第13話 元の木阿弥
「なら俺でなく、部下に教えてやればいい。機捜は若手の登竜門、ベテランで残っているのはお前くらいだ。みんな喜んで聞くだろう」
「それでは後が育ちませんよ。このくらいのことは、自分で気付いてもらわないと。あなたも口が悪いのだから、せめて能力を示しなさい。居場所が無くなりますよ」
黒江に言い負かされて、常暁は肩をいからせる。そして再び、テレビの前へ突進していった。その様子を、正則が満足そうに見ていた。どうやら、黒江は彼のためにあえて常暁をいじめる役をしているようだ。
「……僧なのに修行が足りませんね。面白いので、もう少し見ていましょう」
黒江に誘われる。灯に選択権はなかった。今度は黒江と共に、テレビがよく見える位置に陣取って画面を見る。
「もう一度、始めからお願いします。無駄にまばたきせずに、よく見ていてくださいよ」
黒江の合図で、画像が再び動き出した。右下に時刻が印字されている、よくあるタイプのカメラの画像だ。予算を絞っているのか、音声の収録はない。
カウンターに、頭のはげあがった店主が座っている。小太りなので、座っているとおにぎりのようだ。彼は暇そうに、テレビのチャンネルを次々と変え、それにも飽きるとゆっくり船をこぎ始めた。
「暇そうですねえ」
「近所にスーパーがありますからね。平日の午前中ですし、個人店ならこんなものでしょう」
しかし店主のうたた寝は、不意に打ちきられた。九時半を目前にして、客が入ってきたのだ。
長身の男だ。やや目と目の間が離れている感じがするが、全体的に甘い感じでまとまっており、美男の部類に入るだろう。年は常暁や金崎より少し上、といったところだ。
「これが?」
「ええ、船戸ですね」
店主が何度か話しかけた。船戸は迷った末にカウンターの中の包丁を指さした。
「二本セットか」
「そのうち一本と、傷口の形が一致しました」
黒江がつぶやく。灯は船戸の顔を、じっと見つめた。親しげな表情で、どこにも力が入っていない。とてもこれから人を殺しにいくようには見えなかった。
「このとき、何を話していたんだ?」
旧式のカメラなので、音声は記録されていない。
「店主が一方的にしゃべっていて、船戸は気兼ねして相づちに徹していたようですよ」
「この店主、客がくると自分の話を聞かせることで有名だったらしいからな……」
「本人も詳細には思い出していません。粘ってはみたのですが収穫なし。腰が痛いだの、友達が病気になったのという感じの世間話をしたようです。もはや想像するしかありませんね」
やがて船戸は包丁の代金を支払い、店から出て行った。時刻は九時三十八分。店主はまた椅子に座って、船をこぐ。以上が、ビデオのほぼ全てだった。
「なるほど。こうして見ると、決定的だな。ここから犯行現場は大人の足なら、十分もあれば着ける。船戸には十分犯行が可能だ」
「でも、船戸さんは殺し屋じゃないんですよ。これから人を殺しに行くにしては、リラックスしすぎてません?」
甘い考えかもしれない。しかし灯はどうしても、そこが引っかかっていた。あまりにも、落ち着いている。一般人があそこまで、感情を殺しきれるものだろうか? 自分ならとても無理だと灯は思う。
「異常な性格、ということもある」
常暁が事もなげに答える。黒江がまた低く笑ったが、すぐに無視をきめこんだ。
「……いや、決めつけてはいけないな」
どうやら、黒江の笑みは「外れ」を意味しているらしい。常暁は再び目を皿のようにして、カメラに張り付き始めた。逆に灯は一歩引く。
「おい、どけよ」
「金崎くん、無理はいけませんよ」
若いキャリア──金崎というらしい──もやる気を取り戻して参戦し、テレビの前で押し合いが始まった。大人げない振る舞いを、灯は遠巻きに眺める。
「……あれ?」
二人の目線の先。大男二人が注目しているのとは、全く違うところ。そこに何故か、灯は引っかかりをおぼえた。
画面に目をこらすが、違和感はどんどん薄くなっていく。後半に見るべきものはない、と灯は結論づけた。
テープが先頭に戻る。灯も前に出て、目をこらした。
「あっ」
接近の甲斐あって、灯はようやく違和感の正体に気付いた。耳元で大声を出された常暁と金崎が、迷惑そうに顔をしかめる。
「お分かりですか」
「このカメラ……時計の設定おかしくないですか?」
灯が遠慮しいしい言うと、黒江がとても喜んで手をうった。
「私と同じ意見ですね。どうしてそう思われたのですか?」
「一番始めにうつっていた、テレビの画面です」
姉が好きだと言っていた、毎週火曜放送の海外ドラマ。その画面がうつっている。確かそれは朝十時から十時半の放送だったはずだ。それなのにカメラの時計は九時半を過ぎたところだ。
「放映内容は、局に問い合わせればすぐにわかります。おそらくカメラの手入れをしていなかったため、時計がずれているのに気付いてないんでしょう」
「ど、ドラマなんて見てないから分からないぞ」
「右に同じ」
常暁と金崎が、同時に顔を赤くする。うろたえる大人というのは、みっともなく見えるものだ。
「情報収集も警察の仕事。知らなかったで許してもらえるのは、学生までですよ」
黒江が穏やかな声でとどめを刺す。金崎と常暁が、無様な顔になった。そして同時に黒江をにらみ猫のようにうなる。
黒江はそれに言い返すでも無く、むしろ慈悲とも見えるような視線を返す。最上級の嫌味だ。まだまだ、若手では彼に太刀打ちできないようだ。
この一部始終を見ていた正則管理官が、低い声で告げる。
「……と、いうことは。船戸が包丁を買ったのは──」
「少なくとも十時より後……つまり彼女が殺された後ですね。……どうやら、この事件には無関係なようです」
「また、振り出しか」
今までの下調べが無に帰して、刑事たちが宙をあおぐ。常暁は難しい顔のままだった。
「しかし、犯人でもないのに何故姿を消すんだ? 仕事場には行っているのか?」
「いや。──まさか」
黒江がつぶやく。最悪の予想が、灯の頭をよぎった。
「被害者と一緒にいて、巻き込まれた?」
「可能性はあるな」
「もしくは、次に殺されたか……」
「なまじ船戸が怪しく見えたため、犯人を侮っていたか……」
正則管理官は思案顔になった。
「すでに二つの班が奴を追っていますが、増員しますか」
黒江の問いに、正則はうなずく。
「ああ。なんとしても彼を見つけるんだ」
「……生きているにせよ、死んでいるにせよ」
意地になる警察官たちの横で、常暁がまた余計なことを口走った。
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