第21話 若いと思うは自分だけ
「……なら、答えは一つだ。警察官は盲目だった。最初から目撃できる状況じゃなかった」
さっき馬鹿にされた常暁がつまらなそうに言う。その解答に灯は納得したが、黒江は首を横に振った。
「違います。それなら自分では行かないでしょう。犯人は、堂々と手紙入れの中に盗んだものをしまっていた。これが正解です」
常暁と灯は、同時に口を曲げた。肩すかしもいいところだ。詐欺、と喉元まであがってきた言葉を辛うじて飲みこむ。
「つまり、そこにあるのが自然な物だったから、警官は勘定に入れなかった。そういうことでいいんですか?」
「ええ、正解です」
灯は途方にくれた。
「……小説の中なら、それでいいですが。現実に持ち込んでもらっては困りますよ」
金崎が口をすぼめる。黒江は「そうですね」とうなずいた。
「今これを発表したら、本格ミステリーの枠に入れてもらえないかもしれません。酷評される可能性の方が高いでしょうね。ただ、人間の『盲点』に注目した作品なので、私はとても好きですよ」
「……今回の事件にも、そういう見落としがあると?」
「ええ。我々も人の子です。不用心なものだし、到底ミスをしない生き物にはなれない。しかし、見落としが多ければ犯人は捕まえられません」
黒江は指で眼鏡を押し上げながら、にこやかに笑う。
「だからもう一度、最初から先入観のない目で見てください。新たな情報源を見つけてください。あなたが一番頼りになりそうです」
「そんな……」
「この坊さんも、事件現場に出入りしすぎてだいぶ擦れてきましたからね。では」
常暁はわずかに眉をつり上げたが、一言うと十になって返ってくるのが分かっているのだろう、何も言わなかった。
黒江は言い終わると、誰も言い返さないのを見てとって笑う。そして足音もなく廊下の向こうへ消えていった。体重がないかのような軽やかさに、灯は驚嘆する。
「恐ろしい人ですね。先祖は忍者ですか?」
「いや、そこまでは知らんよ。確かにベテラン中のベテランで、署長もあの人には一目おいてるんだけど」
「それにしても」
「「腹が立つ」」
常暁と金崎の声が、綺麗に重なり合った。
「盲点ねえ……」
あの後家に帰ってから、寝床の中で考えてみた。翌日、楡木の通う塾にも連れていってもらった。そこで一日粘ったが、あの学生から得られた情報の裏がとれたことと、変な熊のマークのバッグが流行っていることがわかっただけだった。
しかしどうひねってみても、考えは漠然としていた。まだ、答えは見つからない。自分にできることなど、あるのだろうか。
派手に欠伸をした。気の抜けた声をあげ、枕にへばりつく。
すると、その瞬間電話が鳴った。
「もしもし?」
「私よ、私」
姉の紗英からだった。
「平日の朝から何?」
「昨日の夜にもかけたのよ。なのに、全然出ないじゃないあんた」
「え」
「あの事件の犯人だって捕まってない。心配で心配で、再度電話したお姉様に対して一言ないかしら」
「すみません」
「分かればよし。……大丈夫そうでほっとしたわ」
「仕事だったんだよ。ほんとごめん」
灯は小さくため息をついた。遊んでいたわけではないので、嘘はついていない。
用件自体はたいしたことなかった。義兄が会社で林檎をもらったから、欲しければ送ってやるというものだ。それに感謝しつつ、灯は姉に聞いてみた。
「姉さんは、けっこう本好きだよね」
「いきなり何よ。……まあ、年に数十冊は頑張って読むかな。自分で書こうとしたこともあるし」
それは初耳だ。
「原稿用紙にタイトルだけ書いて、やめたけど」
三日坊主ですらないではないか。
「……そう。じゃ、ミステリーも読む?」
「うん、好きな方かな」
「トリックとかで、『これ意外だったな』ってのはある?」
「ほとんどないなあ。ミステリーのトリックって、ある程度使われるタイプが決まっててさ。早くから分かっちゃう時もあって、テンション下がるのよねえ。斬新に見えても、馬鹿馬鹿しい落ちなんて星の数ほどあるし。やっぱり、天才の出現を待つしかないか」
灯はそれから最近読んだ一冊についての愚痴を聞かされる羽目になった。これはかなりのマニアだ。
「そう言えば……あったわ。分からなかったやつ」
中高生向きの電脳空間のやり取りから始まるミステリーで、トリックの鍵になっているのは有名なアプリだという。
「若い子には馴染みがあるみたいだけど、私には無理」
姉は苛立ちを隠しきれない様子だった。
「姉さん、そんなに年じゃないでしょ」
「十年経てば、全然違うの。あんただって数年しか違わない後輩の愚痴をたれ流すじゃない」
「あれは世代じゃなく、個体としての知性の問題」
「減らず口たたくわね。あんただってもうおっさんの入り口にいるのよ。いつまでも自分が若者のスタンダードだと思ってると、今に大恥かくわ」
何一つ弟の気持ちを汲まない言葉が放たれ、灯は息が詰まる。もう少し姉にかわいげがあったら……というのは、今更言っても仕方がないが。
「あ、江里が起きてきた。え、おじちゃんよ……ちょっと待ってね」
通話口の向こうから、天使にも似た明るい声が聞こえてくる。灯と話したいと、声の主はしきりにせがんでいた。
「江里とかわっても、いい?」
「構わないよ」
むしろそうして欲しい。
「おじちゃん、おはよう」
江里が明るく挨拶してきた。そろそろ生意気になってくる年代だが、小さい頃から世話をしている灯には心を許していて、まだまだ可愛い顔しか見せない。
「おう、久しぶりだな」
「レースできるゲーム買ったんだよ。なんで来ないの?」
ふくれっ面をしている姪の顔がやすやすと想像できて、灯の口元がゆるむ。彼女は人気キャラクターがカートに乗って走り回るゲームの愛好者で、しきりに対戦したがっているのだ。
「パパとやればいいじゃないか」
「弱すぎるからイヤッ」
彼女は幼児にしては確かにうまい方だが……それに負ける義兄さんって一体。父親としてのプライド、ずたずたになってなければいいが。
「手厳しいな」
「本当のことだもん。ねえ、おじちゃんはいつ遊びに来るの?」
「まだわからないけど……実島屋のケーキ、好きだろ」
「うさぎさんのやつ!」
江里は即答した。確か、ドーム型のケーキからチョコレートの耳が生えているやつだ。ケーキ本体にかわいらしい顔が描いてあって、特に子供に人気がある。一度買っていっただけなのに、よく覚えているものだ。
「行くときには必ず、それを持ってくよ」
「……じゃあ、いつさ」
「ごめん、ほんとわからないんだ……」
そう灯が言うと、紗英に代わることなく江里は電話を切ってしまった。灯は苦笑いしながら、頭をかく。
幕切れは突然だったが、収穫はあった……かもしれない。些細な言葉がきっかけになって、灯の思考が動き出した。
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