story.2 記憶の損傷

御蔵学園の新学期。桜が舞い、賑やかな廊下。鳥の鳴き声がうっすらと聞こえてくる窓際。サヨは自身の教室へと向かっていた。

サヨの髪は歩く度になびく。きっちりと着こなした制服は、同じように来ている他生徒よりも何処か麗しく見える。

「ねぇ、生徒会長が来たよ…!」

「わ、本当だ。今日も凛としていて美しいな~。」

「サヨさんは、どんな問題児であろうとたった数秒で頭を下げさせる事が出来るんでだろ?すげーよなぁ。」

サヨが来たと分かった瞬間、他生徒が口々にサヨの話をし始める。

高嶺の花状態になっていたサヨに、一人の女子が声をかけた。

「サヨ~!」

サヨが声のする方を向くと、そこにはミサが立っていた。ミサは大きく手を振りながら近づいてくる。

「ミサ、おはよう。昨日は心配かけて申し訳無かったわね。」

「いやいや!サヨが元気そうで何より!…それより、問題の転校生、えーっと…優くんだっけ?その優くんなんだけど…」

「ええ、何かしら?」

「優くんね、サヨの隣になったから~。仲良くしてあげなよ~?」

「…まぁ、予想はしていたわ。」

サヨは、優が自分の隣になることを察してはいた。何故なら、サヨ達のクラスの人数が奇数な為、名簿が一番最後なサヨは一人席だった。その為、転校生である優は必然的に名簿が最後になるので、サヨの隣になる。そこまではサヨも読めていた。

そしてあと1つ。サヨは考えていることがある。


“これから厄介事に巻き込まれる事になる”


サヨは、根拠も何も無かったが、これだけは何故か確信していた。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


「…。」

「サヨ…?おーい?」

ミサがサヨに声をかけるが、その声にサヨが答えることはない。

サヨは自分の席の前で、動かずにじっと優を見つめている。

(優…。昨日はあまり見れていなかったけど、昔は私より背が高かったのに、今では優の方が私より背が低いのね…。それだけでは無い。活発だった優が、静かに本を読んでいる。昔は教科書を開くのも嫌だったのに…。それに何より…)

「生きてる…。」

「え?」

サヨはポツリと呟く。その声は、ミサだけでは無く、優の耳にも届いていた。

「…あのさぁ。あんたさっきから何なの?本に集中出来ないんだけど。」

優は、本を閉じて、サヨ達の方に目を向ける。眉を寄せた優は、不機嫌そうにこちらを見ている。

「…いえ、別になんともないわ。読書の邪魔をして悪かったわね。」

「…いや、分かれば良いんだけど。」

優はそう言うと、また本を読み始めた。

「うわ、転校生君。間近で見ると良い顔してる。」

(本当、綺麗な顔だな…。)

ミサは優の顔をまじまじと見つめて、しみじみ思う。

すると優は、またもや本を閉じて、今度はミサの方を向いた。

「そこの人も。俺は、「転校生」なんて名前じゃない。俺の名前は殺宮優。自己紹介もしたよね?もしかして記憶力無いの?」

優は眉を寄せて、ミサを侮辱する。

「なっ…失礼!」

ミサは頬を膨らまして、優を見つめた。

(マジ無いわー。このイケメン、マジ無いわー…。)

「…こんなにイケメンなのに愛想悪い…。勿体ない……レイトと同じものを感じる…。」

ミサは優に聞こえない位の小さな声で呟いた。

「…それより、そこの人は何?」

「私の名前は夜村サヨ。この学園の生徒会長をしているわ。」

「へ~。ここの生徒会長か…。生徒会長さんが、俺になんの用?」

「…何の用も何も、私の席、貴方の隣なのよ、昨日ここに座っていたでしょう?私は自分の席に座りに来ただけよ。名前はまだしも、一日で人の顔と席位覚えなさいよ。優は体力だけじゃなく記憶力もないのかしら?」

「なっ…!」

サヨは、優が先程ミサに行ったように煽り返す。

「…って、何で俺が体力だけ無いこと知ってんの?」

「何、ただの勘よ。」

「そう…。」

(本当は昔から体力だけは無かったから、今でもそうなんじゃないか…って思っただけだけどね。)

「…時間はあるわね。」

「え?そうだね。」

「着いてきなさい。」

「え?あっちょっと引っ張らないでよね…!」

サヨは優を引っ張って、屋上の方へと連れ去っていった。優は引っ張られるがままに、歩いていった。

「サヨ?…行っちゃった。…とゆうかサヨ、優くんの事呼び捨てにしてた?」


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


「…ふぅ。」

サヨは屋上の前の螺旋階段で止まる。優は息を荒らげて、サヨに文句を並べた。

「はぁ…はぁ…はぁ……っ!ちょっと何考えてんの!?馬鹿なの!?脳無い訳!?なんで急に俺の手握って走る訳!?てかここ何処だよ!」

「うるさい。静かにしなさい。」

「っな…!理不尽…。」

理不尽。サヨにとっては、もう慣れたことだ。

世の中は理不尽の塊だ。例えどんなに才能があったとしても、それが貧乏人の子なら人々は見向きもしない。逆にどんなに才能に恵まれていなくても、金持ちの政治家の元に生まれようものなら、どんなに出来が悪くてもちやほやされる。

サヨは知っていた。この世の理不尽さに。

だがそれはサヨだけではない。少なくとも、この場にはもう一人世の中の理不尽さを身をもって体験している人がいる。

「理不尽?理不尽には慣れているでしょう?」

「…そうだけど…。」

(…ってあれ?この人まるで、俺の事を知っているような言いぶりだな…。)

「…んで?ここは何処なの?転校したばっかだから、帰り道分かんねぇんだけど。」

少し棘のある言い方にもサヨはイラつかず冷静に質問をする。

「優、私の事は覚えてる?」

「はあ?何馬鹿な事言ってんの?覚えてるもクソもないよ、会った事無いんだから。」

「……会った事無い、か…」

サヨの予想は当たっていた。

そもそも、覚えている訳が無い。そうわかっているのに。サヨは質問をしてしまった。心のどこかでは、覚えていて欲しかったという気持ちが少なからずあったのかもしれない。

「なあ、てかアンタ誰?」

「…私は夜村サヨ。御蔵生徒をまとめあげる役割を担う者よ。」

「?」

キョトンとしている。それはまるで、状況が理解しきれていない雛鳥の様だった。

「つまり、生徒会長って事。」

「は?生徒会長?生徒会長がこんなにとち狂ってる学校なんてある?」

「蹴られたいのかしら?」

「はぁ?嫌だよ俺そんな趣味ねーし!」

優の言葉を気にせず、サヨはすかさず優の脛に蹴りを入れる。優は咄嗟にガードをするが、そのガードは虚しい程に無意味だった。

「いったぁ!!!」

優の声が螺旋階段を伝って下の廊下へと響いていく。

「ちょっと何考えてるの!?」

「蹴られたいって顔してたから。」

「そんな顔してない!本当あんた何なの!?」

「何?喧嘩?」

「あれ、例の転校生と生徒会長じゃない?」

騒ぎを聞きつけたのか、他生徒が集まりだしてきた。

「はぁ…こうなったら仕方ないわね。優、教室帰るわよ。」

「は!?…うわちょっと痛い!離して…!離せぇぇ!!」

他生徒の間を、優とサヨは通り抜けていく。ズルズルと引きづられていく優は、まるで駄々をこねている4歳児みたいだった。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


教室へとズルズル引きづられていた優は、突如口を開いた。

「…そういえば。」

「何?」

「あんた、もしかして昨日倒れた人…?」

「…そうよ。」

「こんなこと聞くのもあれだけど…なんで倒れたの?」

サヨは思った。お前のせいだよ、と。

「…それ、貴方が聞く?」

「え?どうゆうこと?」

当然、優が覚えている筈も無く、サヨは適当にはぐらかすことしか出来なかった。

「…何でも無いわ。早く教室に戻りましょう。」


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


サヨ達が教室に戻ってくるなり、優とサヨはクラスメイトに囲まれた。理由は簡単。サヨが優を連れ出した理由が知りたいからだ。だが、優は勿論訳が分からないまま教室に戻ってきた為、理由を言える筈もない。またサヨも、他人に言える訳のない理由で優を連れ出した為、何でもない、そう答えをはぐらかすだけで、本当の理由を答えはしなかった。

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