翌々日も大変~子供のケアは誰がするの?

月曜日。

怒涛の週末が終わり、父不在の日常生活が始まる。


月曜日は週の初めで忙しい。


ノアちゃんは高校へ

コトちゃんは地元中学へ

コトちゃんはそれも、中学に入学したばかりで親睦のために一泊二日のキャンプへ


週末、パパちゃんが倒れたばかりなのにお泊りか~~~~大丈夫かな。



あわてて準備をした。


朝もいつもより早く出る。



学校にはどうするか。


コトちゃんはキャンプに行くので登校する時間もいつもより早い。


通常の欠席は電話でだけれど。今電話したらお休みの連絡と思われちゃうなあ。

私もドタバタしていて


同居の実父・白じいじのデイの送り出しの準備もあるし


ノアちゃん、コトちゃんには先生宛に同じ手紙を持たせた。



父親が土曜日に夜脳梗塞で倒れて入院していること。心細いのではないかと言うこと。様子を見てほしい事。

何かあったら連絡してほしい事。などを書いたと思う。


子供たちは学校に向かった。



白じいじのデイサービスがある。

朝お迎えのバスが来るまで玄関でまっている。

「パパちゃん見えないけど、でかけたの?」

「パパちゃん。土曜日に脳梗塞で倒れたんだよ」

なんだか、普通に「そう・・いつも帰りも遅くて朝早くて。早く寝ればいいのにテレビとか見てうたたねしていたでしょ」といか言われたのかな。


「倒れたの」

といっても

「そう・・・」

と驚くわけでもなくて淡々としていた。と思う。


そしていつかは施設に入所してほしいことを淡々と言って「そう・・・」と返事をもらったように思う。


仕方がないね

仕方がないよね


そんなことを言った気がする。



同居・・・していたからリラックスできなかったよね。

同居・・・していなかったらよかったのかな。



何がいけなかったんだろう・・・なんでこんなことになったんだろう・・・考え始めたころでもあった。





ノアちゃんの高校からは私が病院に行っている間にノアちゃんんぼ担任の先生からお電話があった。留守電に入っていた。また電話しますと。


入院初期。家族はよく病院に呼ばれる。



そして夕方お電話があって。大変でしたね。今日の様子はかわりありませんでしたよ。帰りに少し声をかけて、二人で話しましたが。お子さんにもこまったことは言ってねと話しました。みたいなことをお話したように思う。ご希望があればカウンセラーにお話しできるようにできますが・・・等々。




コトちゃんは一泊二日のキャンプから帰ってきて。

第一声は「(家族には)悪いけれど楽しかった」と疲れ切ったぶっきらぼうな声で言った。


本当はどうだったんだろう。後で見たキャンプの写真に写ってるコトちゃんは・・・不安そうだったよ。それは新しい環境が不安だったのか。パパちゃんのことがあったからなのかはっきりは聞いていないけど。


帰ってから、なぜか、先生に何か言われた?と聞いてしまった。

何も・・・と言っていた。

コトちゃんの様子は変わりないように思う。



私は毎日病院へ。行ってもちょっと顔をみるぐらい。

眠っているときも多いし、反応は少ない。完全看護、パジャマとかも病院指定のものだから、特にすることもないのだけれど。

日々、いろいろなことがあって、その都度先生の指示で個室に行っていたり、大部屋に戻ったり、脳の肥大が後から来たり、吐いちゃったり、頭が痛くてふらふらしたり。

急性期の入院は一か月しかできないこと。次の病院をリハビリの病院を探さないといけない・・・空きがあるかわからないし、すんなりと転院できないかもしれない・・・早めに相談したほうがいいとのことでソーシャルワーカーさんとお話をしなくては行けなかったり。



ほんと毎日いろいろなことが起こっている。



毎日、病院に行って。あったことを、同居の実父・白じいじが眠った後、子供たちにその日のことをさらっと話していたと思う。その頃は白じいじも一緒に住んでいたから。色々話しちゃうといろいろ言われて。しんどいので。


ノアちゃんが担当医から説明を聞きたいといっていたから調整してもらってお話を聞いたノアちゃんは学校帰りに1回だけ面会に制服でいった。



コトちゃんには始終不機嫌なかんじだった。その時の気持ちを聞いたことがない。



木曜日。

コトちゃん、学校から帰ってから困ったような不安なような雰囲気・・・。

放課後、廊下で何人かとしゃべっていると「お父さんもう退院した?」

と元気よく先生が声をかけてきたという。


えええええ・・・・・驚き!!!

退院なんてできる状況ではないんですが・・・・・・・・・・・・・・。

命はとりとめましたが、まったく、まったく動けないんですが・・・・



ええええ・・・・・・・・・・・・・??ビックリ



というのが私の反応で。


え??

先生がそう声をかけたの??

え・・・???


と確認したぐらいで。


怒りがなんだか出てきてしまって。


認識があまりにもかけ離れているので。びっくりして。怒りがわいてきた。


それも木曜日なんですが。

一週間も経ってないんですが。



『もう、退院した?』と言われたことにかなり頭に来てしまいまして。その認識がとても納得がいかなくて。すぐに電話をした。



学校ではどうですか?と聞いて普通ですと言われましたが、父親は退院なんてできる状態ではないこと、半身不随で、障がい者になること。入院がながくなること。

うちは大変なんですと話したと思う。


担任の先生は『はぁ。そうですか』を淡々と返事をして。

つかれからなのか、なんなのか、私はかなり語気を荒く話したと思う。

『それで、私は何をしたらいいですか?』

と最後に言われたので・・・もういいや。この人に何を言ってもしょうがない。私がコトちゃんをもっとよく見守らなければ。と思った。

『家がこんな状態なので不安定になるかもしれませんので、見守ってほしいです』というようなことを話したと思う。



そのあとコトちゃんには先生に嫌われちゃったりして、何かあったら言ってね・・・学校休みたくなったら休んでいいからね。付け加えていったと思う。



そんなことを言うのは普通なんでしょうか。

思わず

病院のソーシャルワーカーさんに姉妹の学校の対応の違いを語ってしまった。

ソーシャルワーカーさんはびっくりしていた。何か手伝うことありますか?とも言ってくれた。


担任の先生の対応が、納得がいかず、ことあるごとに皆さんの意見を聞いてみた。



ノアちゃんの幼稚園の時からのママ友Kさんもパパちゃんが大変なことを知って、大丈夫?何か手伝えることある?緊急時の引き取りとか名前使ってね

と話してくれる中、コトちゃんの先生の対応を愚痴ったら



先生は(生死にかかわる)体験をしたことがないのかもしれないね。お幸せな方なのかもしれないね


と。


なるほど。


介護生活を卒業したちょっとお姉さんのママ友Nさんに話した。ノアちゃんの中学生の時一緒に役員をやった時から介護のいろいろ話を聞いてもらっている。


うちの子の時もそうだったよ。危篤で、明日(学校に)いけないかもしれない、と切羽詰まって話しても『そうですか』だけだったよ。亡くなった後、子供のお友達が「ご愁傷さまです」とあいさつができても先生はまったくなんにもなかったと。『ご愁傷様です・・とも言えないのかしら。進路についてはいいかんじなんだけどねえ。』

そう言っていた。

私もよく存じ上げている別の先生で40代後半のベテラン先生のこと。


この話を友達で現役の小学校の先生にきいてみたら


担任の先生の対応の話をすると、おいくつの先生?若い方?と聞かれた。

若い方なら経験もなく、想像もできないのかもしれないのだけれど・・・






相談できる相手


白ばあば(実母)には施設の職員さんがいる。

白じいじ(実父)にはケアマネさんがいる。倒れた当初は訪問看護師さん、訪問医さんもいたな。

黒じいじには私がいて、

夫には病院のソーシャルワーカーさんがいて。

それは私を中心に点と線で結ばれた関係で。すべてのことを知っているのは私だけ。すべての采配は私がしなければいけないことで。


困ったときはそれぞれの相談できる相手に我が家の状況を話す。

何度も。何度でも。





ノアちゃんにはママ友Kちゃんのお子さん・・・幼稚園からの友達が先にフォローしてくれていた。学校の先生も声をかけてくれていて。


コトちゃんには・・・友達も一年後と変わっていたし、ほんの少ししかない部活動も入る予定がない。学校の先生も、見守っているんだかどうだかだし。新しい学年の先生に私も知り合いはいない。担任を超えて相談すること自体、先生方はあまりよろしく思っていないし。


コトちゃんの現状は誰が見ているんだろう。


ずっと心配。

これからも心配。


コトちゃんの担任の先生は、今年転任されてきた、お子さんが大学に入ったといっていたベテランの先生なんですが。

先生の個人スキル・・・個人の体験によるのだなあということなのかな。




コトちゃんには、先生はお忙しかったんだと思うよ。

困ったことがあったり、嫌になったりしたらママに行ってね。学校・・・休みたくなったら休んでいいからね。

ママが守るから。何があっても守るから。そう言った。


いじめにはマニュアルがあるみたいで対応できるけれど、それ以外は個人のスキルのたいおうなんじゃないかな。と思った。

心が折れそう・・・。



後々、そのころ、クラスでいじめの芽みたいなものがあったという。やっぱりその対応で忙しかったのだね。という話をしている。



ノアちゃんの先生からはカウンセラーとの面談もできますよと言われていてその話をしたら、

「カウンセリングルームに行くのを(ほかの生徒に)見られるのが嫌だからいいよ。大丈夫だから」

コトちゃんのほうは、市で運営している支援センターもあるのを知っていたから。相談事としては違うかもしれないけれどどうしても子供が困っていたら、学校ではなくそちらからアプローチをしようと思っていた。学校にも情報提供されるのを知っていたから。しんどいなら学校はいつでも休んでいいと思っていた。


コトちゃんは『何もしないでいい』といった。


我が家の前は登下校に使う中学生がとても多い。

私たちが知らない中学生でも、我が家にコトちゃんがいることを知っている人は多い。



ずっと後になって


11月の中旬。パパちゃんが退院するとき。

コトちゃんは「ノアちゃんは地元の学校でないからいいな~登下校で車いすのパパちゃんを見られる。いやだな」と言っていた。

「なるだけ、見られない時間にデイサービスの送迎をお願いするから。ごめんね」と私はいった。そんなことは実際出来ないのだけれど。


そのあとすぐに、「いいよ・・・大丈夫。大丈夫だから」と言ってくれた。


子供たちは

我慢する。

ママちゃんはがんばっているから。ママちゃん倒れられると困るから。

大人はママちゃんしかいないから。


色々理由はあるけれど。


申し訳ないと思う。今背負わなくていいものを背負うのは申し訳ない。

私の年でも介護はしんどい。


思春期で。反抗期のはずで。


コトちゃんの反抗期はきっとすごいものになると構えていた。

反抗・・・できる間もなかったね。小学校高学年の時ぎゃんぎゃん反発しあったのがちょっと早い反抗期で。もっとすごくなると思っていた。

私と対立して、パパちゃんがフォローするのかなって。

日常でも、ノアちゃんの対応が私で、コトちゃんはパパちゃんと一緒の行動が多かったから。



後にひとり親世帯の援助を金銭的に市からしてもらうことになるのだけれど、

(うちは)シングルマザーとはちょっと違うよねとノアちゃんは言った。

お友達ちでもシングルマザーのおうちは何人もいるけれど。みんなおじいちゃんおばあちゃんがしっかり働いていたり、フォローしてくれていたりして。


お父さんをがんで亡くした同級生は・・・こんな気持ちだったのかな・・・って言っていた。


がんで亡くなるのとちょっとちがうんだけどね。といったのは、黒ばあばをがんでみとったから。


パパちゃんは、まだ亡くなってないし。


そう誰かがツッコむ。主にノアちゃん担当。


それでも誰かをなくすのは同じかもしれない。



私一人ではできないことも多いから。


黒じいじは独居でフォローが必要で

白ばあばは入所中。パパちゃんが入院中に認知症が進んで、施設を変わることになるし

白じいじは急遽入所した施設が合わなくて、思案していて。

パパは入院中


日々の掃除・洗濯・食事


私から


「普通の人(同級生)たちが自由に過ごしている時間の10分をママちゃんに分けて。ママちゃんを手伝ってほしい」

真面目に話した。


それから、いつか来る永遠の別れの事をなんとなく、さらっと相談したと思う。

どうするか。


白じいじが先に旅立つ場合→白ばあば(認知症でじっとしているのが難しいので)、親戚、誰も呼ばない。

白ばあばが先に旅立つ場合→白じいじは立ち会う。(最後のお別れをさせてあげたい)二人は介助できないのでパパちゃんは立ち会わない。親戚に電話。

黒じいじが先に旅立つ場合→パパちゃんを具合によっては立ち会わせてあげたい。親戚には電話。



ノアちゃんは高校生だけあって、鋭い指摘をしてくる。


ノアちゃん:白じいじと白ばあばのお金がなかったら、介護費用はどうなるの?どうなってたの?


私:それは子供たち(パパちゃん、ママちゃん)がはらうんだろうねぇ。

子供が親の分の介護費用を払うおうちもあるのを聞いたことがあるよ。うちは一応大丈夫だから。


ノアちゃん:(費用がか自分たちにかからないだけでも)助かるね。


私:でも、パパの介護費用は、まだまだだと思っていたから貯金からなんとかするしかないねえ。


ノアちゃん:じゃあ、ママのは?ママの介護はどうなるの?私がするの?


私:そうだねえ。そうなるかな。パパまでは私が見届けるよ。(私の介護は)この家を売れば私一人分にはなると思うよ。あなたたちに残してあげられるものは何もなくなっちゃうけど。学歴(希望する進学先)だけはいけると思っているよ。





大学・・・学業が終わったら必ず就職すること。

人生、生きている中、不景気や、パパちゃんが倒れた時みたいに不慮の出来事は駆らなず3,4回あるから。その時自分でなんとかできるように。生きていけるようになってほしいと話した。



ノアちゃんが22歳、コトちゃんが18歳になる5年後まで、何としても、病気をしてもがんばる・・・と話したけれど。パパちゃんの最後までは頑張るよ。



私のがんばりは『5年は頑張る』から『パパちゃんの最後までは頑張る』に変更になった。





「ママ、ぎゅっと(ハグ)して」


新学期だからか、それとも夫が倒れたからなのか。


コトちゃん

中学生といっても二か月前までは小学生で。

ノアちゃん

高校生はまだ中学生の保護者にはなれなくて

(18歳になったら保護者になれるかなとかノアちゃんは言ったけど)

コトちゃん

気の置けない友達もいないし



「ママ、ぎゅっと(ハグ)して」

台所でいそ忙しくしていると不安があるとき、寄ってくる。


言わなくなったなと感じたのは二年後の最近のこと。

多いときは二人かわるがわる来る。


子供みたいだけど、子供だけど、安心するのはわかるから、外国の方がするようにぎゅっとする。


心配な時はへばりついてくるけど、ちょっとの不安の時はちゃちゃっとハグするだけと、気づいたのはほんとに最近。


今はもう・・・え・・・これだけ?これだけでいいの?って私のほうが思う。



ハグ。



私が頑張って、頑張って支えなきゃとおもっているよりもずっと成長してるんだなと思う。



頼りにならない親だからさ~~

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