第10話 打算も生き抜く術である

「でしょ。だからもう、どうなってもいい。殺人犯、捕まる前に僕のところに来てくれないかな。そしたら全部、終わりにできるのに」


 晴樹はうつむいて、そう話を締めくくった。灯は彼に近づいて、話しかける。──自分に救えるなどと思い上がってはいなかった。それでも、彼に何か声をかけずにはいられない。


「本当にそれでいいの? もったいないと思わない?」

「思わない」

「どうして? 君の人生は、この家を出てからやっと始まるのに」


 灯が言うと、晴樹は顔をあげた。その目は丸くなり、純粋な驚きが宿っている。


「どういうこと」

「だって、正直君の姉さんも両親も『外れ』じゃない。世の中にはもっとひどい親もいるだろうけど、どう見たって『当たり』じゃないよね」


 自分の過ちに気付きつつ、決して直そうとはしない者。

 それを、雑な上塗りで隠せると信じた者。


 どちらも愚かだ。その先に、未来はない。


「……そりゃ、そうですけど」

「だから、君は上手く立ち回って家を出ることに全力を尽くすんだよ。残った親を、尊敬できなくても愛せなくてもいい。単なるスポンサーだと思えば、付き合い方も変わってくる。社会人が会社に勤めて給料をもらうのと一緒だよ。都合良く利用してやればいい」


 たまたま灯は愛情をもらって育った。だから晴樹の気持ちを、心底理解することはできない。でも、タチの悪い両親の子供として生まれただけで、晴樹がなにもかも諦めて一生を無駄にする必要はない。そう真剣に思っていることは、確かだった。あとは精一杯、伝えるだけだ。


「君はまだ十二歳だろ? 八十まで生きるとしたら、あと七十年近く残ってる。二十代前半になれば、晴れて大人の仲間入り。その大半は、君が自由にできる時間だ」


 犯罪さえしなければ、どんな仕事をしても、どこへ行っても、誰と付き合うのも自由。全て自分で決められる。──灯がいつか、会社を抜け出そうとしているように、晴樹にもそんな選択肢がある。それは殺されるより、遥かに素敵なことだ。


「だから、協力してくれないかな。他の誰かのためじゃなく、君のために犯人を逮捕したいんだ。自由になる前に、君を殺させるわけにいかないからね」


 灯が問いかけると、晴樹がはっきりとうなずいた。彼の手の動きが止まる。背筋を伸ばし、視線を整える。


「分かりました、協力します。僕で分かることなら、なんでも答えます」


 灯は大きく息をつき、隣の常暁を見やった。


「後は任せます」

「いいのか」

「正式な聴取なんて、やったことないので」


 常暁は少し迷った様子だったが、うなずいた。


「あの日、姉さんに何か変わったことはなかったか」

「僕らには何も言わなかったんです。ただ、起きてくるのは早かったな」


 SNSにはまっていた真由はいつも眠るのが遅く、起きてくるのは家族の中で最後と決まっていた。しかし事件の日に限って、彼女が一番はじめに食堂に座っていたという。


「今思えば、ちょっと落ち着かない感じでした。でも、その時は『また変なことやってるのか』としか思わなかった」

「超能力者でもない限り、家族でもそんなものだよね」

「続けてくれ。他に気になったことは?」

「……ううん、その時、やたら指輪をいじってましたね」

「指輪?」


 単語を聞きつけた常暁の目が光った。


「うん。シルバーの、シンプルな形のやつ。それをやたらクルクル回すんです。僕が鬱陶しいからやめろって言ったら、また喧嘩になって」

「どの指にはめていた?」

「左手の薬指。誰にもらったかは知らないですよ。盗んだのかもしれないし」


 常暁が宙をにらみ、しばらく考えこんだ。そしてまた、口を開く。


「姉さんが、付き合っていた男を連れてきたことはあるか?」

「ないですね。まともな男じゃなかったと思いますよ。年上好きだって公言してたから高校生か……最悪、不倫かも」

「そうか。姉さんの部屋は、今どうなってる?」

「警察がさんざん調べた後ですよ」

「一度入ってみたいが、構わないか」


 常暁が聞くと、晴樹はうなずいた。一同は階段を上って真由の部屋に入る。広さは八畳程度、白い床にフローリングのつくりだ。


 確かに鑑識が立ち入った後らしく、ホテルのようにきっちり部屋が片付いている。常暁が いくつか机の引き出しを開けてみたが、モノがなくなって歯抜けになっていた。壁にかかっている男性アイドルのポスターだけが、辛うじて女の子の部屋だと主張している。


「……言ったでしょう。まだ何かあると思ってるんですか?」


 晴樹は呆れ顔だ。しかし常暁はそれに気をとめず、ぐるぐると熊のように室内を歩き回っている。


 ここにきて袈裟姿なのが、妙に凄みを帯びてきた。まるでそこに死者の霊がいるようで、霊に対しては門外漢な灯は首をすくめる。


 常暁は歩き回った末、部屋の中央で仁王立ちになった。顔は相変わらず険しい。両手とも親指と小指だけを立て、それを互いに触れ合わせている。


「オン・マユラキ・ランデイソワカ」


 聞き慣れない文字列が、常暁の口から飛び出す。しかし、不思議と背筋が伸びた。周囲にいるものの気配が変わったのを感じる。窓が開いていないのに、涼しい風を感じた。


 一定のリズムで、淡々と繰り返される音。それは明確に、自分の存在を主張している。一体、何に?


 死んだ女子だろうか。ここに残された家族たちにだろうか。──それとも、顔も知らない誰か……。灯は想像を巡らせたが、常暁に聞くことはできなかった。


「終わったぞ」


 ふっと息を吐く音の後、常暁の声がした。それが、灯を現実に引き戻す。何度かまばたきをした。


「性質の悪いやつは来てない。やはり憑いているとしたら、犯人の方だな」


 常暁がやや残念そうな顔で言う。この祓いのような行いが、この言葉が、何を意味するのかさっぱり理解できない。灯は首をひねった。


「こっちの話だ、気にするな。そろそろ帰るぞ」

「あ、じゃあ晴樹くんに挨拶を……あれ、いない」


 いつの間にか、後ろに立っていたはずの晴樹がいない。急に経を唱えだした坊主に、恐れをなしたのだろうか。


「完全にいなくなったわけではないな。隣の部屋から物音がする」


 灯たちはしばらく待つことにした。その間に、さっきの呪法について聞いてみる。


「いきなり何を始めたんですか? 協力関係になったんだから、何を怖がってるのか教えてくれてもいいでしょ」


 灯が食い下がると、常暁は少し間をおいてうなずいた。


「害毒の除去だ」

「それじゃ分かりませんよ」

「今時の学校はそんなことも教えないのか」

「魔術学校かなにかに通ってたんですか?」


 灯が冷たく言うと、常暁は一瞬口をへの字にした。そして渋々、話し出す。

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