第31話 犯行の全容
翌日、灯はスーパーにいた。そこで、不意に肩を叩かれる。カートにカップ麺を満載にした三代川が、優しく微笑んでいた。今日は首元の伸びたカットソー姿だが、それでも素敵に見えるのだから恐れ入る。
「よく会いますね」
会釈する灯に、三代川は微笑む。
「今日はわざとよ。特売の日だから、来ると思って待ってたの」
「なんで?」
「くそー、いいなあこの男は!!」
「まだいたか、声のデカい店長」
相変わらず、和知は女性に甘く男性に厳しい。お得だよ、と彼が手を伸ばし勧めたトマトを、三代川は何故か受け取った。
「まだあるよ、僕の愛が詰まった商品!」
「また今度ね。愛を腐らせちゃいけないわ」
「かー、うまいこと言うね!」
名残惜しそうな店長から少し離れて、灯は三代川に言う。
「なんだ、ちゃんと料理もするんですね」
「やる気ないわよ。あの店長のおかげで、ちょっと助かったからそのお礼。……ま、これなら切って塩をかければ食べられるでしょ」
わずかに振り返りながら三代川が言った。
「え?」
「ごめん、さっきからわけ分かんないわよね。一日経ってようやく状況が整理できてきたから、君には話しておこうと思って。私たちだって、ただ常暁の話だけであれだけの刑事を動かしたわけじゃないのよ」
灯は素直にうなずいた。
「君のうちでどう?」
「え……三代川さんはいいんですか?」
「いいわよ。うちには、とてもじゃないけど上げられないから」
三代川がにたりと笑った。
「犯人は自白したんですか?」
家に着いて茶を出しながら、灯は聞いた。
「喚いてはいるけど、筋の通った話はしてるわよ」
小木はすでに末期の癌に冒されているとわかったため、取り調べにも一定の配慮がされているという。
「病気になる前は、本当に普通の人だったみたい」
「あの自分勝手な言動からは、想像つきませんね」
「なんとか店を大きくしようと必死で働いて──休みも取らず、頭を絞って取引先を見つけて。本当にここは、みんな同情してたわ」
真面目に働いてきた小木の人生が狂ったのは、精密検査でガンが見つかってからだった。
「初期のうちに発見できれば、治る癌だったみたいだけど……小木は仕事熱心でなかなか病院に行かなかったから、見つかったときにはすでに手遅れだった」
元気な時には気付かないものだが、病気になると人は周りに、世界に恨みを抱く。たいていの人は自分の気持ちと現実に折り合いをつけ、それを乗り越えるものだが、小木は深い穴に落ちたまま……ついに戻ってくることはなかった。
「不真面目に生きてきて、それでも健康な奴だって沢山いる。それなのになんで自分だけ、って繰り返してた」
その心境を、考えるだけで辛くなる。
「……それに、答えはないですよね」
「当然、聞かれても言い返せないわよ。病気になるのに、理由なんてないこともあるし」
小木は仕事に熱心になるあまり、妻ともだいぶ前に離婚していた。誰にも打ち明けることなくたまった恨みは、やがて無関係な学生たちに向けられた。
「やっぱりそれは、接触する回数が多かったからですか?」
三代川は灯と視線を合わせた。
「──それだけじゃない。あの頃の子たちって自分が死ぬなんて夢にも思ってないからね。明日が来るのは、未来があるのは当たり前だと思ってる。それがどうにも許せなかったんじゃないか、って黒江さんは言ってた」
自分の終わりが見えてくるにつれ、ついに小木の中で歯止めがきかなくなり、暴論に頼りだした。
「こいつらには十分に命が残っているのに、くだらないことにしか時間を使わず無駄の極み。……だったら突然、人生が終わってしまっても、文句はないだろう」
灯には理解できない。ひねくれて、独りよがりで、情けない考えだ。しかし彼は彼なりに、必死だったのだろうと思う。
小木はこの信念に基づき、まずは問題児の岩田をターゲットに選んだという。
「それにしても、どうやっておびき出したんでしょう。お店にも出ていないのに、接触する機会はないはずでは?」
「小木が創業主だったからね。衣装や、ビニール袋の余りが自宅にあったのよ」
弁当屋の格好さえしていれば、昼時にうろうろしていても誰も呼び止めない。バイトはしょっちゅう入れ替わるから、顔を覚えている者もいなかった。小木が岩田の行動を監視するのは容易だったのである。
「あの場所には、船戸を装って呼び出したそうよ。『祖父から遺産を相続した、大事な話がある』って嘘ついてね」
「……それでよく岩田が信用しましたね。あの二人、風貌も声も全然違うのに」
「メールよ。船戸の携帯をこっそり使って、そこから送ったの」
「最近じゃアプリ通話が全盛ですよね。そっちの方がいいんじゃないですか?」
「それじゃダメだったの。だからわざわざ、アプリのメンテナンスの時間帯を選んで送った」
「なんでそこまで……」
「形態の違いよ。アプリなら、相手の部屋に入れば自分の送ったメッセージもすぐに目に入るし、消せば不審に思われる。でも、メールで『送信』し終わったものをわざわざ確認する? 一件消えていて、それが分かる?」
「……わからない、です」
「アドレスが船戸のものでなければ、岩田は乗ってこない。小木はどうしても船戸の携帯を使わなければならなかった。……けれど、本人にはバレてはならない。これが、最大限の用心だったのよ」
「なるほど、周到ですね」
「ただ、スマホを拭うのが雑で、側面に一カ所だけ指紋が残ったのは痛かったわね。……急に生徒が戻ってきて慌てたせいだろうと、本人は言っていたけれど」
塾に来ていた小木は最近の岩田の様子を知っていた。彼女は二股をかけてはいたものの、楡木がポンコツだということに薄々気付いていた。職がしっかりしていて、その上遺産があるとなれば、努力が嫌いでスリルが好きな彼女は船戸に乗ってちやほやしてもらおうと思うだろう。
「その読みは正しく、人気のないところに彼女を呼び出すのに成功。彼女を殺してから、次に船戸も拉致した。不良教師ってことは知っていて、生きる価値無しと決めていたようね」
「そんな……」
「買い物から帰ってきた彼に話しかけ、言葉巧みに睡眠薬入りの飲料水をすすめた」
「どうしてその場で殺さず、そんなことを?」
「たまたまその日が火曜日だった。小木は病院の予約が入っていたの」
「あ」
『病院通いになった知り合いがいてね。毎週火曜と木曜ってんだから、ありゃしんどいよ』
和知のだみ声が、灯の脳内によみがえった。あれは、小木のことだったのか。あのとき、もっとよく聞いていればと悔やまれる。
悔しげな灯を、三代川はじっと見ていた。
「家が近いから、顔を合わせれば挨拶くらいはしたそうよ。男だから、深くは関わりたくなかったみたいだけど」
私生活でも一貫している。つくづく厄介な男だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます