第3話


「ネギアブラ、進行停止。簡易地形マップ展開」


そして、そのタイミングが生んだ僅かな隙にリリーは息を整え終わったようだった。車内前方斜め上に照射されるプロジェクターの光が一瞬で描き出したのは勾配線。


「おお。これは——ここら一体の地図か」


俺は何となく、少し驚いたふりをした。そうしなければいけないような気がしたからだ。


すると、

「アンタはごちゃごちゃウルサイから、これから説明してあげるの」


俺が空気を読んだ間にリリーは俺の性格を読んだらしい。

恐らく音読みと訓読みくらいの間違いはしていると一応は自称して、おきたい。


「良い? まず私がネギアブラから出て魔力で駆動できるステルス装備で工業地帯に変化がないか周辺の調査をしてくる」


が、それはおきたかったと成り果てて。間髪入れずにリリーは後部座席から身を乗り出して俺の後頭部を圧迫しながら指を指し、説明を始めた。


「さっそく俺は役立たず、か」


しかしささやかな抵抗でなんとか言葉を漏らして、俺は後ろ頭を後部座席に収めた。たまに触れる胸の感触に悶々としない訳でも無いが、生憎の生憎は生憎なのである。

世の中には知らなくてもいい事が、きっとあるのさ。


「役に立たないって事は無いから。私が調査に出ると同時にアンタは迂回して、時間になったらハッキングジャマーって武器を射出。ネギアブラをこの地点まで運んどいてよ」


そんな俺の邪悪で醜悪な心根を露知らず、お優しいリリーは俺の行動を指示し、頭上に浮かんだ映像に指で赤い線を引いた。


どういう仕掛けか気にはなったが、それよりも、である。


「ん? まさかお前ひとりであの工場に?」


俺はアイリンガルの補助が無ければネギアブラの運転がまだ出来ない。俺がネギアブラに残り、リリーが調査に出るという事は必然的に彼女が独りになるという事だ。


「まね。衣料品の工場は浅い所にあるし、いつもやってる事だから。まぁ調査の結果、今回は無理ってなったら赤色の信号弾を空に撃つから」


それでも彼女は平然と首を傾げ、


「その時はハッキングジャマーを撃ってから別の……この地点に急いでくれると助かる」


決定事項のように話を進める。まったく以って、やはり反省はしていないようだ。


「……まぁ、俺はこの世界の状況とか分からねぇから危険だって言葉だけしか思いつかないんだが——」


しかしながら心内のモヤモヤが再燃しなかったのは、今回は譲歩のように作戦を伝えられたためであろう。己自身の力不足に対する自覚も無論、相まって。


「今からでもやめるわけには行かないのか? たかが服だろ?」


だから俺は先送りが出来ないものかと思案する。今はまだ、今でもまだ、俺には知らない事も、出来ない事も多すぎて悪臭漂う後悔の波がまた押し寄せる。

洗い流せない性分を恨むようにしつこく。



それでも——、

「たかが服、ね。そりゃアンタが居た世界や昔の時代だったらそうなんだろうけどさ」

 「糸も服も、どんな宝石なんかよりも私にとっては盗む価値のあるものだから」



「……」

どうやら今回は逃げることが出来ないようだ。崖の先端でリリーが俺を突き落とすから。


「そこのアイは、私の母親が殺された頃の物心つき始めた頃から今まで、色んな事を教えてくれて御伽話だって聞かせてくれた」

 「私だって憧れたりするの」


「異世界から現れた勇者と一緒に冒険するお姫様って奴に」

「素敵なドレスのお嫁さんにだってね」


珍しく神妙な声色で、俺の腐った根性に甘えるような言い回しで彼女は切なげに語る。いいや、そういう風に響いた気がしただけだ。


「——命を賭ける程の夢、ねぇ……」


俺は回顧する。回顧する。回顧する。回顧する物が無いと気付くまで、そう時間は掛からないのである。とても、空虚で。


「アイは置いてくから、もう少しネギアブラの操作マニュアルでも眺めてなさいよ」

「リリー。御伽話の勇者じゃなくて悪かったな」


全身を引き剥がされていくような虚脱感の中で俺は行動を開始した背後のリリーに割と真面目な声で言葉を紡ぐ。罪悪感というよりは、己に対する失望感の方が大きかった。


すると、少し感慨に更けたリリーが微笑な口調で俺に語るのだ。

「……はは、馬鹿ね。憧れてんのはドレスを着て剣を振り回すお姫様の方だっての」


「は。お前はゾンビ映画で自慢げに銃を振り回してるハリウッドスターの方が似合うよ」


幾分か救われたような面持ちだ。ロックでもねぇが、ロックグラスの酒をバーカウンターに滑らせたい気分で暗いクライ雰囲気は流されて。


まだいつもじゃない、いつも通り。


「スターって響きは好きね。じゃあ着替えるから後ろ振り返らないでよ」

 「眼球と入れ替わりで鉛玉を埋め込まれたくなかったらさ」


「そりゃ、金属アレルギーじゃ済まなそうな厳罰な事で」

『解答、その行為で金属アレルギーになる事は医学的に有り得ません』


砂漠のサソリが何処からか俺達を狙ってきそうな、そんな光景の中での日常会話はとても馬鹿馬鹿しく車内から世界に響く。


「分かっているよ、流石に医者じゃなくても、な」

「そんなアホに付き合わなくていいって、アイ」


「その素人馬鹿が、またアホなことしないようにちゃんと見張っててね」

 『了解。アホな素人馬鹿に気を付けます。リリーも気を付けて』



「散々な言われようだな。反論の余地も無いが」


そのロクでも無い程の中身の無さに呆れつつ、自虐を覆い隠そうと俺はタブレットの先端を額に当てた。


すると、直後の事だった。

「じゃあ私、行くから」

「早いな、おい‼」


唐突な出立の宣言に思わずツッコミを入れる。そこには、何の余韻もなく準備を終えたリリーが立っていて。


「——振り向くなって、言ったよね?」

「それは卑怯な誘導だろ……」


如何せん扇情的な露出の多いその出で立ちに、俺は言葉を詰まらせた後に何とか声を絞り出す。無論、笑顔で突き付けられている銃口の顔色に旗色の悪さを感じたことも否定しない。むしろ、その所為だと重点を置いて主張しておこう。


「時間ないのよ。夜だとこっちの視界も悪くなるし、この見た目の恥ずかしいステルス装備は多量の光源があった方が実は効果があるから」


「さいですか」


銃を腰に収めたリリーの溜息の中で、俺は女性の身支度に時間が掛からない事もあると辞書に記述しておくことにしようと思ったものである。


そしてリリーが車外に飛び出る鉄板の歪んだ音が耳にコダマする中で、孤独と無力感を享受しながら天井を見た。相も変わらない状況、監獄のようなメタルグリーン色の天井にも関わらず、まるで元の世界の空のようだ、とそう思う。


「——……行っちまったな。止めた方が良かったか?」


『リリーの行動をアナタが止められた確率は、ほぼ0パーセントと推察されます』



まぁ、独り言にならない会話の相手がいることが救いと言えようか。



「その0コンマから向こう側の話をしてるのさ」

「【たられば】を悔やむなんて、機械には分からない感覚か?」

『……移動を開始します』

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