倒れた翌日・・・というか当日?・・12時間後 娘との対面とそれから

6月の朝4時。


1日晴れるようで。すがすがしい。


明るい世界。


4時だから、大通りは頻繁に通っている車も全然いない。


いろんなことが頭の中で渦を巻いていた気もするし、

眠くて、疲れて黙々と歩いた気もする。


足を前に。一歩前に。帰りを待っている人がいる。


歩く。



あっという間に家に着いた。




病院から帰ってくるとノアちゃんがすぐに起きてきた。

「ママちゃん・・・スマホわすれていたでしょ・・・連絡がつかなかった・・・」と起きてきて言った。


パパちゃんの手術、その後のことを話した。


そういえば俳優の中村倫也似の担当医師は病状を説明する前に右利きか左利きか聞かれたのを思い出す。

それからも病気を説明するときに必ず利き腕は聞かれる。


パパちゃんは右利き。


病気は左脳梗塞。


左の脳は右半身の支持を出していて

右の脳は左半身の支持を出している。


そうそうこれ、理科か保健体育で習ったことがある。

海馬が記憶に携わるって初めて知ったのも学生の頃だったと思う。


先生の見せてくれたMRIは血栓が詰まったところ、脳の機能を失った白い部分が映っている。

術前、術後を見せてくれた。

術後、(血が)迂回して流れれば場合によっては損傷はもう少しひどくなくなるようなこともおっしゃっていた。


パパちゃんのMRIの画像の白い部分を指して、左脳を著しく損傷しているから右半身不随、失語症で、損傷した脳場所から失行もあるだろうと先生が一日目・・・というかICUに移ってからの説明で言っていた。

ずっと車椅子ですか?と聞いた気がする。一生車椅子・・・そう言われたような気がする。



壊れた場所ですぐにわかるのだろうか?

右半身どころか全身動けないのに?




そう思ったけれど、のちに先生の最初の所見はまったくもってその通りだったと実感する。脳外科の先生の見立てってすごいな・・・脳の研究はすごい進んでいるんだなと思う。



そして、なんでパパちゃんの脳梗塞は左だったのだろう。

右脳幹でもよかったのに・・・どうして左脳梗塞なのだろう・・・と思うことになるのはまだ先の話。



入院するとなればやることはいっぱいある。


会社に電話をしなければ。

月曜日からのシフトを替えてもらわなければ。


いつも休む人・遅刻する人・遅延で間に合わない人がいると本人確認と、各部署の調整の連絡とかしていた。

迅速にしないと、迷惑がかかる。



朝8時だったと思う。



土日もシフトに入っている人がいるから、早くしないと現場職の人が捕まえられない。

パパちゃんバックパックから、会社支給のガラケーを出して、知った名前を探す。

よく名前が出る人に電話してみる。



つながらない。


もう一人に電話をする。つながった。日曜日だったから、お休みだったのか、それとも出勤前なのか後ろでお子さんの声がした気がする。


パパちゃんからの電話だと思ったのだろう。


私がよくお名前を聞いていたので、電話したこと。

パパちゃんの状況を話すと、びっくりしていて。言葉も出なかった。


そうだよね。おとといまで、打ち合わせしようと、メールしていた履歴が残っている。

おとといまで、普通に話をしていた人だもんね。


私も早口に話して。

繋がらなかった同僚の方の名前を言って。

営業と事務方にはどうしたらいいのか聞いて。


会社関係での各所への連絡はしてくださること。よろしくお願いした。


同居の白じいじに朝ごはんを出して、病院に入院手続きと歯ブラシとか歯磨きコップ、髭剃りなど指示が出ていたものを病院に持って行った。


と思う。


ICUを出るかえり、会社の営業の方が面会に来ていた。



実父もまだ面会していない時で。状況を説明して。営業の方のフットワークの良さにびっくりした。前月、同僚の一人がもらい事故で入院していて、一か月入院していた。上司・・・というか現場監督としてパパちゃんお見舞いに行かなくていいの?と何度か言って貴重な休みの一日を使って遠い病院までやっと行ったのを覚えていたから。

やっぱりできる人はフットワークよいんなと思った。

そして、それをその日の晩子供に話した。

「(すぐにお見舞いに行かない事は)パパらしいね」と言ったのを覚えている。


状況確認なんだろうけど。まだICUにいます。言葉しゃべりません。半身不随になるみたいです。とかとか。担当医師から聞いたことをしゃべったように思う。

そしてお給料のこと、有休消化のこと、その後のこと・・・傷病手当のことや有休消化して休職一年後には退職になること。そんな話をした。

一年後、一年半後・・・それははるか先のことで何も考えられなくて、パパちゃんの会社支給のガラケーが連絡手段になること確認した。




お昼はいつもなら、二家族分を作って、パパとコトちゃんが、時間があるときにはノアちゃんも私の作ったお昼をもっていくのが黒じいじの家にいくのがいつもの常だった。


お昼は持っていけない事。私とノアちゃんが午後に行くことを話した。コトちゃんに、一緒に行くか話したら、留守番しているって。だからコトちゃんは白じいじとお留守番。



車で10分のパパの実家、黒じいじの家に行く。



そして、パパちゃんが倒れたことを話す。


驚き。


「何かできることはないか」

と言われて

『免許の返納』と言った。

全然違うことだったけど、ずっとパパちゃんと心配していたコトだから。


来週返納する。


と言っていたけれど、結局次の週にはそんなことは言っていないと言って、次の誕生日まで伸ばしてしまった。それでもその後返納と廃車をしてくれたのはありがたいこと。



午後の面会時間はお昼から

病院に一緒にこれから行く



ICU。

面会希望を伝えて、待合室で待つ。

呼ばれてICUの中に。

入り口入ってすぐの、ナースステーションの真ん前。

カーテンは開いていてを80度ぐらい起こした介護ベットにいるパパちゃんに会う。

リハビリのOPさんが足をさすっていた。


リハビリを始めました。足をさすって刺激をします。倒れてからなるだけ早い時期にはじめるのがいいのです。面会の時、よかったらさすってあげてくださいと説明してくれる。




黒じいじがベットの脇までいって名前を読んだ気がする。



そのあと何と言ったか?

一緒にいった情景はおもいだせるけれど、あまりよく覚えていない。


よくなるように、頑張る様にいったのかもしれない。


パパちゃんう~~しか言えない。

言葉も出ない。

首も動かせない。

顔も動かせない。

左の手が少し動いたかもしれないけれどたくさん、管が付いていて。


うろ~~んとして見たことのない姿になっている。



黒字じいじが近くにいた看護師さんに「原因はなんですか?」と聞いていた気がする。


高血圧と肥満


じゃないかとのこと。



私も搬送時に、持病があるか何度も聞かれていた。健康診断等でなにかありませんでしたか?と。

肥満の指導は何年も前からありました・・・と伝えている。



倒れてから初めての子供との面会。



一緒にいたノアちゃんはパパちゃんと呼び掛けて話しかけると涙声になっていた。


「私、来週、部活の大会だから・・・がんばるから・・・」


パパちゃん、う~~~う~~~というけれどすぐに目をつぶってしまう。


すぐ疲れちゃうので眠ってしまう。



その日。

義父・黒じいじに

「私がお義父さんを見るから、最期までお義父さんをみるから」と話した。

なんの自信もなかったけれど。『最後』についてまだ何も確信もなかったのだけれど。




子供たちも不安はMaxで


その日だったか、病院から帰ってからの夜だったか。

食事が終わった後だったのか、ノアちゃんが「うち大丈夫なの?生活費とかって大丈夫?」

と聞いてきたのをよく覚えている。


私立に進学していることもあるんだろう。

高校生だから問う言うのもあるんだろう。


「大丈夫なんとかなるから」

なんの根拠もなく返事をした。

なんの根拠もなく。




3月後半、嘔吐から始まった体調不良で4月の上旬まで入院した白じいじ。

5月の連休中に圧迫骨折の疑いで救急搬送を施設からした白ばあば。

6月9日に倒れたパパちゃん。


じゃあ、7月に倒れるの忙だは誰?


あたし?ママちゃん?私ですか?



そう思うとお酒をやめた。


家にあるお酒の瓶を全部台所のシンクにひっくり返して捨てた。



それまでは二人でワイン1本のんで。お菓子を食べたり。

毎回何を飲むか楽しみにしたり。

特に週末は、やっと週末でお休み前だからとパパちゃん、スナック菓子を買って帰ってきてお酒を飲むのが楽しみだった。

いつだったか、やめれば~~と言ったら『週末の楽しみだから』と言っていた。私も同じように肥満で・・・・。パパちゃんが『ママちゃん!健康に気を付けないと!』と言っていた。

それは子供たちと同じような年齢の時に、実母・黒ばあばが倒れて、長期入院していて、生死の境をさまよっていたから。生前黒ばあばにも私も健康に注意しなさいといわれていたから。


肥満はよくないといわれていたけどね。

日々そんなことは忘れていて。



子供たちが心配するから。もう一生お酒は飲まない。

うちにあったお酒。ワインが何本かとビール、パパちゃんが飲んでいたウイスキー、そして紹興酒。すべて台所に流して捨てた。

もう一生お酒は飲まない。


はじめのうちはノアちゃん、コトちゃんが成人した日に飲もうかなとか言っていたけど・・・結婚式の乾杯ぐらいはのんでいいんじゃない?(←結婚する気でいるんかい!!!できるんかい!!相手!!とツッコんだのは言うまでもありませんが。)一生のうち1回ぐらいは飲んでもいいんじゃないとか言ってくれたけど、健康のため。それよりも何よりも今、救急で呼ばれたとき対応できる大人がわたししかいないじゃん!!運転できるのはわたししかいないじゃん!!というのも切実な現実で。


そうなんです。パパちゃんと私は救急搬送されたり、誰かが入院してれば、お酒を飲むのを止めていた。

いつ誰が倒れるかわからない毎日。いつ救急で呼ばれるかわからない日々。


これからは健康のため。

あと5年は生きねば。あと5年したらコトちゃんが18歳になりノアちゃんは22歳。就職も決まっているかな、就職活動しているか。そこまでは石にかじりついても何とか生きる。生きねば・・・


強く思ったから。大好きだったお酒もスパッと止められた。


とにかく守らなくては。

とにかく家族を守らなければ



なんの根拠もなく。


強く思った。

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