第95話 二人の時間
「いただきます」
さくやさんが手を合わせてつぶやく。
軽い談笑のあと、もうすっかり昼を過ぎていることに気が付き、ごはんということになった。
本来なら俺はカウンター側にいなければならないのだけど、彼女が一緒に食べたいというので、今はお客さん側の席に座っている。
何気にちゃんとこっちで座った食べるのは初めてかもしれない。
「ん〜、おいひいです!」
パンケーキを一口頬張った彼女が、幸せ満開の顔でいうので、自然とこちらも頬を緩ませてしまう。
「いただきます」
俺も手を合わせ、自分の分に手を伸ばす。
俺もパンケーキ……ではなく、普通にナポリタンだ。
お店に出すのよりも具材が少なかったり少し適当だが、自分の分だし大丈夫だろう。
「今日はこのあとどうするんですか?」
少しミルクを入れたアイスティーを飲んで尋ねる。
もう昼と夕方の間くらいの時間帯になってしまっている。
女性だし、なにより田舎だから、電車の本数もないので帰るなら早めの方が良いだろう。
「うーんと、少し経ったら実家に帰ろうと思います。いきなりなんの説明もなしに飛び出して来ちゃったので。」
彼女は数秒考えてから、少し恥ずかしそうに言う。
「お見合いの途中……だったんですよね?」
「そうです。け、けど、親が勝手に決めたやつで、私はイヤイヤだったんです。」
俺の問いに、さくやさんがなにか否定するようにいう。
違う違うと腕を振るのに合わせ、着物の袖が揺れるのがかわいかった。
「やっぱ親に言われますよね……結婚しろって」
俺は分かってますよと微笑んだあと、ポツリとつぶやく。
「はい。うちは本当に久しぶりだったので、なおさら強かったです。」
さくやさんはコクリコクリと強く頷いて、同意してくれる。
やはりこの年代で独身だと、親からなにか言われるよな。
たしかに三十歳の壁は迫ってきているが、まだ結婚くらいできる……と思いたい。
「俺も実家から写真が送られてきたりして、その気はないって言ってるんですけど。」
「結婚したく、ないんですか……?」
俺が頬をかきながら言うと、さくやさんが悲しげな表情でこちらを見上げた。
その捨てられた子犬のような表情に数秒見惚れてしまったあと、俺はすぐに否定する。
「い、いや、そういうわけじゃなくて。なんというか……お見合いとかもいいですけど、やっぱりちゃんと好きな人同士でしたいかなー、なんちって。」
なにか恥ずかしいことを口走っているような気がするが、誤解させてしまうよりは良い。
俺だって結婚したい。
ただ、お見合いはイヤ……というか
「そ、そうですね! やっぱり好きな人としたいですよね!!」
さくやさんは安心とばかりに微笑んで、切ったパンケーキを口に入れる。
そしてそのままモグモグと口を動かし、とろけた笑顔を見せる。
俺はこの笑顔をずっと見ていたいなと思いながら、ナポリタンを口に入れた。
うん、美味しい。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした。」
お互いにご飯を食べ終え、珈琲とともに軽く雑談したあと、二人で声を合わせる。
こういう場合、自分もごちそうさまでしたといったほうがいいのか、お粗末様と返したほうがいいのか迷う。
俺的には『ごちそうさまでした』は作った人の他に、食材そのものや運んでくれた人、スーパーの店員さんなどすべての人への感謝だと思うので、自分も言うようにしている。
「じゃあ、今日はこの辺で。いきなり来ちゃってすみません。」
さくやさんが微笑んで頭を下げる。
お代は結構だと先程伝えておいた。
これくらいなら安いものだし、その……付き合っている……と言っても過言ではないような関係であるから。
「いえいえ、その、さくやさんならいつでも大丈夫ですよ。」
「ッ!! あ、ありがとうございます。で、では。」
彼女は扉を開いて、ペコリと頭を下げて歩きだし――
「また会いましょうね。 大好きですよ、まさやさん!」
――クルリと振り返ると、こちらを向いて少し赤く染めた頬を緩めた。
「お、俺も、好きです!!」
俺はその神秘的とも言える姿に目と心の両方を奪われながら、自分も叫び返す。
先に言われてからでしか言えないのは、まだまだだなと思いながら。
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