第110話 感動の満開〜はじめてとはじまり〜
「では、締めにお二人の宣誓を。」
「は、はい」
神主さんの言葉に緊張混じりに頷いて、俺は回れ右をする。
俺とさくやさんが向き合う形になり、横からは神主さんや皆様の視線が飛んでくる。
今日一番に速く脈打つ心臓に手を当てて落ち着かせ、一度唇を湿らせて、口を開く。
「本日、私達の結婚式を開催することができて、本当に嬉しい限りです。宣誓の言葉ということで、たくさん考えて、色々なものを見て。本当に真剣に考えました。けど、最後には。変に堅い言葉で取り繕わず、心のまま正直に話そうと思いました。そのほうが、私らしいと思ったし。私は、こういうときでしか恥ずかしくて言えないと思ったので。」
俺はそこまで言ってから、下を向いていた顔を上げ、さくやさんを真っ直ぐと見つめる。
さくやさんは目を見開いて、驚いた顔をしていた。
それもそうだろう、打ち合わせでは簡単な言葉で終えるはずだったのだから。
俺から彼女への、初めてのサプライズ……というやつだ。
「さくやさん。私は、あなたが好きです。ご存知のとおり、私は臆病でハッキリしない弱い男です。恋だって分かりませんでした。」
仕事と会社だけで埋まっていた俺の心を、彼女が溶かしてくれた。
彼女はそんな大したことないと言うかもしれないけど、俺にとっては本当に初めてで、楽しくて、嬉しかったんだ。
こんなに素直になって、こんなに愛おしくて、こんなに緊張するのは。
「けど、あなたと出会って。好きという気持ちが、恋という感情が痛いほど分かりました。頼りないかとは思いますが、精一杯頑張って幸せにします。これから一生、よろしくお願いします。」
拙いけど、それでも自分の言葉で最後まで言い切った。
言葉を重ねるごとに崩れていったさくやさんの顔が、言い終わる頃にはぐちゃぐちゃになって。
それでも、彼女は笑っていた。
「あなたと出会って、その優しさに触れて。一人で背負い込んでしまう強さと、危うさを見て。たくさんの感情を教えてもらって、あなたを好きになりました。」
彼女が涙を拭いながら言った。
そのただ真っ直ぐで純粋な言葉が、今も俺の心を溶かしていく。
抱えていた緊張や心配が、熱湯をかけられた氷のようにスーッと溶けて、ただ純粋な“幸せ”だけが広がっていく。
「頼りないところは否めないですけど、けど、私はあなたが好きです。」
彼女は本当に真っ直ぐに、そう言った。
「二人で一緒に、楽しいも悲しいも嬉しいも辛いも、全部分かち合っていきましょう。一人じゃないんです。一人で背負わなくていいんです。私がいます。隣りにいます。ずっといます。誰でもない、私がいます。私と一緒に、頑張っていきましょう。今までも、今も、そしてこれからも。ずっと、あなたが好きです。大好きです!!」
さくやさんが目尻の最後の一滴をすくって、満面の笑みを浮かべて叫んだ。
『大好き』その四文字の言葉が、まるで夜空に咲いた花火のように。光って、輝いていく。
「……うぅ…………」
と、同時に、今度は俺の方が泣き出してしまう。
声を出すでもなく、本当に無意識に笑うと同時に泣いていた。
「あはは、なんでだろ、涙が……」
俺は止まらない涙を止めようと、目を擦る。
「えへへ、出ちゃいますよね」
さくやさんが仕方ないですよと微笑んだその時。
「うわっ」
「っと……!!」
まるで俺たちを祝うように、磯と蜜柑の香りをのせて、風が吹き抜けていった。
「大丈夫ですか?」
俺がそう声をかけて、とっさに掴んださくやの手を離そうとしたその時。
「キースッ!!!!!」
そんな、聞き慣れた後輩の。本日何度目かわからない、絶叫が聞こえた。
……は?
風に吹かれて姿勢を崩したさくやさんを俺が抱きとめた姿勢が、傍から見ればキスするように見えたのは確かだ。
けど、関。お前絶対、違うって分かってるよな?
「いっけー!! 確定申告の最後に押すエンターキーくらい強くいけぇっ!!!」
部長も、違うって分かってますよね?
あと、叫びの内容が悲しいです。分かってしまう自分も悔しいです。
「やっちまぇー!!」
父さんも分かって……はなさそうだな。
多分、みんな言ってるからノリで言ったな。
あの人ってそういう人だから。
「いけよぉ……!!!!」
お義父様は語尾が小さくなってますよ。
してほしくないなら、言わなくていいじゃないですか。
そんな泣きそうな顔で叫ばなくてもいいんですよ。
みんなの声はどんどんと広がっていって、
「キースッ!!」
「「「「キースッ! キースッ! キースッ!」」」」
最後には、皆さん揃っての大合唱となった。
え、えぇ……うっそーん……。
俺は助けを求めようと、さくやさんの方を向いて――
「ん……」
――――固まった。
彼女は目を閉じて上を向き、ただただ全てを受け入れるというように微笑んでいた。
「あはは、ほんと、敵わないな」
俺は頬をかいてつぶやき、覚悟を決めて彼女の肩に手を置く。
彼女の長いまつ毛も、ぷるんとした唇も、安心しきってただ待っている表情も、閉じられた大きな目も。皆様の視線も、神主さんの微笑みも、巫女さんのあらあらという声も、そのすべてが俺を緊張させるけど。
けれど、今この瞬間だけは彼女だけを見つめて、彼女のことだけを考えよう。
俺はゆっくりと顔を近づけていき――
チュッ
――――初めてのキスをした
唇がついた一瞬、さくやさんの体がピクリと跳ねる。
付き合いたての高校生がするような、軽いキスしかできなかったのは許してほしい。
だって初めてなんだから。
「ヒュー!!」
「おぉ!!」
「いよっ!!!!」
キスをした俺らを見て、まるで小学生のようなちゃちゃを入れる皆さん。
「ふわぁ……初めて、しちゃいました」
赤らめた頬を緩めて、嬉しげにつぶやくさくやさん。
「しちゃいましたね」
色々とあったけど、本当に結婚できてよかったと思う俺。
こうして、幸せ満開の結婚式は幕を閉じた。
咲き誇る桜の花びらを攫い、蜜柑の爽やかな香りを孕みながら、瀬戸の風は吹いてゆく。
ときに弱まり、ときに向きを変えながらも。止まることはなく吹き抜けていく。
あとには、優しい香りと儚い花弁が残るだけ。
それでも風は、吹いてゆく。
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