第7話

「まず、俺は片ノ瀬の知ってる俺じゃない。」


よいせ、と先程のベンチに腰掛ける。隣を叩いて、片ノ瀬に座るよう促した。立って話すようなかったるい事はしたくなかった。


「ええ、それは。けど、あなたはどう見ても薪浦叶さんだ。」

「見た目はな。二重人格ってやつさ。」

「二重、人格…。」

「そ。俺はウラ。お前の知ってる薪浦叶は、今俺の中で寝てる。暫くコイツは、無理だろう。」

「無理というと」

「壊れちまった、ってこと。元々弱いやつだったけど、どうにかなってた。けど、婆さんが死んで、お前らに追い詰められて、いよいよダメになった。だから俺がオモテになった。」


ウラは淡々と語る。全て事実だ。

片ノ瀬は何も言わなくなった。ただ、膝の上で拳を握っている。


「刑事ってのはそういうの、配慮しねえのな。俺は婆さんが生きようが死のうがどうでもいいが、叶にとっちゃ家族だろ。あんな姿になっちまって、心に傷を負ってても、お前らの言葉は容赦なかった。必要な事とは言え、叶を疑うようなこと、平気で言ってたな。叶は殆ど覚えてねえけど、俺は忘れてねえ。お前らの取り調べに答えてたのは叶だけど、言わせてたのは俺だからな。」


片ノ瀬はじっと地面を見ている。大きな体が小さく見える。

少し丸まった背中を、思い切り叩いてやった。


「痛!」

「わかったか。脅すわけじゃねえけど、お前は俺の話を聞いて、どう思った。嘘だと思ったか。」

「嘘だとは…思いません。俄には信じ難いけど、確かに今の薪浦さんは、明らかにこの間までの薪浦さんじゃないと感じる。俺は、俺達はなんてことを…」


まるで独り言のようなその声に、自責の念を感じる。ウラが語った事が事実だと受け止めている証拠で、そして自分を責めているのだ。


「どうしたら、薪浦さんは元に戻るんです。俺に何が出来る、教えてくれ。」


先刻肩を掴まれたときは凄い力だったのに、今度は酷く頼りなかった。どうしたらいい、と、縋るように触れられる。

さあな、と答えた。


「そんな。」

「脅すわけじゃねえって言ったろ。お前らはお前らで仕事をしただけだ。配慮が無かったってだけで、事件解決するために奔走してるつもりだったんだろ。俺は今でも能無しって思ってるし、すげえ怒ってるけど、叶はただただ悲しんでただけだ。」


触れて来た手を、叩き落とす。大事な大事なオモテを追い詰めた一人に、この体に触れさせるのは嫌だった。


「お前は、なんとも思わないのか。薪浦さんのお婆さんが亡くなったこと、現場も見ているんでしょう。」

「なんとも。へえ、ってくらい。そこらのニュースみたいな感覚だな。俺は叶の為に居るから、叶以外はどうだっていいね。」

「けど、その薪浦さんは…要は今、死んでるみたいなもの、なんだろ。壊れたって、どうしたら戻るかわからない、って、そういう事でしょう。」

「そうだ。だけどこの体は生きてんだ。俺がいる限り生きていられる。だから、お前を呼んだんだ、片ノ瀬。」

「どういう事です。俺に話して、どうなるって言うんだ。」

「もし、叶が今日、或いは明日、明後日、いつでもいい、そう遠くない未来に息を吹き返したら、お前に迎えて欲しい。理解者として迎えて欲しいし、それまで俺のサポートをして欲しい。」

「俺が、サポート、ですか…。」


少しづつ、片ノ瀬にも理解が出来てきたようだ。握りしめていた拳から力は抜けていて、真っ直ぐウラを見ていた。


「別に難しいことを頼むつもりはない。ただ、叶が帰ってこられる場所を残すために協力して欲しいだけだ。例えば、お前の車に入ってるだろうサングラスを俺に貸して、今から髪染めを買いに行くのを手伝うだとかな。叶が二重人格だったって会社に洩れないようにする手伝いをして欲しい。」


いつでも叶が安心して戻る事が出来るような環境を守る、ということ。その協力をあおいでいたという訳だ。

事件解決は、その片手間でいいとウラは思っていた。




つづく。


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