第9話 暗い家

「黒江さんから、電話が……」


 灯がそう言うなり、常暁が呪文を吐き出した。


「あの男はいつもいつも余計なことを……」

「呪うのはやめてくださいよ」


 灯は慌てて常暁の袈裟を引いて黙らせる。


「どうせあんな魔物に何をやっても効かないが、俺の気が済まない」


 灯は心の中で、再度ため息をつく。


「いつか痛い目みせてやる」

「はいはい、それより今日の捜査ですよ」


 常暁は一瞬、灯の向こうに誰かを見たように目を細めた。そしてしばらくして、ようやく平常の顔に戻る。


「これから会うのは──岩田晴樹。被害者の弟だ」





 晴樹の自宅に着き、すすめられたソファに腰を下ろす。被害者の育ちようから、どんな有様かと少し構えていたが、いたって普通の建売住宅だ。家具も一般的なものが一通り揃っており、特に生活に不自由している様子はない。


 出てきた晴樹も、確かに少し体は大きいが、不健康に太っているという感じはしない。写真の真由によく似た顔立ちをしていて、ちょっと襟足を長くしたおしゃれな髪型をしていた。


 彼は十二歳、小学六年生。そろそろ反抗期に入りそうな子供が、坊主とサラリーマンの二人連れを見てどんな反応を示すのか。少し気になっていた灯だったが、晴樹の反応はしごくあっさりしたものだった。


「ふーん……」


 事情を説明しても、その一言で終わり。むしろ全てを理解しているからとっとと帰れ、という雰囲気だ。後ろで待機している両親の方が、しきりに目を泳がせているのが目立つ。彼は、なかなか強敵だ。


 どうやって相手の心を開いたらいいのか。情報が少なすぎて、きっかけすらつかめそうにない。姉の家には出入りしているが、姪はまだ五歳だし──今の小学生って、何が好きなのかと灯は考え始めた。


 とにかく、初手は軽い会話から。灯がそう決めた途端、常暁が口を開いた。


「姉を殺したのはお前か?」

「あっ、直球バカ」


 常暁が不躾に言い放った。あえて踏み込む、という素振りもなく、本当に聞きたいから聞いた様子。


 確かにこの調子で動き回っていては苦情も来るはずだ。本来の任務達成など不可能。灯は黙るようにと、常暁の服を引く。


「オブラート、オブラート! 幾重にもくるんで!」

「お前はいったい、何を言っている」


 晴樹もさすがに常暁の発言には驚いたらしく、拳を堅く握り締めた。両親は何かいいかけたが、常暁ににらまれて動きを止める。灯は仕方無く、仲介を始める。


「ごめんね、この人が変なこと言って……お姉さんの事件を、調べてるんだ」

「坊主が?」

「この人は、警察の特別アドバイザーなんだよ」


 それはなんだ、という視線が横から飛んできたが、灯は無視する。逆に晴樹は返事もせず目をそらす。


「殺人犯、早く捕まって欲しいよね?」


 灯はおざなりな質問をして、そこで言葉を切った。晴樹のついたため息が聞こえ、全く相手の心に届いていないのがわかる。このまま続けても晴樹は適当に答えて、早く解放されようとするだけだろう。灯はやり方を変えることにした。


 横で常暁がなにやら呟き始める。灯は軽い目眩を覚えながらも、晴樹に向けて笑顔を作った。


「君はすごいね。怖い犯人が同じ街にいるかもしれないのに、全然怖がってない。どうしてかな」


 灯の問いを聞いて、晴樹は眼球を動かした。


「──ただ、どうでもいいだけ」


 言ってしまってから、晴樹はちらっと両親の方を見た。まずいことを言ったと自覚した顔だ。しかし、両親は下を向いたまま微動だにしなかった。


「気にしなくていい。彼らは眠っている」


 常暁がしてやった顔で言った。


「……眠らせたんですよね? 親の同席は? それに、彼らからも情報を……」

「子供の万引きすら止められない馬鹿親。それに、さっき俺がちょっとにらんだだけで折れた弱々しい態度。いても邪魔なだけだ、どうせ何も知らんしこいつの護衛もできん。お前もそう思うだろう?」


 晴樹は常暁に無茶振りをされて、固まっている。


 灯は呆れたが、これは困難を打開する好機と思い直した。


「……今は、言いたいことを言っていいよ」


 本当に両親は、自分の言葉を聞いていないのか。晴樹は何度もそれを確かめてから、ようやく安堵して力を抜く。親の目がないと、途端に表情が子供っぽくなった。


「……やっぱり、いくら好きでも、親には言いにくいこともあるよね」


 灯はあえて、含みを持たせて言ってみる。晴樹がようやく、身じろぎをした。


「ううん。別に好きでもなんでもない。いないと生活できないから我慢してるだけ。こんな両親だし……あんな姉ちゃんだったし。……知ってるかもしれないけど、姉ちゃん、小さい頃は身体が弱くてさ」


 真由の母はそれを自分のせいだと気に病み、常に彼女を最優先してきた。そのおかげで、真由はいつでも他人が注目してくれないと、ふてくされるようになってしまったと言う。


「母さんも馬鹿だよね。小さい頃にダメなことはダメって言っておけば、自分が苦労しなくてすんだのに」


 晴樹は皮肉っぽくつぶやく。灯はうなずいた。


「小学生の頃はまだよかったよ。子供ってだけで、ある程度構ってもらってたからね。最悪だったのが、中学になってから」


 今まで無条件に彼女をちやほやしてきた両親も、さすがに自分のことは自分でしなさいと言うようになった。そして学校には真由より可愛い者、勉強が出来る者、スポーツが出来る者など掃いて捨てるほどおり、教師も肩入れしてくれない。


「身体だってもう、普通だったからね。倒れることなんてまずないから、姉ちゃんがそれで同情をひくことはできなかった」


 そうやってためこまれたストレスが、盗癖という形で表に出てきたのだろう。今まで万引きの理由など考えられないと思っていたが、事情を知ってみれば納得だ。


「おかげで僕は完全にほったらかし。同じクラスでも、私立目指して親が送り迎えしてる奴もいるのに──僕は、受験の話すらできてない」


 晴樹は低く笑った。その顔は、不自然に大人びている。自分の腕を反対側の手でさする彼の仕草は、両親からされなかったことを自分でしているように見えた。身近にいても、心は自分の上にない。それを自覚して育つことは、どれだけ辛いのか灯には想像もつかなかった。


「姉ちゃんが死んだら、今度はどうしてこうなったって親同士で責任のなすりつけ合いさ。きっとあの人たちは墓に入るまで、この調子でみみっちく、みすぼらしく生きてくつもりなんだろ」

「だろうな」


 常暁が険しい顔で同意する。爪を噛む晴樹の瞳が、黒く濁った。

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