第18話 教師よ眠れ
「そういう根性だけでなく、実績も優秀だ。本来、検死官になるには十年以上のキャリアが必要だが、三代川はたった七年で任命された」
「すごっ」
会社ではまだまだ下っ端、学生時代の成績も中くらい。抜擢という文字など聞いたこともない灯の口から、素直な言葉が漏れた。
「一切の手抜きがない仕事の結果だ。徐々に軽んじる者もいなくなった。今では正則管理官も、彼女の発言には敬意を払う」
聞けば聞くほど、すごい人だ。何が彼女をそこまで動かすのだろう。灯はうなった。
「……よって、お前は身辺に警戒するように」
「……何故その結論に?」
話が急回転して、灯は首をひねった。
「それだけの業績をあげながら謙虚で性格が良く、おまけにたいそう美人だ。署内に慕う者が多い」
「でしょうね」
「声をかけたくてもかけられない者もいる。彼女と仲良くお買い物、というだけで、お前は一気に公衆の敵だ。このことが知られたら、捜査本部での待遇は非常に厳しくなるだろうな。特に執心している金崎は……」
「わざとじゃないです!」
「俺は守ってやれん。……ゆめゆめ忘れるなよ。健闘を祈る」
「笑ってる場合じゃなくて、助けて──」
無責任な常暁に慌てたが、すでに遅かった。電話が空しい音をたてている。
神様仏様、僕が何か悪いことをしましたか。
取り残された灯はマンションの白い壁に向かって、そうぼやいた。
「では、こちらでお願いします」
二人組の教師が灯たちを案内したのは、いくつかある会議室のうちの一つだった。少し黄色くなった壁紙に緑のカーテン、横に長い机にクッションのきいていないパイプ椅子。灯が通っていた学校に、よく似ていて少し気持ちが楽になった。
灯は常暁を見た。彼は少しだけ首を曲げて、礼のまねごとをする。
「必ず教師が同席しますが、構いませんね?」
「はい」
「時間はあまり長くとれませんが」
「おひとりあたり、十分程度あれば結構です。何かを知っていた場合は、より詳しくお伺いしますが」
灯がそう言うと、教師のひとりが生徒を呼びに行った。残った者は、パイプ椅子に腰をおろす。
このチャンスを逃さず、常暁が動いた。真面目そうな眼鏡をかけた教師の前に躍り出て、いきなり呪を唱えだす。
「オンマカラギャ・バサロシュニシャ・バザラサトバ・ジャクウンバンコク」
わけのわからない言葉を灯は聞き流す。常暁は口を動かしたまま、教師の心臓、額、喉、最後に頭を指さした。するといぶかしげな顔をしていた教師が、石になったように固まる。それがとけると、急ににこやかな笑みを浮かべた。
その落差に、傍らに立つ灯は目を丸くした。
「これから生徒に話を聞くわけだが、その間は俺に従ってもらうぞ」
「もちろんですとも」
無茶といえる常暁の要求にも、教師はもみ手をした。常暁は教師の肩を指さす。
「さしあたっては──そうだな、俺がいいというまで、寝てろ」
いきなりひどい命令だったが、教師はすぐさまいびきをかき始めた。
「……いいのかなあ」
ためらいなく人を操作するあたりが、やはり一般人離れしている。見ているだけの灯の方が、よほど動揺していた。
「あの……入っていいですか」
外からためらいがちに、声がかけられた。灯が許可を出すと、男子生徒が入ってくる。彼が戸口に足をかけた。
「え、お兄さんたちが刑事? 見えないなあ」
細身の男子生徒は口ごもる様子もなく、かなり砕けた口調で話し始める。灯の方が緊張しているくらいだ。彼らにとっては、事情聴取もエンターテイメントの一つでしかないのだろうか。
「そうだねえ」
「犯人、捕まえたことある?」
「あるよ」
灯はうなずいた。自分にはなくても常暁には経験があるから、こう言っても嘘にはなるまい。しかし、学生は少し険しい顔になった。
「へえ、お兄さん弱そうなのに」
「人間、見かけによらないんだってば。岩田さんだって、殺されそうには見えなかったでしょ?」
灯が踏み込むと、生徒は派手に口元を歪ませた。晴樹と同様に、いきなり苦い物を呑まされたような顔をしている。
「そんなこと言ってるの、先生たちだけだって。俺たち、みんな気づいてたよ」
灯は思わず、常暁の顔を見る。彼はうなずいた。もっと攻めろ、と言われている。
「それはどうして? まさか、堂々と口にしてたわけじゃないよね」
「そこまではしないよ。でも、あいつ持ってる物が毎日コロコロ変わるんだ。普通は買ったらしばらくそればっかり使うでしょ」
「お小遣い制なら、そうだろうね」
はじめは珍しがっていた女子たちも、次第に岩田から距離をとるようになった。
「証拠がないから、こっちからははっきり言わないけどさ。正直、みんな引いてた。変に仲良くして、一緒にやろうって誘われても困るし」
「じゃあ、特別親しい子はいなかったんだね?」
「少なくとも、僕は知らない」
生徒の顔に、感情の動きは見られない。嘘はついていない、と灯は判断した。
「よくわかった。もういいよ、ありがとう」
男子生徒が出ていく。灯はため息をついた。
「……これは、苦労しそうですよ」
嫌な予感というのは当たるものだ。それから何人もの生徒にあたってみたが、みんな最初の男子と同じ回答しかよこさない。数を重ねても、大して進展がなかった。
……真由には、友人と呼べるような存在はいなかったのだ。それがいっそう、彼女を歪ませたのだろうか。灯は口の中が苦くなってきた。
「寂しい人生だな」
しまいには常暁からそう切って捨てられた。
「お互い、気をつけましょうね」
「俺はもうどうにもならん」
二人でそんな会話をかわすうち、さしたる進展もなく夕方になってしまった。あまり遅くなると、教師や親から文句を言われそうだ。そろそろ見切りを付けるべきだろう。
「あと二、三人で終わりにしましょうか」
「仕方無い」
常暁が生返事をした。
「じゃ、次の人どうぞ」
かけ声に力がなくなっているのを灯は感じた。それに呼応するように、やる気のなさそうななで肩の男子生徒が入ってくる。
「岩田さんとの関係は?」
「家が近いから、たまに会うだけだよ」
男子生徒は、そう言って顔を歪めた。
「……好きになれなかった?」
「当たり前でしょう」
「それはやっぱり、万引きをするから?」
「みんなはそうかもね。でも僕は、そんなことはどうでもいいんだ」
お、と常暁がつぶやいた。ようやく他の子と違う情報を持っている人物が現れたのだ。もっと聞き出そうと、灯は前のめりになる。
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