学生と介護〜ヤングケアラー 〜

パパちゃんの介護


子供たちに


当てにはしない。

でも、時々支えてほしい。


そう言ったのは過去の友達の影響。


大学生活は京都で過ごした。私は卒業して関東に帰る。



今となってはうろ覚えでしかないのだが、大阪十三の近くに住んでいた友達の友達。学年では1つ下の後輩がいた。友達の友達だったけれど仲良くて、頭脳明晰、気遣いのできる子で,いつも笑っている子で。お父さんは会社員でお母さんはブティックを経営していて、お姉さんは子連れで出戻っていて、小さな子供の面倒を見ていた。認知症を患っていたおばあちゃんと当時はあまり家にいないお兄さんも同居だったと思う。



卒業した翌年の1月17日神戸淡路大震災が起きた。

連絡が取れた京都の友達も揺れたといっていた。

ニュースで流れた通り、阪神は大変でなことになっていて。



その子も地震があって、被害にあってマンションに住まいを移して。彼女は大学院に進学した。ずっと、おばあちゃんのお世話をしていたという。おばあちゃんがいるから、おばあちゃんの時間で動いていたようだった。介護保険が導入されるずっと以前のこと。その後どういう半生を生きたのかわからないけれど、ずいぶん時間がたってから、家を出たのを聞いて。ほんの数年前、お子さんが生まれたという年賀状が届いて。『この年で子育てです人生わからないものですね』というようなことを書いてあった。


人づてに聞いた話だから、本当にそうかわからないけれど。



おばあちゃんの介護をしていたようなそぶりがあった。彼女だけがお世話をしていたのかはわからないけれど。他の理由で就職をしなかったのかもしれないけれど。もしかしたら、おばあちゃんを見る人がその子しかいないから。お父さんも働いてているけど、お母さんが働かないといけなかったのかもしれない。働くのがすきだったのか。ずっと家族のために家のことを・・・介護をしていたのかな。他に代わる人や変わる手段がなかったのかな・・・・何があったかは当事者の家族しかわからなくて。心の内を知るには卒業してから交流もほとんどないけれど。



介護には手がいる。


でも子供を介護の当てにしてはいけない。子供には子供の人生があるから。

たまに支えてほしいとは思う。


すべての人に当てはまるとは思わないけれど、その子の様子を知って思う心構え。



それでも、どうしても手が足りない。

甘えるわけではないけど、パパちゃんのデイサービスのお迎えをしてもらう日が何日かあった。。


一日だけ学校を、掃除と終わりの学活を抜けてもらう日があった。

一日だけ学校を早退してもらうとき。かなりドキドキしたみたいで。


誰にも知られずにすっとぬけられればいいな。

何時に抜ければお迎えに間に合う?


誰かに知られたらどうしよう。早退の理由が父親の(デイサービスからの)お迎え・・・・。


どうしよう。

どうしよう。

大丈夫かな。

誰にも見つかりたくない。

なんで早退するのと聞かれたくない。


その日まで、どうしようと何度も何度も言っていた。


当日はタイミングよく、すっと早退できた。


って帰宅してすぐに玄関でいの一番に言っていた。




パパちゃんを玄関で送迎車から降ろしてもらって、車いすを降りて玄関まで杖歩行の介助。

玄関で室内履きに替えてから、洗面所への誘導。手洗い、うがいの誘導。介護ベットまでの歩行の見守り。

そのあと、車いすを玄関まで引き入れて。

パパちゃんの飲み物を出す。

カロリー低めのジュースをガラスコップに印がついているところまで。

飲み物を飲まない場合は「飲んで」と声かけ。


いつも私がしていることをささっとする。




玄関にやってきたコトちゃんに、ありがとう。助かったよ。とたくさん言った。





倒れて、入院した直後。


ノアちゃんは、学校と部活が忙しいながらもその日のパパちゃんの様子をきいてくれたり、普通に話して反応してくれる。


コトちゃんは、何の反応もない。面会にも行くとも言わない。



ノアちゃんは

(すごいショックになるから)だから~~二階にいなさいって叫んだのに・・・パパちゃんが倒れる姿を見るのはショックだと思うよ


と言ったし


ひとり留守番をしてるコトちゃんを見て

中学一年生で(パパちゃんが目の前で倒れるって)きついよね。これが中学三年生だったらまた違ったのに。


とか


私が中学生だったときは(パパちゃんが)いてくれたから(ママちゃんがほかの介護があっても)いろんなことができたけれど、コトちゃんはいろいろな体験ができなくてかわいそう。

とか言っていた。


コトちゃんは、何も言わない。

倒れた後のパパちゃんとコトちゃんが初めて会うのは今後の家族の方向性にもかかわる大事な場面だったと思う。


私。何にも考えてなかったけど。



ノアちゃんの中学1年の時は姑・黒ばあばが夏に亡くなった。

最後の時間、コトちゃんは、ばあばの近くに呼べばすぐ来て元気に過ごしたけれど、ノアちゃんは近くに寄らなかった。呼んでもすぐほかの部屋に行く。

「一人になっちゃう黒じいじの相手をする」って言っていたけれど、多感な年ごろ。病気や人が亡くなることはショックなんだろうとその時思って、見守っていた。


だからコトちゃんとパパちゃんの面会も、あせらず様子を見ていた。


ちょっと、声をかけた時もあったきがするけど、日々病院であったことを、食卓で話すので、状況は分かっていたと思う。

病院であったことを話しても反応はほとんどなかったように思う。


倒れる前に、パパちゃんの誕生日はコトちゃんが作るケーキにしようといっていたから。

ケーキを持って倒れた後、初めての会うパパちゃんに面会したら?と勧めた。特に嫌とはいわなかったから、その日が初面会日となる。

詳しくは『52歳の誕生日は病院で~』に書いてみた。


倒れる前に約束していた通り、ノアちゃんが料理教室で最後に作ったケーキを持って病院でお祝いした。



1年半も過ぎて。コトちゃんの中学2年生の終わりにアンケートを持ってきた。


ヤングケアラーの実態調査。


初めてヤングケアラーという言葉を知った。


ネットで答える匿名アンケート。

こんなかな、あんなかな、と言いながら回答したけれど。うちはそんなにケアーしてないよねと言っていた。



テレビでも小学校からヤングケアラーだった人のニュースを見た。

うちはこんなにケアーしてないね。といった。


どこの家にも不自由さはあると思うけれど


コトちゃんは修学旅行2日前に「本当ならキャンセルするほうがいいのかなって思ったこともあった。そのほうがお金が戻ってくるから」


心がぎゅ~っと切なくなった。そんなこと考えていたんだって。そんなことを思っていたの。


修学旅行は、もう2度とないから。入学してすぐに費用は払ってあるから大丈夫だといって送り出した。



パパちゃんが障がい者手帳を交付されてから、私たちが住んでいる地域では所得制限があるけれど片親支援を受けられるようになった。


学校の教材費や、修学旅行代など援助を受けている。

他の生徒にわからないようにしてくれているのは非常に助かることで。


支援を受けられるようになったのは1年半たってからで。コロナ禍で診断書がなかなか書いてもらえなかったり、審査がかなり時間がかかったり。本当に生活が苦しかったのはずいぶん前なんですけど。窓口の方もお待たせして申し訳ないとはおっしゃっていましたが。時期はずれても援助は助かります。親も子も少し安心できます。


ヤングケアラーの言葉を聞いて、ニュースを聞いて、頼れる大人がいない子だったら、大人が色々な情報を得ていなかったら、ずいぶん苦しいだろうなとおもったり。


プライバシーにかかわることを共有するのが難しくなってきている今。

おせっかいおばちゃん、おじちゃんが嫌煙される今。

SOSを出したくてもどうやって出すのか。出せるのか。わからないのは大人も子供も一緒で。


白じいじ、白ばあばにはケアマネさんが相談役、提案役、調整役でした。子供の世界にはその入り口がどこにあるのかもわからない。

子供が常日頃、長い時間接するのは学校の先生で。


私は担任の先生がだめでも、地元の行政にきましたが。じいじ、ばあばの時に行政に相談することを学んだから。


パパちゃんが倒れた時に、色々な人にぺらぺらしゃべりすぎ・・・と子供たちに言われた。特にノアちゃんに。

でも、いろいろな人にペラペラしゃべって、困った!!助けて!アイデアあったら教えて!と教えを乞うて助かったこともたくさんあったから。気持ちの面でもため込まずに助かったと思う。相談は・・・できる人が多いほど助かる。と思う。



コトちゃんが二年生になって先生がなんでもなんでも書いていいノートを全員分用意してくれて。書いたノートに一言返事が来る。コトちゃんは好きなアニメと漫画のキャラクターを描いていた。一日も休まず。先生も一言コメントを必ず書いてくれて。

最後に毎日欠かさず提出したのはコトちゃんだけになったらしい。

もしかしたら、息抜きになったのかな。とてもありがたかった。


今のクラスでも同じように進路とか、色々言いにくいことはノートに書いて提出できるようになっている。

私が中学の時にもあったな。パパちゃんもやっていたという『心のノート』




先生もいろいろ考えてくださっている。

新しい勉強、親への対応、今だとコロナへの対応。多方面に忙しいのもわかる。

小さい子ほど、ヤングケアラーは逃げ道が、抜け道がないように思える。

相談できる大人が多いほど安心できるのではないかと思う。大人だってそうだから。

その我慢は、我慢しなくてもいい我慢かもしれない。

先生、周りの大人みんなが子供たちの応援団になれればいいなぁ。



他人と違うことが恥ずかしかったり、つらかったりするけれど。周りに助けてくれる人、見守っている人があなたの応援団が必ずいるから、困ったら、信頼のおける人に相談して。

ママ(親)に言いにくいこと、言えないことがあるだろうと思う。そのときはあなたの応援団に、誰かに話せるといいね。



パパちゃんが倒れた時に話したこと。

その当時ノアちゃんには思い当たる応援団がいっぱいいたけれど、コトちゃんにはいなかった。

心配したけれど。なんとかなんとか過ごしてくれた。



大人の人が介護しても大変なのに・・・学生や子供が介護って・・・もっと大変だと思う。

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