第26話 過去の惨劇
結局、事件に進展があったのはさらに一日が経過してからだった。しかも、その情報をもたらしたのは常暁ではなく、不意に鳴った電話だった。
「やあ、おはよう」
「この無駄にさわやかな、でも音外れが残念な声は……金崎さん?」
灯は必死に記憶を掘り起こして言った。まさか、CMを見たか催促されるのではないかと身構える。
「君は一言多いな! 出世できないぞ、そんなことでは!」
威嚇してくる金崎に向かって、灯は特大のため息をあびせかけた。催促でなくてほっとしたが、休日の朝に聞きたい声ではない。
「で、せっかくの日曜に何の用ですか」
「これだもんな。いつまでも素人気分では、困るよ」
「素人です」
そこを忘れられては困るので、灯は声を張り上げる。
「まあ、そんなことはいい。この僕が、僕が昨日大発見をしたんだ」
「へえー」
「見たいよね? 見たいはずだ。見たくないわけがない」
金崎の声は喜びに満ちていた。ここまで露骨なアピールをされるのは、初めて会った時以来だ。彼なりの親愛の表現なのかもしれないが……。灯は迷った末に、こう言った。
「……はい、見たいです」
「そうだろうそうだろう。では、署まで速やかに来るがいい。早く来ないと、終わってしまうかもしれないぞお!」
ここで電話が一方的に切れた。灯は電話を見つめ、ため息をつく。来いとだけ言って、移動手段を用意してくれないところが彼の詰めの甘いところだ。
「僕、あの人の部下じゃないんだけど……」
灯はだんだん腹が立ってきた。なぜ貴重な休日に起こされ好き勝手言われ、その上時間とお金を使って警察署まで赴かなくてはならないのか。
「やーめた」
灯がつぶやくと同時に、また電話が鳴った。
「なんですかッ、鬱陶しい」
精一杯の罵声をあびせると、受話器の向こうの相手が一瞬黙った。
「あー、怒ってる。さてはもう、金崎くんがかけたわね」
「三代川さん……」
人違いだと分かって、灯の怒気はあっという間にしぼんだ。いたたまれない気持ちで、かろうじて謝罪を絞りだす。
「すみません」
「気にしなくていいって。どうせいつもの偉そうな感じで話したんでしょ。私にもそうだったから」
「もはや無差別じゃないですか。大発見ってのも、どうせ嘘でしょ」
灯が愚痴ると、三代川が意外なことを言い出した。
「なんだ。具体的な内容、聞いてないの? 塾で噂になってた裏サイト、金崎くんが見つけたんだって」
それが本当なら、確かに大発見だ。しかし、どうしても灯は疑念をぬぐいきれない。あの人、本当に実力はあるのだろうか。
「へえ……」
「疑うのは仕方無いけど。でも、金崎くんは本当に努力家でね。誰にも言わず、こつこつ努力するの。結果が出るかわからなくても、最善を信じて絶対諦めない。……そうできる人は多くない。私はそれを知ってる」
三代川は穏やかな声で言った。灯も、過去を思いだしてうなずく。練習しても練習しても伸びなかった時、勝てなかったとき、やる気をなくした。そんな時にずっと同じペースで歩み続ける相手がいたとしたら、脅威でしかなかっただろう。
「だから地道にやった時の成果はすごいのよ。なんでか本人はそれが嫌いで、天才肌だと思いたがってるから、いつも空回ってるけど」
真摯な三代川にたしなめられて、灯は恥じ入った。以前、常暁と喧嘩していた時の金崎を思い出す。あの時は喧嘩別れになったが、彼は捜査の中できっとあの言葉を噛みしめて、やり方を変えたのだ。それは、なかなかできることではない。
「……確かに、そうじゃなきゃキャリア組になれないですよね」
「性格さえのみこめれば、悪い人じゃないってわかるのよ。ものすごいお金持ちの次男坊なんだから、あれで態度さえ変われば無敵なのにねえ」
目を伏せる灯の様子が見えたように、三代川が笑った。
「私は行ってみようと思ってるけど、鎌上くんはどうする? 来るなら、私の車で拾ってあげるわよ」
灯は悩んだが、結局この申し出を受けた。
着替えて待っていると、すぐに三代川の車が来た。真っ赤な軽自動車で、小回りがききそうな車体だ。車内には消臭剤がたっぷり置いてある他は、めぼしい荷物はない。灯は緊張しながら、助手席に座った。
「……他の人に見られませんように」
「え?」
「いえ、ちょっと正義の鉄槌を恐れてまして」
三代川は怪訝な顔をしたが、深く追求せずにハンドルを握った。
車が動き出すとすぐに、彼女が口を開く。
「ねえ、常暁から連絡あった? あいつ、昨日から音沙汰なしなのよ。こっちからかけても全然出やしないし。どこ行ったんだか」
「いえ、僕にもありません」
灯の脳裏に、昨日の常暁の姿が浮かんだ。彼はまだ、あそこにいるのだろうか。
三代川に話そうかと思った。しかし、他人に話すのはためらわれる。結局、灯は奇妙な顔のことは飲み込み、曖昧に笑った。
「そう……ま、いつかは帰ってくるでしょ」
幸い、三代川は灯の真意に気付かず、運転に戻る。灯は彼女に聞いてみた。
「常暁さんとは、どこで知り合ったんですか?」
三代川はしばらく返事をしなかった。灯は彼女の横顔を見る。
「すみません、無神経でしたか?」
「いいのよ。どうせあいつ、何も言ってないんでしょ。……来てたのよ、あいつが。私の父が死んだ……いえ、殺された時の捜査本部に」
それを言う三代川の顔が、一瞬鬼気迫るものに変わった。
「え」
全くの初耳だった灯は、すぐに言葉が浮かんでこなかった。三代川はさらに言う。
「父の死は、明らかにおかしかった。健康診断にも引っかかったことがないのに、ある日いきなり肺が潰れたの」
「……そんなことが、ありえるんですか」
「普通なら絶対にないわ。物理法則に反してる。でも、現実に起こったのよ」
さっきまで何事もなかったのに、突然呼吸がおかしくなり、胸元からべきべきと奇妙な破壊音が起こる。顔は紫色になり、身内も後ずさるような歪んだ表情のまま──三代川の父は死んだ。
その様子を目撃していたのは身内しかおらず、病死で片付けられそうになったと彼女は悔しそうに語る。
「今なら、無理もないとわかるけどね。警察が冷たかったわけじゃない。あの状況で、殺人と判断するわけにはいかなかったんでしょう。……でもその時は納得できずに、ひとりで再捜査を求め続けたわ。馬鹿の一つ覚えで」
捜査責任者の前で取り乱す彼女をなだめるために呼ばれたのが、常暁だった。上は適当になぐさめさせるつもりで呼んだらしいが、常暁は全く別のことを告げるつもりで三代川のところに来ていたのだ。
「……結局、殺人だったんですか」
我慢できなくなって、灯はようやくそう聞いた。
「常暁はそうだって言ったわ。ただ、純粋な呪殺だから刑法では裁けないって。常暁が調べても手がかりがなくて、犯人は今も自由の身」
三代川は眉間に皺を寄せた。車が中央線を踏み越えそうになり、あわてて元に戻す。
「お父さんが殺された理由も、分からないままなんですか」
三代川は運転しながら、わずかに首をかしげる。
「恨みを買ってたのだけは確かだけどね。父はそこそこ名前が売れてた作家だったし、作品がからむと結構喧嘩もしてたから。──でも具体的に誰かって言われると、さっぱりよ」
三代川は唇を噛んだ。誰かを責めることすらできない怒りが、彼女の全身から立ち上っている。
「事件が未だに解決してないからか、今でも考えるの。父の一生って、なんだったんだろうって。そこまで悪いことはしてなかったはずなのに、なんであんな死に方をしなきゃならないんだろうって」
その時、三代川は検死官になって三年目。そろそろ移動の話も出ており、自分でも過酷な現場からの脱出を望んでいた。しかし、父の死で状況は一変する。
「ひどい状態のご遺体は、ほんとは誰も見たくない。でも殺人なら……そんな風にさせた誰かが、必ずいる。そして捜査が滞れば、その誰かは法の裁きすら受けずに逃げおおせる」
それは残された家族にとって、最も残酷なことだ。
「バカよねえ。私は遺族になって、今まで頭でしか理解してなかった事実が、初めて骨身にしみた。それからよ、必死になったのは。──遺体は、死者が残した最後にして最大の手がかり。これだけは無駄にしないって」
三代川は移動を蹴った。呪いであっても、人が手を下したとしても──殺人とは徹底的に闘うと、その時決めたのだという。
「……長くなったわね。もうすぐ着くわよ。重たい話でごめんなさい」
三代川が苦笑する。しかし灯は彼女を動かすものを知れて、良かったと思う。素直に尊敬できる人の内面は、やはり奥深いものだった。凡夫の自分は、ただその前にひれ伏すのみだ。
「いえ、ありがとうございました」
「着いてからが本番よ……さあ、何が出てくるかしら」
三代川が無理にはしゃいだ様子で言い、駐車場に車を滑り込ませた。
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