が家の介護歴をこそっと書き留めました。




始まりはちょっとしたことで。


2012年1月白じいじ81歳白ばあば78歳ノアちゃん8歳コトちゃん5歳

白じいじ、ばあばは10分ぐらい離れた場所、私の育った場所でずっとで二人で暮らしていた。


週末は孫たちを連れてよく実家に来ていた。


白ばあばの物忘れがひどくて、何度注意しても忘れてしまう。こちらも何度も同じことを注意して疲れている、だからうちに来たときは白ばあばをこれ以上注意してくれるな。


と、普段柔らかな物腰の白じいじが語気を荒くしていう。



2月

以前に白ばあばは手のしびれを訴えたことがあり、脳神経外科に通っていたので、そこの先生に相談することにした。

すぐにMRIと長谷川スケールの検査があり、アルツハイマー型認知症と診断される。

薬を処方されたが、合わなくて1週間で-10キロ。布団から起き上がれなくなる。再受診して薬はやめることになった。

包括支援センターに初めて連絡して面談、介護保険の申請、認定調査を初めてする。




3月

包括支援センターから紹介を受けたケアマネージャーさんと初めて会う。介護ってどうすればいいの?ケアマネさんって何?介護まったく初心者なのでパパちゃんも一緒に立ち会ってくれた。ケアマネさんに提案されたデイサービスを見学したりして、週三回二か所に分けデイサービスに行く。


しばらくはデイサービスに通う日々。ご近所でデイサービスに行っている人が少なくて、白じいじは恥ずかしい・・・と思っていたみたい。自分の時間を持てるためにちょっとだけ行きたがらない白ばあばをうまく促していたと、言っていた。



2014年7月

黒ばあば、胆管癌で入退。夏休みに入る1週間前。計画していた旅行や予定をすべてキャンセル。

年内は抗がん剤治療のため短期入退院をチャレンジするが、ほとんどできず。


2015年1月

在宅介護に切り替え、訪問医、訪問看護師が来る。



2015年1月21日

白ばあばデイサービスでの健康観察で発熱確認。呼び出されて病院へ。インフルエンザと診断。

白じいじにマスクをつけること、薬の事などを指示して帰宅する。


朝、登校、登園の後、すぐに実家白じいじ・白ばあばのところに向かう。家に着くと、ちょうどトイレが終わったところ、立ちががれなくて抱えるのに大変だったと、白ばあばが興奮気味に話す。自力で起き上がれないほど。本人は病院に行きたがらない。「寝てれば治る」の一点張り。立てないのでどうしたらいいか迷う。救急車を呼ぶレベルなのか・・・車で病院に連れていくのか。とりあえず、白ばあばのデイを休むのでケアマネさんに連絡すると、救急搬送するように後押しされる。救急車を呼ぶのが初めてなのですごく緊張する。


入院できる病院がなかなかなくて、市境の普段いかない病院に搬送。



インフルエンザ。入院。


認知症のばあばには常に見守りが必要のため、我が家への同居が始まる。


白じいじはせん妄があったり、臨死体験のようなことを言ったりした。

入院1か月ほど。


洗濯物は自宅でする病院だったので、毎日のようにちょっとだけ行く。


姑:黒ばあばの状態も安定はしているので、本当はいろいろお出かけなどしたかったけれど。実父:白じいじの容態も安定しないし実母:白ばあばとの同居していたのでできなかった。


自分の両親白じいじ。ばあばの事は話せなった。

姑:黒ばあばにはちょこっと言ったけれど。


黒ばあば・じいじも大変だったから。


とにかく黒じいじは家事ができない人で。黒ばあばが色々教えていた時期で。


弱音は吐けなかった。パパちゃんも自分の事でいっぱいだったから。


だから私は一人で泣いた。

私は運転中泣いた。私の好きなK-popのアーティストが歌った『upon this rock』を聞いて泣いた。


曲を聴くとき、どうしても涙が出て泣いた。


その後、5年近くになる同居でなんでこのときすっぱりあの世に行かなかったのだろうと何度か思った。介護はいつ終わるんだろうって。

この時が終わりの時なら、きっと感謝しか残らなかったのに・・・と何度もおもった。



2月中は入院

毎日のように病院に行く。話せるようになると一日おきにしたけれど。なるだけ毎日来てほしいらしい。


3月

白じいじは退院してきたばかりで他に、在宅介護の姑:黒ばあばと実母:認知症の白ばあばがいるのですぐにケアができないので、退院後施設に1か月ほど短期入所してもらい、普通の生活に戻る準備をしてもらう。私たち家族の休息と、在宅介護への準備期間でもあった。


退院してきて在宅介護。6畳の部屋に介護ベットとばあばと私が寝て。いっぱい。夜2時間おきにトイレの介助をする。昼間はデイサービスに夫婦二人で行ってもらうことになった。


ノアちゃんの卒業式もデイサービスの送迎の時間で行けるかどうかひやひや。途中から参加と思いきや、デイサービスの施設と担任の先生の配慮でなんとか最初の入場から参加できた。


このころは食事と洗濯にふりまわされていたっけ。ノアちゃん、コトちゃんが小学生で私服だったし、白しいじと白ばあば二人分増えたのと、デイサービスでお風呂に入れてもらっていたので、もっていく分と、帰ってきてからの洗濯物と。

あっという間に増えて。たたむのが大変。そして所定の場所にしまうこと。ノアちゃんとコトちゃんは小さいこともあるしじいじとばあばの介護なのであんまり実感がわかないようで。お手伝いの習慣もなかったので。いきなり大変。お手伝いは習慣化しておけばよかった。


そして食事も。5人分。中学生になったノアちゃん。塾とか部活とかで時間が違うし。朝から晩まで食事の準備と片付けと。趣向品の買い出しとか。中学になればお弁当なので朝も準備しなくては。頼むこともできたのだけれど、ノアちゃんはできれば作ってほしい(冷食つめるだけなんだけれど)と言ったから。



そして認知症の白ばあばの余暇という名の時間つぶしのアイテムを準備することも。

よくやったのが、iPodでのオセロ、餃子づくり、着物をほどくこと、塗り絵。

無料サイトでいっぱい塗り絵をプリントしていたな~~~。


私の休憩はトイレ。

トイレが唯一の個室でよくこもっていた。

椅子に座るとすぐに眠ってしまっていた。

その頃の癒しはK-popのライブ。その日だけはパパちゃんが予定を調整してくれて昼間から夜までお出かけ。



5月

黒ばあばが私の癒しK-popのライブビューイングの時に体調を崩してあきらめようと思ったが・・・パパちゃん、何が何でも行っていいからと行かせてもらう。



6月

実父:白じいじ、おう吐。時間外救急に行くが、薬をまた吐いてしまい、総合病院の時間外で、点滴を打ってもらう。



7月

黒ばあばが段々と体調が悪くなる。

今まで白じいじにはないしょにしていた、姑:黒ばあばの癌。終末期になるので、終わりの決めてないショートステイに行ってもらえるようにお願いする。



7月の下旬

いつもの訪問看護師さんが黒ばあばと二人の時に『孫に人が亡くなるところを見せたいので最後までお願いします』とおっしゃったと涙ながらに私たちに伝えてくれる。



8月10日黒ばあばが亡くなる。

訪問医さんからは2~3日前の回診のときにそろそろ・・と言われていたし、10日の朝、訪問看護師さんから、出勤をしないほうがいいと連絡をもらった矢先だった。

黒じいじが朝の支度をするため台所にいったほんの一瞬の間のことで。

旅立っていった。


葬儀が終わり、数日してから、白ばあば、白じいじは帰宅


9月4日

白じいじ寒気がするから・・・と布団を取りに行ったら転んでおでこを切る。発熱していたらしい。救急搬送。子供たちだけでパパちゃんが帰宅するまで黒ばあばと留守番。認知症のばあばを中1と小3に任せるってどうなのと思いながらも。それしか方法がない。

後で聞いたら、ぐっずり寝ていたとのこと。


そんなことがあったので、いつもショートステイをしている施設で、白ばあばは預かってくれることになった。


このころ白じいじが大変で・・・あまり黒じいじのところに行けなくて・・・白じいじのことを黒じいじに行ったら「こっちだって大変なんだ!白じいじ、白じいじって言うな」見ないなことをパパちゃんは言われたらしい。

それからは親の事はそれぞれには聞かれない限りは言わないというのが暗黙の了解になる。



私は、この年10月までコトちゃんの小学校卒業と中学入学・・・そのほかノアちゃんの運動会とか行事がもろもろあったのだけれどあまり記憶がない。


2016年

2017年

毎年白じいじがお熱をだして大ごとになったような気がするが・・・よく覚えていない。白じいじには訪問看護師さんに来てもらっていたので夜お熱を出して、自宅で寝ずの番をしたこともある。起きるたびにポカリスエットを口に運んで、体温を測って・・・。


2018年7月

実父:白じいじ胆石で入院。内視鏡で砕く。腎臓が悪いので一回入院すると4週間ぐらいは入院になる。

入院すると毎日行かないと、なんで来ない?と言われる。病状が安定してきて、病院に行かない日は「子供の授業参観があって」など、理由がないと断れない。

ほんの10分ぐらいしか会わないのだけれど。とてもおとなしい、奥ゆかしい方なので、自分からあれこれ言えないらしく、色々あったこととかを聞いてほしいらしい。



2019年3月下旬~4月9日

実父:白じいじおう吐と熱で入院。

コトちゃんの中学入学(日程を私が間違えていて休みをとれていなくてパパちゃん参加できず。またまだ行事は・・入学式だって高校のがあるから・・・と言ったのは私・・・・)

退院後、在宅で最後まで・・・と思い、通院から訪問医に切り替える。




5月4日

実母:白ばあば入所施設で早朝倒れてるところ見つかる。頭を少し切っている様子転倒らしい。呼び出されて救急搬送 圧迫骨折とのこと。施設での療養となる。


GW。白ばあばが倒れていたけれど、半年前から予約していた工場見学とかあったので、白ばあばの事は心配は心配だったけれど、遊びに行く。

黒ばあばが倒れた直後キャンセルした夏の旅行の事。キャンセルしたことをずっと後悔していて。次にそんなことがあったら、絶対に行く!!!と私自身が豪語していたので。


結果的には・・・この数日のお出かけが元気な姿で家族で行く最後のお出かけになった。




6月8日

11;45パパちゃん倒れる



色々な方からのアドバイスで、空きのある有料老人ホームが市内であったら入所してもらうことを白じいじにもお願いし、了承してもらう。


白じいじショートステイ先から

6月20日

白じいじ空きのある有料老人ホームに入所

トイレが自室にない古いタイプの老人ホームで。夜トイレに立つのが不自由で不満。

面会に行くと30分以上、不満を聞かなくてはいけない。面会も週に1回以上はなくては不満がる。


6月の下旬

白ばあばの認知症が進んだとのこと。今いる施設は施錠がないため、同系列の認知症の

施設への移動を打診される。了承する。


7月8日

パパちゃん、リハ月ビリ病院に転院

自宅での洗濯なので(コインランドリーはあるけれど、使い方が全く分からない状態)週2回片道40分以上のところを通う。カレンダーを見て次の日程を決めないと不満。週に2回来ないと不満。


7月18日

白ばあば、別の施設へお引越し。



11月18日パパちゃん退院

本人の帰宅願望が強く自宅介護が始まる。

デイサービス(リハビリ含)、訪問リハビリ、ヘルパー(入浴介助)をお願いする

デイサービスは自宅送迎があったりで忙しい。




2020年

2月ごろからコロナが日本でも騒がれ始める。


3月子供たちは学校が休校になる。


以降

介護職員の皆様と子供たちにも力をかりて毎日を過ごす。


6月22日

パパちゃん障がい者自立支援施設に入所

コロナがなければ3月の終わりごろには入所を目指していたけれど。帰宅できないと自宅での動線を忘れてしまうので、少し緩和されたので入所をする。


月に2回ほど帰宅。


入所は私が家計を立て直すのが目的の一つでもあった。


7月に仕事開始。

20年のブランクは私を堕落させていて。まったくもって使えない人でした。私。せっかく採用してもらったのに。3カ月で退職。


9月

実父:白じいじおう吐胆管炎

退院するがもう一度救急搬送


12月

パートを始める。

ここでも私・・・本当に使えない人でした。どうなるんだろう私・・・・。我が家。頑張らなくてはいけないのに。頑張れない。私が家計を立て直さなくてはいけないのに・・・・。


12月24日

申請してあった生命保険が下りると連絡あり。

春に年に1回届く保険のお知らせ。問い合わせたら申請したほうがいいと言われたものを、コロナ禍で夏過ぎまで申請書ができなかった。すっかり忘れていた事。


心に余裕が生まれた。

がんばらなくても、少し気をぬいても大丈夫・・・と言われたような気がして。




2020年年末年始

パパちゃん正月帰る

それ以降は施設からの外泊・面会禁止になる



2021月2日11日

黒じいじ急性心筋梗塞

コロナ禍ではあるけれど、ICUにてひとりづつ面会させていただく。

12日

早朝5時。病院に呼ばれて、行く。ICUで手をずっとなでる。1時間後、6時5分亡くなる



2月22日

白ばあば、施設で呂律が回らない様子だから脳外科に行くと連絡あり。その後、総合病院で左脳梗塞と診断。入院。

口からの栄養は取れないとのこと。そのまま施設に戻って最後をお願いする。

施設も了承していただき3月16日退院。


17日

別の施設にいた白じいじと、ノアちゃんと面会に行く。

私は毎日短時間の面会に。


19日

体調がよさそうなのでお昼間にお風呂にはいってもいいですか?と連絡あり。ありがたくお願いする。午後は面会に行く。

9:45 夜 連絡あり。亡くなる。


2021.6月28日にパパちゃん退所

在宅介護になる



もうちょっといろいろあった・・・と思う。




色々・・・ほんといろいろ・・・・あったな。

毎回思うところはいっぱいあって。悲しいこと。もっと違う方法があったのではないかという後悔。たくさんあるけれど、振り返れば、フラグが立っていて、ずっと後に回収している。その時は必要でないことも、あとで必然になっていたり。



終わりよければすべてよし・・・なのかな。


終わって、過ぎてしまわなければわからない・・・・のよね・・・・。

ほんと、最期の一瞬を通るまで。






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