第27話 パスワードを探せ

 灯たちが捜査本部に入ると、パソコンの前に人だかりができていた。しかし熱狂はなく、顔をつきあわせて何やら話し合っている。


「……あれ、不穏な空気ね」


 三代川が気まずそうにささやく。灯は、少しためらいつつも近寄って真相を確かめてみることにした。


「母親と父親の名前はダメだったな」

「試してない身内はいるか?」

「捜査にあがった名前は一通りやったぞ」

「実在の人物じゃないんじゃないか? やってたゲームとか」

「そんなの、絞りきれるかよ」


 刑事たちがモニターを見ながら、しきりにつぶやいている。画面には黒の背景の中に、「正しき資格がある者のみこの門をくぐれ」というタイトルが踊っている。あとは文字列を打ち込むボックスがあるだけ。どうやら、パスワードがわからなくて困っているようだ。


「こんにちは」


 三代川が声をかけると、男性陣の表情が明るくなった。数十名が頬を赤く染め、そのうち数名が座布団を用意したりコーヒーを追加しに走る。残った面子のいくらかは、灯に鋭い視線を向けてきた。


「こ、こんにちは……」


 灯はあわてて笑顔を作る。僕はバスで来たんです本当です相乗りドライブなんてそんな、と問われてもいないのに付け加えたくなった。


「三代川さん、非番じゃなかったんですか」

「金崎くんに呼び出されたのよ。大発見があったって。でも、当の本人がいないわね」


 確かに、居並ぶ面子の中に光る眼鏡がいない。あの目立ちたがりが、珍しいことだ。


「……パスワードを考えすぎたみたいでな。貧血起こして、あっちで寝てるよ」

「……子供みたいですね」


 せっかくの活躍なのに、意外なオチがついてしまった。


「みんなで考えればいいのにね。パスワードの桁はどんな感じ?」

「入力上限はなし。使えるのは英数字と半角記号だけだが、これだけでも億を超えるよ」


 それでは、当てるのは並大抵のことではない。灯は居並ぶ面々に提案してみた。


「プログラムを組んで総当たりにすれば?」

「その手配はしましたよ。便利な技術は活用すべきです」


 当然のように黒江が姿を見せた。誰も彼を咎めようとしないのがすごいところだ。


「ですが、ただ待っていても暇でしょう? それで、皆で勝負となったわけで。当てればランチを一回おごっていただけるそうです」

「当てられますか、そんなもの」

「ランダムにした方が見破られにくいですが、同時に覚えにくくもなります」


 楡木が死んだ後、捜査班は彼の部屋や持ち物を徹底的に調べた。しかしどこからも、パスワードの覚え書きは見つかっていない。ということは、完全に記憶できる程度のものではないか──黒江たちはそうみているようだ。


「お二人もやりませんか。別に、できなくても誰も責めませんよ。何回でも挑戦できるようなので、自由にどうぞ」

「じゃあ……ちょっと、面白そうだし」

「これが、楡木に関するデータです。ピンクのマーカーが引いてある文字は、既に試してダメだったものなのでお気をつけ下さい」

「すでに結構やってるじゃない」


 三代川の言う通りだった。家族や元彼女の名前、好きだったバンドや漫画……めぼしいものは、入力済みだ。


「学校の先生の名前は?」

「意外にペットとか」

「なんでもいいなら、嫌ってた相手とか……」


 三代川と灯は複数候補を入力してみたが、いずれも外れだった。


「うーん……」


 眉間に皺を寄せて画面を見つめる。真っ黒なページに、ぼんやり自分の顔が浮かんでいた。それが白い顔の男と、険しい顔をしていた常暁の姿につながっていく。無意識に灯の指がキーをたたいていた。


「kangiten」


 エンターを押すと同時に反応があった。サイトの壁紙に白いヒビが入り、あっという間にメインページに飛ばされる。そこには「高校入試」「大学入試」「難関国家試験」という三つの項目が、黒地の中に白く浮き上がっていた。灯は喜ぶより先に、呆然としてしまう。


「三代川さん、コーヒーに砂糖は……って、おい! 画面変わってるぞ!」

「入れたのか」

「どうやって」


 刑事たちが変化に気づき、色めき立った。ほぼ全員が、面白いものを見つけた子供の顔になっている。外の仲間に伝えようと、扉から出て行く者もいる。


「役に立ったな、兄ちゃん!」

「パスワードはなんだったんだ!?」


 部屋の中が一層うるさくなった。左右から肩を揺すられ、灯は勝利宣言どころか「うええ」と情けない声をあげた。


「ローマ字でカンギテン、です」


 灯はさっき入力した文字列を、メモに書いて渡した。それを、皆がいぶかしげな目で見つめる。


「なんだこりゃ」

「……常暁さんが言ってた単語を、入れただけです」


 それを聞いた黒江が、ひとり落ち着いた声で言った。


「なるほど。それでは彼が来たら、詳しく聞いてみましょう。せっかく時間を掛けずに開けたのだから、今はサイトの確認が優先です」


 黒江が笑顔のまま優雅にコーヒーをすする。彼が驚くことなどあるのだろうか、と灯は思った。


 メインページから各論にとぶ。試しに「難関国家試験」を選んでみると、有名国家試験の名前と年度がずらりと並んでいた。驚くのはその年度と種類の多さだけでなく──


「……なぜ今年の試験が、三ヶ月も前の日付であがっているのでしょうね? しかも模範解答の解説までついて」

「これが正規の試験と同じ、かつ日付に嘘がないなら、それこそ大問題ですが……」


 偽物でないなら、このサイトに辿り着いた大学生は丸暗記だけで合格できてしまう。それがどれだけ楽なことなのか、門外漢の灯でも分かって冷や汗が出た。こんなサイトは、見たことがない。


「三代川さあん!! 来てくれたんですね!!」


 シリアスな雰囲気が、金崎の登場でいきなり吹き飛んだ。耳元で叫ばれた刑事が、険しい顔で拳を握る。


「この野郎……」


 今にも殴りかかりそうな彼に、黒江が声をかける。


「まあ、いいじゃないですか。金崎警部、サイトのパスワードが分かりましたよ」

「さすが三代川さん!!」


 金崎が崇拝の視線を投げる。三代川は苦笑した。


「解いたのは鎌上くんよ」


 それを聞いた金崎は、鬼瓦が優しく見えるような顔になった。


「ほう……君がね……君が……」


 負けず嫌いにも程がある。なにやら暗い顔でぶつぶつと妄言をつぶやき始めたので、灯はそそくさと話を変えた。


「この試験問題って、本物なんでしょうか?」

「……医学部の大学教授に聞いてみる。ついでに、模範解答も手に入れて照らし合わせよう」


 さすがキャリアだけあって、そちらの方面には強い。後は金崎に任せてよさそうだ。


 灯が少しほっとしたところで、電話が鳴る。一番近くにいた三代川が出た。


「はい。……はい、分かったわよ。私が処理するから、そのまま任務にあたって」


 三代川は受話器を下ろすと、深いため息をついた。

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