第32話 明かされない謎

「で、小木の話に戻るけど」


 小木は考えた。慣れた病院に何時間も遅れて行けば注目されてしまう。どこで警察が自分に目をつけるかわからない今、危険は犯せない。


「悩んだ末に、自宅の風呂を密閉して、ガスで殺す方法をとった。睡眠薬を溶かして飲ませ、逃げられないようにして」


 そして帰宅してから船戸の死体を引き出し、適当な盗難車の中に捨てた。


「……想像すると嫌な気分ですけど、そこまでは分かりました。じゃ、楡木は?」

「楡木にも目をつけていた。塾でも有名なボンクラだったから、小木もよく知っていたらしい。殺す計画も綿密に立てた」


 だが、その前に小木の体に限界がきた。体力が落ち、今までの様に力で健康な人間を押さえつけることができなくなったのだ。もちろん、都合の良い毒薬など彼は所持していない。持っていた睡眠薬すら前で使い切ってしまった。


「悔しかったみたいよ。少しでも体調を落としたくなくて、よく知ってる自分のまわりを散歩してたって」


 あの時、灯が見たのは、苦悩する小木の顔だったのだ。灯は唇をかむ。


「そんな時に、変わった人と出会った」

「それは誰ですか?」

「具体的には分からない。小木が口を割らないから。でも、その人物があの裏サイトの存在を小木に教えたのは間違いない」


 闇が深すぎて、灯はうんざりしてきた。


「小木が製作者ではないんですか?」

「無理よ。あれだけの専門知識を網羅した問題を集め、解答まで用意するには、それこそ専門家が結集するか神の手がないと」

「じゃ、そいつが製作者なのか……?」

「わからないけどね」


 体力がなくても、人の弱みをつけば簡単に死に至らしめることができる。そういうやり方を教えてあげよう──その甘い申し出に、小木は飛びついた。楡木が一人でいるところを捕まえ、サイトを教えたのだと言う。


「さすがに、楡木も最初は信じなかった。しかし試しに模試の回答を書いてみると、全問正解。それが続くと、もう手放せなくなったみたい」


 楡木の実家は医院を営んでいる。息子の成績が上がり始めて、周りがどれだけ喜んだかは想像がついた。あとは、典型的な蟻地獄だ。


「引っ込みがつかなくなったんでしょうね……」

「今までの鬱憤が晴れたんでしょう。どんなに遊んでもクラスメイトより上にいられるわけだから」


 楡木は、どんどん更新されていくサイトにはまりこむ。そして、とうとう医師国家試験にもそれを見て挑んだ。


「あ、それも検証してましたね。正確だったんですか?」

「問題自体は完璧だったわ。どこから手に入れたんだろうって、二課が頭ひねってた。回答もほとんど正解だったし」

「『ほとんど』って……」

「わざと間違いが、数問混ぜてあったの。楡木はそのせいで落ちたのよ」

「え?」


 灯は声をあげた。サイトで見た限り、テストは全部で数百問あったはずだ。その中でいくつかミスをしただけで、不合格になるものだろうか。


 灯のその疑問を読み取ったように、三代川が目を伏せる。


「これは私も、後から聞いたんだけど。国家試験には、特別な問題がいくつか混じってるんだって」


 普通の問題は数十問ミスしても大丈夫。しかし、「これを間違えてもらっては困る」という基礎レベルの問題は、取りこぼすと落ちてしまう。わずか数問の「楔」──それを「禁忌肢」というのだ。


「常暁さんが言ってた……」

「そう。あいつ、どうでもいいことは何故かよく知ってるのよ」

「じゃあ、間違ってたのって」

「全て『禁忌肢』の解答よ。終わって自己採点した時、さぞかし楡木は絶望したでしょう」

「……不安になってたのは、落ちたことだけじゃないでしょうね」


 三代川が眉をひそめた。


「ただ落ちただけならまだしも、禁忌肢だけ全部間違うなんてありえない。勉強して普通の問題が分かるのなら、それは解けて当然だもの」

「不正が疑われるでしょうね」

「なにかのきっかけで誰かがサイトに辿り着いたら? 自分の回答がそれと同じだと気付いたら? 自分は世間からも家族からも、許されない。それを考え始めたら、楡木はとてもじゃないけど耐えられなかったでしょうね」

「……楡木は、自殺したんですね」


 のどが詰まる感覚の中、灯は辛うじてそれだけ言った。


 一人で、ひっそりと。苦痛を伴うと分かっていても、確実に死ねそうな方法を選んだのだ。


 深く突き詰めたくはなくて、話は自然に、その先へ進んだ。顛末を見守っていた小木は、テレビニュースで楡木の死を知った。


「良かったとは思ったけど、自分で殺すより物足りなさも感じたと言ってたわ。だから、常暁が術をかけたのに、包丁を持ってきた。……邪悪な思いが強すぎたのね」


 つくづく、ギリギリのところで止められてよかった、と灯は胸をなで下ろす。


「捜査はひと区切り。……でも、終わってはいない」


 三代川は舌打ちしそうな顔で言った。


「まだ、サイトの製作者が隠れてますね」

「そうなのよ。やっていいことと悪いことがある。そいつも、殺人者にはかわりない……いえ、もっと恐ろしい化け物。でも現状では、手がかりがない。小木が吐くのを待つしかできないの」


 きっとその前に、彼の寿命は尽きる。そう灯は直感したが、言わなかった。


「……その化け物は、誰なんでしょう。少なくとも、国家試験の問題を手に入れられる地位があるのは間違いないですよね」

「上が気にしてるのもそこ。どっかの官庁の関係者じゃないか、ってひやひやしてる。余計な藪は、できたらつつきたくないもんね」

「それじゃ解決しないじゃないですか」


 灯は口を尖らせたが、三代川は苦笑いをした。


「大人や組織ってそういうものよ。──だから、奇特な一匹狼が先行するの」


 灯は三代川の顔を見た。そこに、無念の色はない。


「あいつ、また昨日から連絡がとれないの。面白いことに首をつっこんでるかもしれないわ」


 ぬるくなった茶をすすりながら、三代川が笑う。その時灯は、ぼんやりと常暁の横顔を思い浮かべた。




 皆と別れた常暁は大冒険の末、ようやく古都のある地に降り立った。常暁は切符を改札に吸い込ませ、空いた手をぶらぶらさせる。


「なんだ、あの複雑怪奇な電車は」


 JRから環状線、近鉄と引っ張り回され、当然その度に迷い、駅員を捕まえて迷惑そうな顔をされた。嫌な客、という立場を甘んじて受け入れ、常暁は一歩一歩進んでいった。


 予定の時刻は大幅に過ぎている。降りてぎりぎりで電車に駆け込む、という術を覚えなかったら、日付が変わっても辿り着けなかったに違いない。


 やはり、嫌味を言われるのを承知で、車を出せと黒江に交渉すべきだっただろうか。駅からよたよたと歩き出しつつ、常暁は珍しく己の行動を悔いた。


 目当ての場所──とある寺に来た時には、すでに夜の十時になっていた。辺りは静まり、眠っている猫しかいない。住宅街から離れてはいるが、木々のざわめきや生物の動きまで感じられないのはやはり、邪気のなせる業だろう。


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