第83話 一杯の珈琲から
「うぐっ……ありがとうございます、落ち着きました。」
数分、いや数十分? 俺にとっては永遠に感じられるような時間が流れて、落ち着いたさくやさんが離れる。
「大丈夫ですか?」
少しの名残惜しさを感じながら、すっかり赤くなってしまった彼女の目を見つめて尋ねる。
「はい、おかげさまで。いきなりすみません。」
さくやさんは泣きつかれながらも、どこかスッキリした顔で頭を下げる。
「大丈夫ですけど、何かあったんですか?」
聞いて良いのかと迷った末、尋ねないのも変かと尋ねる。
「いえその……」
彼女が話そうとしたところで、ぐ〜ととても気持ちのいい音が響いた。
「…………」
「まずは、ご飯にしますか。」
恥ずかしそうに頬を染めるさくやさんに微笑んで、軽くエプロンをポンポンと叩くとカウンターに戻る。
「す、すみません……」
頬を朱に染めたままさくやさんがカウンターの椅子に座る。
「珈琲とホットミルクどっちにしますか?」
俺はお湯を沸かし直しながら尋ねる。
この冷め方から考えるに、10分ちょっとは泣いていたみたいだ。
大人になるとね、泣く機会もなくなるから良かったと言えば良かったのだろう。
俺もここ数年泣いていない。
別に泣きにくいわけではないのだ。映画見たら絶対と言っていいほど泣くし? ただ、仕事やらなんやらでそんな暇もないだけ。
「えっと……珈琲で。」
「かしこまりました。」
返事を聞いて、俺はもはや目を瞑っても淹れられる珈琲の準備をする。
実際に目を瞑ったらできないし、まだそこまで長くはやっていない。
こういうのはコツコツ積み重ねだから、驕らずに行きましょうという神之さんのありがたいお言葉を胸に日々精進しております。
挽いた豆に軽くお湯を注いで蒸らし、少し待ったら円を描くようにお湯を注ぐ。
決して急がず、焦らず。ポットを高く上げてお湯を上から垂らしたりなどせずに、慎重に心を込めて淹れていく。
「よしっ」
そうして出来上がるのが、愛情と優しさたっぷり(当社比)の珈琲である。
ミルクとお砂糖を添えて、小さなスプーンでも添えたら完成だ。
「お待たせいたしました。お好みでミルクとお砂糖をどうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
カップを両手で持って幸せそうな顔をするさくやさんを横目に、俺は外に出て営業中の看板を裏返す。
元々開く予定じゃなかったし、来ても数人だろうから、本日は休業だ。
たまにはお休みがあってもいいでしょう?
喫茶店の自営業で上も下もいないため、自分でスケジュールが決められるのだ。
定休日とかも特に決めていないし、暇なのでずっと開けていたら神之さんに怒られてしまった。
『週休二日とまではいかなくとも、せめて週一で休みましょう、ね? 本当にもっと自分の身体を労ってあげてください。』
そんなふうに優しく諭されたら従わざるを得ず、月に2日、3日は休むことにしてる。
それでももっと休めとたまに言われるくらいだ。
月に3日もフルで休めるなんて最高じゃないかと思ってしまうのは、
どちらにせよ、働くのが楽しいので良いのだ。
「あぁ、おいしい」
ミルクたっぷりに砂糖を少し入れた珈琲を手に、極楽とばかりにつぶやくさくやさん。
こんなことを言ってもらえるんだから、喫茶店はやめられない。
俺は静かに扉を閉めながら、そう思うのだった。
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