第7話 皆に恨まれ殺されて

「弟さんまで? どんなに大きくても、小学生くらいでしょう?」

「驚くな。弟の晴樹はるきは体格が良くてな。最初に注目されていた」


 姉の真由が盗みを繰り返し、謝礼金を必要とするせいで、家庭はまさに崩壊寸前だった。父と母はお互いに責任をなすりつけ合い、いつも喧嘩が絶えなかったという。


「しかしそんな状況でも姉はけろっとしていて、今後も同じ事をするとのたまっていたらしい。弟は以前から『殺してやりたい』と周囲に打ち明けていた」


 灯は宙をあおぐ。顔も知らないその弟に同情した。さすがにそれでは、たまらないだろう。


「ただし、姉の殺害時刻に彼は学校にいた。多数のクラスメイトや教師が彼を目撃しており、すぐリストからは外れている。最近、怪しい大人と接触した形跡もないしな」


 灯は安堵の息をついた。


「次は……担任教師?」

「ああ。担任教師の船戸大志ふなと たいしは、被害者と肉体関係を持っていた」


 灯は顔を歪めた。とんだ不良教師である。


「……彼女、妊娠してたんですか?」

「いや。そうであれば、奴の容疑は一気に濃くなったんだが」


 さすがにそのあたりは、警察によってきっちり調べられていた。


「性的関係があったことは認めたが、一時の気の迷いだと言っている。嫁が妊娠中で、ストレスが溜まっていたというのが奴の言い分だ。岩田も遊びと割り切って楽しんでいた、と奴は言っている」

「奥さんがそんな時に……」

「妻の妊娠中に浮気する男は多いぞ」


 灯は茶を飲み下す。急に、その液体の苦味が増したような気がした。


「彼も勤務中だったから、一応のアリバイはある。ただ、授業中ではなかったため弟ほど強固なものではない」

「こっそり抜け出せる時間はあった、ということですか」

「……しかも、奴はここ数日職場にも姿を見せていないときた」


 今も所轄の刑事たちが、彼の行動をあぶり出そうと動き回っているようだ。今のところ、最有力容疑者だろう。


「スーパーの店長はどんな因縁が?」

「店長、和知公平わち こうへい──彼が揉めていたのは、被害者本人というより両親だったかもしれないが……腹を立てていたことには変わりないからな。娘を殺すことで、親に衝撃を与えようとしたのかもしれないし」


 何度万引きを繰り返しても、両親はその場しのぎに現金を渡すだけで、真由には甘い。その姿に店長が切れて、冷戦状態だったそうだ。


「通報しちゃえばいいじゃないですか、そんなの。補導されるかもと思えば、やめるかもしれないのに」

「それが、そうもいかない事情があったんだ」


 店長が大事にしているスーパーの駐車場。その土地の権利を持っているのが、岩田家だったのだ。


「少し駅から離れたところにあるから、駐車場がなくなったら車の客が離れてしまう。だから店長も強く出られなかった」

「……たまった怒りがついに爆発、ってパターンはありそうですね」

「捜査はこんなところだ。明日仕事が終わる頃に、どう動くか連絡する」

「わかりました」

「では、俺は帰る。馳走になった。資料のことは、外で言うなよ」

「念を押されなくても分かってます」


 常暁は素早く身支度を調え、立ち上がる。そして驚いたことに、袂から真新しいスマートフォンを取り出した。


「──つかない」


 しかし、なにやら彼は困惑していた。灯が彼の手元を覗きこんでみると、彼はシンプルな黒い端末に困惑している。


 灯がのぞきこむと、画面が真っ黒になっている。故障かと思ったが、コンセントにつないでみると普通に充電の画面が出た。


「バッテリー切れですよ。何日充電してなかったんですか」

「……一週間くらい? でも、今朝は動いていたぞ」

「どれだけ使ってないんですか」

「だって電話をかける時しか使わないだろう」

「……さっきのSNSも、全部それでできるんですよ?」


 同行できない宗主が心配して持たせてくれたのだそうだが、贅沢な最新機を持て余すさまはおじいちゃんのようであった。完全に宝の持ち腐れである。


「電話するだけなら、うちのがありますけど」

「助かる」


 常暁はずかずかと進み出て、訳知り顔で電話機のボタンを押し始めた。さすがに彼でも固定電話はわかるようだ。


「ああ、俺だ。今からそっちに泊まりに──なに、無理?」


 いきなり旗色が悪くなったようだ。常暁の眉がかすかに歪む。


「……ああ、そうか。それなら仕方無いな。自分で頼んでおいて、ざまあない」


 常暁は何やら話を聞くと、納得して電話を切った。


「どこかここらに、寺はないか。あてが外れてしまってな」


 灯が自分のスマホで探すと、少し歩くが常暁と同じ宗派の寺が見つかった。それを告げると、彼の顔が明るくなる。


「密教の寺ではないようだが……宗主の名前を出せば、軒先くらいは貸してくれるだろう。世話になった。手当に上乗せしておく」

「そう大した手間じゃないから、今回はいいですよ。にしても、最初はどこに泊まるつもりだったんですか」

「警察署だ」


 常暁はあっさりと言った。大きな事件になると、刑事が署に泊まり込むのは珍しくないようだ。身内のため、最低限の設備はあると常暁は語った。


「だから今回も当てにしていたんだが……断られた」

「残念でしたね」


 灯がなんのてらいもなく答えると、常暁がじっとこちらを見てきた。


「お前、この近くに親しい者はいるか?」

「は、はい。結婚した姉が、家族と一緒に住んでます」

「重々気をつけるように言っておけ」


 それだけ告げると、常暁は踵を返す。灯はあわてて、彼にすがった。


「ち、ちょっと待って下さい。どういうことですか」


 袈裟を引かれた常暁は、憎たらしいほど表情を変えない。


「俺が宿泊を断られたということは、署内がすでに刑事でいっぱいということだ」

「そうですね……」

「通常、捜査本部ができたとしても集められる刑事は五十人程度。そのくらいなら、俺が潜り込むこともできたはずだ」


 話がさっぱり見えないが、とりあえず灯はうなずく。


「大勢の刑事が宿泊するのは、事件自体が重大なものと判断され、人員がかき集められている証拠だ。……その提言をしたのは俺だがな」


 灯は息をのんだ。


「なんで……」

「まだ詳しくは言えんが……もしかしたら、ずっと追い続けている相手に会えるかもしれない。そのための準備をした、というだけだ」


 常暁はさらにつけ加える。


「これ以上は聞かないでくれ」


 真剣な常暁の顔を見て、灯は首を縦に振った。

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