第3話

その声は真っ直ぐにウラの所へ届いていた。

楽になりたい、助けて、と。

『 たすけて、たすけて…もう嫌だ!』

『助けてやろうか。 』

それがオモテとウラのはじまりだった。


それからはずっと、ウラはオモテの傍らに居続けた。あれはオモテが十歳頃だったかと思う。その頃ウラは十六歳だった。

そして今、オモテは二十歳になる。もう十年にもなる付き合いだが、とうとうオモテの限界がきたのが先程、というわけだ。きっかけは多分、今いるこの場所だろう。

凄惨な事件、というのは四ヶ月前、九分咲きの桜がこの公園を彩っていた頃のはなしだ。


あの日、オモテはここに居た。和代に呼び出され、この公園の丁度今いるこのベンチで、待ち合わせの十二時になるのを待った。よく晴れた平日で、この日は有給を取っていた。

有給の申請には理由を書かなくてはいけない決まりで、理由の欄には祖母と会うため、と書いた。

もっと他にそれらしい事を書いても受理されるだろうが、馬鹿正直に書くしかオモテには出来なかった。お願いします、と一言添えて頭を下げてその場を去った時、うしろで婆ちゃんに会うのに有給取るかねえ、と上司がぼやいているのが聞こえたが、申請は通ったらしかった。それもこれもひとえにオモテの能力があってのことだろう。

大学に進学するよう和代は薦めてくれていたし、背中も押してくれていたけれど、オモテはその申し出を断った。学舎というのは息苦しさばかりで、独り立ちの願望が強かった。

高校を卒業すると同時に入社した会社はさして大きくない、プログラミングの会社だった。元々パソコンには強かったし、極力人と関わらなくてもいい仕事と思ったら、自分にはこういった仕事が向いているのではと考えただけだったが、これが的外れな選択ではなかった。これにはウラも賛成してくれていたから、この一歩を踏み出す時はさほどの抵抗なく入社を決断できた。

それからはトントン拍子、という表現がまさにといった風に成果を出していった。明晰な頭脳はその仕事では遺憾無く発揮されて、さして業績が好調とは言い難い会社だったのに、オモテの入社後業績は右肩上がりになっていた。

この頃には非社交的ながらも業務に支障をきたさない程度の会話の術は会得していた。オモテは外に出ることは無かったが、その仕事の質が高く評価された。だからこの日もぶつくさと小言を食らっても、皆がひいひい言いながら残業していても、すんなりとオモテの願いは通ったのだ。


さて、大分話が逸れたが、そんなわけで長閑な休日を満喫するべく小一時間早く公園に訪れていた。久しく読んでいなかった推理小説でも読もうかなあ、と、斜め掛けのサブバッグに手を入れる。

野暮ったい眼鏡をかけて、おおよそこの爽やかな空間に似つかわしくない鉛色のコーディ

ネート。十年以上前に和代が就職祝いにとプレゼントしてくれたトレンチコートはオモテのお気に入りだ。

健康の為か、ルーティンか、時折目の前をランナーが通ってゆく。はっ、はっ、という息づかいと共に巻き起こるちいさなつむじ風に、薄紅の花弁がはらはらと踊っていた。


『 おい、オモテ。ばあさん、遅くないか。』


はっとした。不意に頭の中でウラが声を掛けてきて、慌てて顔を上げる。腕時計を見れば、時刻は十二時半を回っていた。一時間半も読書に没頭していたのだ。待ち合わせの時間を三十分も過ぎていた。

和代に限って三十分も遅れる事があるだろうか?没頭しすぎて連絡に気付かなかったのかもしれないと思い、携帯を取り出す。画面には何の通知もない。

妙なざわつきが胸を焼いた。




つづく。

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