第25話 闇の中の顔

「楡木は前、二件の殺人を犯したのが誰かわかっていた。彼はカマをかけ、自分の予測が正しかったことを知る。そしてよせばいいのに、犯人から搾り取ろうとした……だから怒った真犯人は、ついに楡木も殺してしまったのです」

「……ごめんなさい、一ついい?」


 金崎のテンションが最高潮になったところで、三代川が遮るように手を上げた。彼女は眉を八の字にしている。


「もちろん。なんでしょうッ」

「見せしめ、ってことは楡木の他にも仲間がいたことになるけど……そこまで彼と親密な関係になった人っているかしら。今のところ、どこからもそんな情報はないけれど」


 この言葉を聞いて、部屋の数カ所から笑いが漏れる。楡木の孤立は周知の事実、唯一仲の良かった岩田もすでに鬼籍に入っている。


 金崎は耳まで真っ赤になり、椅子に座った。全く考えていなかったのだろう。


 気の毒に思ったのか、黒江が口を開いた。


「まあまあ。我々が見逃しているだけかもしれません。自殺・殺人のどちらとも決めない方が、良さそうですね」

「……そうだな」


 追い詰めたかと思えば、真実は逃げていく。捜査陣の奮闘空しく、その後も議論は迷走するばかりだった。





 灯はひとり、夜道でため息をこぼした。


 家の前まで送る、と言ってくれた黒江には申し訳ないが、灯はかなり手前で車を降りた。本当は楽がしたいが、常暁が苛ついていて同乗したくなかったのだ。黒江は流石にちっとも動じていないが、でかい坊主がずーっと呪いの繰り言を吐いているのは嫌すぎる。


 事件が解決しないからって、いい大人がみっともない。心の中でさらに常暁をけなそうとして、灯はふと足を止めた。


 見覚えのない建物が並んでいる。どうやら考え事をしているうちに、いつもとは違う道に入ってしまったようだ。


 灯はあわてて、来た道を戻った。しかしかなり前に間違いを犯したようで、行けども行けども特徴の無い灰色のビルばかりに当たる。人通りも全くない。


 灯は首をすくめ、猫背になって路地を歩いた。初春の風はまだ冷たく、コートの中に滑りこんでくる。春物の薄い生地は、寒風の中いかにも心許なかった。マフラーを家に置いてきた自分に、腹が立ってきた。


 やっぱり、家まで送ってもらえば良かった。今になって悔やまれる。歯を食いしばって歩く灯をあざ笑うように、さらに強く風が吹いた。


「あ」


 それでも諦めずに歩き続けていると、光が見える。それに見覚えがあった。


「この前の、弁当屋……!」


 聞き込みに来たところだ。それなら場所がわかる。もう少しで、大通りに戻れるはずだ。灯は跳ねるようにして進みかけて──足を止めた。


 強い光が生み出す、より暗い影。その中に、何かがいた。


 ひっ、と音がする。それが自分ののどから漏れた声だと気付くのに、しばらくかかった。


 白い男の顔が、闇の中に浮いている。やけに間の開いた短い眉に、つり上がった目。そしてその口は、今にも大声で笑い出しそうに開いていた。黄色く変色した歯の向こうに、膨れた舌が見える。


 お前は誰だ?


 問いかけたいのに、口が動かない。会ってしまったことを後悔する。いつでも逃げ出せるように、足に力がこもった。


 男の顔が、徐々に大きくなる。灯に近づいてきた。


 灯は歯を食いしばり、拳を握った。一発でも当てようと、懸命に頭を持ち上げる。それでも、顔から血の気がひいていくざわめきはやまない。その様子をみた白い顔が、初めて言葉を発する。


「……ない」


 辛うじてそう聞き取れた。


 なんのことだ。真意が知りたい。しかし、もう白い顔が灯の拳に触れそうになって──その次の瞬間、ばたばたと大きな足音が路地に響く。


「したら、ユージがよー」

「そこで来る?」

「来るのがユージのすげーとこなのよ、ホント」


 酒に酔った大学生集団が、一気に路地へ入ってきた。その瞬間、顔がかき消える。怪しい匂いがたちこめていた空間が、一気にただの通りに戻る。灯は構えた体勢のまま、何度かまばたきをした。


 大学生はまだ騒いでいる。素行の悪そうな集団だが、灯にとっては救いの神だ。


「……あれ、ここどこよ」

「えー?」

「迷ってんじゃねえか、馬鹿」


 灯は学生から視線を外し、闇の中を見つめる。顔を追う気にはなれなかった。乱れた呼吸を元に戻しながら、ずっと白い顔のことを考えていた。




「ホントに、いたんですって」


 翌日、灯は無理に常暁を弁当屋へ引っ張っていった。普段とは逆の展開である。


 日の光の中で見ると、さびた電柱とわずかな雑草があるだけの、なんの変哲も無い路地だった。常暁と一緒だからそう見えるのかもしれないが、灯は少し恥ずかしくなった。


 常暁は店の前に着くと、険しい目つきのまま印を組む。


「オンコロコロ・チシュタチシュタ・マンダマンダ・カナウカナウ・アミリティ・ウンハッタ……」


 呪をぶつぶつと唱えながら、常暁は店の周りを巡る。灯は固唾をのんで、それを見守った。


 たっぷり三十分はかかっただろう。動き回っていた常暁が、ようやく足を止める。


「……やっぱり、夜じゃないとわかりませんか?」


 悩んだ末に灯は聞いた。


「──死者はいない」


 そして事も無げに言われた。


「へ?」

「ここに死人の気配はない。何度も心霊現場を見てきた俺が言うんだ、信用しろ」

「じゃ、僕が見たのは……」

「人相が絶望的に悪いだけの、ただの生者だろう。脇道もあるから、そこに逃げこめば消えたように見える」


 灯はそれを聞いて、とりあえずほっとした。


「たまには頼りになりますね!」

「一言余計だ、馬鹿」


 いつもは自分が余計なことを言うくせに、言われる側になると敏感だった。


「褒めてるんですよ」

「……のぼせ上がるのはまだ早い。あの発見者の女性と同じ、よくないものの気配がするな。危険なことにかわりはない」


 常暁は苦虫を噛みながら言った。


「どういうことですか、それ」

「……今日は先に帰れ。素人がこれ以上ここにいると、毒気にあてられる。俺でも、除染には手こずるだろう」


 常暁はそう言うなり、灯に背を向けた。


「なにも感じませんが……」

「だろうな。そしていきなり死ぬんだ、素人は」


 正論を吐かれて灯は常暁を見る。視線を跳ね返すような背中だった。その姿から、いつもと違う強い拒絶を感じる。


「カンギテンめ」


 彼がぼそっとつぶやくのは聞こえたが、それが何を意味するかと問いかけることはできなかった。

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