第2話

パテムスラット工業地帯。先ほどリリーが言葉にした次の目的地。

その響きは、俺の中で何となくスッキリと脳に納まった響きだった。


パテムスラット。皆も口に出していってみよう。



さん、はい、パテムスラット。


「工業地帯なんて敵の本拠地みたいなところに家なんてあったらさぞ便利でしょうけどね……残念ながら補給物資を取りに行くの」


そんな呑気な俺の印象とは逆に、リリーは辟易とした様子でその場所について語った。


「補給物資。飯とか、燃料とかか」


その様子を飲み込みつつ、俺は未だに呑気な振りを続けながら素朴な感じで会話の中身を深堀しようと試みる。


すると、だ。

「んーん。可愛い服、そろそろサイズがキツクなってきてさー」

「……は?」


思いもよらない解答に体が硬直し、無意識に恐る恐る振り返る俺の体。


「いやいや待て待て……じゃあ何か? お前の貧相な体を着飾る服とやらの為に、これから敵の本拠地に突っ込んで戦争しに行くって話か?」


到底、理解の及ばない話だった。砂漠で工業地帯、安易なステレオタイプな想像をするとすれば石油辺りが妥当な所だろう。


なんだったら、ファンタジーらしく砂の渦の地下深くに眠る魔法の宝石だって良い。


「大丈夫、大丈夫。何処にあるか知らないけどアンタ用の服もちゃんと調達するって」


けれど彼女は明確に、衣服を盗みに行くと述べ、有難い事に気遣いの効いた欠伸を戦車の天井に向けて吐く始末なのである。


「いや、あー、要らねぇよォ……」


途方もないこの衝撃には心底頭を抱えたものだ。彼女が欠伸なら、俺からは溜息しか出ない。それでも、この戦車の主導権はリリーにある。異世界の砂漠に投げ出され、拾われた身である俺は微妙な立場ながら苦心しつつ、なんとかリリーを説得し予定の変更を図ろうと思考を巡らし言葉を探し始めて。



その矢先だ、

「あ、ちょっと待って」


思い出したようにリリーが声を上げる。アレ以上に待って欲しい事柄があるものかと言おうと決意するものの、


「誰が貧相な体か‼」

布団でも叩くように彼女は、掌で俺の側頭部を圧し揺らす。はたくと言ってもいい。


「じゃあ世界一の豊満なバデーでいいさ……もう」

「嫌味か‼」


走り出したネギアブラと言う名の戦車から、投げやりな俺の声を掻き消すリリーの怒りが世界に響く。実際、彼女は世界一の豊満なバデーなのは嘘でもないのかもしれなかった。

          2

【お気付きかもしれないが。この世界は、もう滅んでいるらしい】


先ほどの与太話から一転して、沈黙に包まれた車内。ネギアブラのモニターに映る光景は砂漠の砂粒と所々に寂れた朽ちた建造物の群れ。前衛芸術なら如何ほどに良い物だろうか。


 誰が見たって戦争が起き、放棄されたゴーストタウンが、やがて長い時の中で砂漠に飲まれたような光景にしか見えない。


 元の世界で論議されていた電線が地中に埋まっている辺りに皮肉が効いている。


【剣と魔法の世界は遥か昔々の物語——】

彼女、リリーが後部座席で読んでいる本はそんな冒頭で始まりそうな装丁の分厚い本で。



【俺みたいな異世界人とやらが、元の世界の知識を用いて悠々と世界を発展させ、この世界も便利な機械に溢れていたそうだ】


そして、しょうもない噂話に聞こえた現実でもある。


【倫理観やら道徳心が育つのを待たずして、急速に文明は普及していった】


俺は特に何も思う事も無く、さながらB級ホラー映画でも見るようにドリンクホルダーの水筒の中身をストローで軽く一啜る。


「なぁ、もう一度聞くが本当に生き残りの人間は他に居ないのか?」


沈黙に耐えかねてという訳でも無いが、適当に気分を変える為の世間話。そんな風体で俺は尋ねた。あえて二人に、と、この時の俺の心情を述べておこう。


「またその話? しつこいなぁ」


昨日から数えて明確に聞いたのは二回目だったように思う。遠回りでそんな疑問に行き付きそうな会話の数を覚えていない。


「居ないと思うよ。少なくとも私の生活圏で他の人間の痕跡なんて見た事無いもの」

ウンザリしながらもリリーは読んでいた本に栞を挟み、そして閉じる。


「……探した事が無いのかって聞くのは野暮か?」


『解答、野暮です。リリーは時折、合理性に欠く判断をしていました』


『例えば次元波長の乱れを感知した際の移動ルートの変更等です』

 『アナタのような異世界人、又は生存人類の捜索と推察すれば理解が出来る行動でした』


つくづく機械ってのは、つつがない。誤用だからテスト用紙には書くなよ。


 感情に異常を持たずに淡々と職務をこなす。こういう所をみると幾ら流ちょうに会話をこなそうが機械だという事実を思い出させてくれる。無神経って、話さ。


しかし、まぁ直接は聞きづらかった事を聞けて有難くもあり、それがこの人工知能アイリンガルなりの気遣いかもしれないとも思うのである。



子を心配する母親のお節介のようなものなのだと。


「ちょっとアイ。お口がご機嫌過ぎじゃない?」

「私は昨日からのアンタの言動の方が理解できないんだけど」


そして子は母の心配を往々にして煙たがるものなのだろう。どんな世界、どんな時代であろうとも。なんて、哲学みたいな事を想いつつ、


「お前にだってプログラムされている親心って奴さ。これからお前がそこの缶詰を取って俺に優しく手渡してくれる母性みたいな、な」


俺は牛丼屋で腹を満たした後のような適当さで彼女らを茶化した。


「……そりゃ私に缶詰を取れって言ってるのよね」

 「理解が早くて助かる。もう昼もとっくに過ぎて胃袋が泣き出しそうだ」


怪訝なリリーの声に首を傾けて骨を鳴らしながらのニヤけた軽口。全く以って自分が嫌いになる毎日だ。もはや性分なのだろう、この身勝手でクソ生意気な性格は。


「ホント、アンタなんか見捨てて砂漠の養分にでもしてやれば良かったと昨日から二十回は思ったもんよ。人間がこんなに面倒くさい生き物だったなんてね」


 「ああこれ、人類が滅んでよかったと初めて思わされたって話ね」


そんな俺の悪態に、いつだってリリーは悪態で返す。後部座席の足下にある小さな貯蔵庫から缶詰を取り出し、俺に渡す前に運転席に踵を落として。


「そりゃ災難な事で。なら、やっぱり別の人間を探してやらないと、な」


それでも振り返らぬまま肩越しに手を差し出すと俺の掌に缶詰が渋々と乗ってくるあたり、リリーの素晴らしい人格(笑)が伝わってくる訳だが。


「俺は人間の中じゃ最低の部類に属しているんでね、昔から」

 「人類の素晴らしさを伝えるには些か役に不足している」


 底意地の悪い自分の悪態に対するろくでもない言い訳を垂れ流し、クソみたいな悪臭のする許しを請う俺は缶詰と共にフォークを添えてくれたリリーの優しさを切り裂くように慈悲も無く、ラベルの無い缶詰の蓋を開く。


すると、頬杖を突いたリリーが外を眺めるように呟いた。

 「……人類の素晴らしさ、ね。散々と最悪な物を置き土産されて好きになる方が難しい気もするけどさ」


その点には強く共感せざるを得ないものがあるかもしれない。現代人としても。


それでも——、

「夢の成れの果てなんだろ。別に子孫に嫌がらせしたくて残したわけじゃないのさ」


俺は彼らを庇う。手に感じる重みを思い出すように寂しげに目線を下げて。

一昨日には何一つ省みる事の無かった思いで。


「この缶詰ひとつだって、長期保存や衛生観念と思いやりに溢れた商品なんだろ」


缶詰の中身は一見、何かの水煮のようだった。鯖では無いのは確かだ。

小さく零れた笑みには今までの糧が無ければ、この糧を食う事も無理だったのだろうという皮肉たっぷりの自嘲が込められている。


「アイ。これ、何の肉だ?」

『解答、工業機械で人工培養、生成された動物性たんぱく質です。特定の生物を解体し作られたものではありません』


「味気の無い味だな、力強さがねぇよ」


文句を垂れながら胃の腑に落ちる感覚は、それなりの貴重な体験であるよう。


「拠点に腐るほどあるけど気に入らないってなら返しなさいよね、ここに積んでる食料や水には限りがあるんだから」


この食生活が当たり前の彼女には俺の感情を言葉にして理解は出来ても実感は湧かないのかもしれない。これもまた、皮肉な話。



満たされぬ世界で満たされる話、満たされた世界で満たされぬ話。


「普段もこんなメシで済ませてんのか?」

「ご生憎、アンタの世界みたいにお幸せじゃなくてね。ゴハンなんか作業の合間に詰め込むモノなんだから味なんかどうでもいいわよ」


「美味しいモノ食べる為に死んだら本末転倒でしょ?」


ご指摘されずとも《お幸せな世界》だったと心から思う今日この頃なのさ。


「まぁそりゃそうなんだが……これからお洒落な服を取りにいくオナゴの発言じゃねぇよ」

「服と空気は綺麗な方が良いのよ。気分的にね」


そんな言葉と内心の想いも相まって肩を落としながら粗食中に息を吐く俺の食事風景は、さぞ美味しく無さそうに見えたに違いない。


「……アンタ、昨日の今日で随分と落ち着いているみたいだけど元の世界に帰りたいとか思わないわけ? はい、ソース」


「異世界人の中には憑りつかれたように頭がおかしくなる奴が居るって話を昔アイに聞いていたりしたんだけど?」


リリーは俺の醜態を見かねたのか、少し迷ったかのような間を置いてから俺の頬に何かのソースの瓶を当てる。その気遣いに加えてのこの質問と来た。


良い奴過ぎて涙が出るね。《嫌い》という表現を《相性が悪い》という表現に変えておくことにしよう。


「……帰りたいに決まってるだろ。出来るなら冷房の効いた部屋でこのまま大人になりたくないと思いながら世の中とアイスでも舐め腐っていたいね」


ドブ泥のような色のソースを缶詰の中に流し込みつつ俺は鼻で笑った。


「マズ」


きっとお茶らけた態度の報いなのだ。帰りたくないと言おうが帰りたいと言おうが、受けた罰。俺はこのソースの掛かった培養肉の味を生涯、いや生まれ変わりなんてものがあろうと忘れはしないだろう。


「まぁ、ただ……この砂とサビ鉄しかないような砂漠に一人残していくのも気が引けるくらいの道徳心は植えつけられているんでね」


そして、ほんの少し八つ当たりの雰囲気が滲んでしまった嫌味な言い回しは、ささやかながら手前勝手な罪悪感を内心に募らせた結果の物である。


「何を言ってんだか、アンタの言い回しは回りくどくて一つも理解出来ないっての」


勿論、そんな事はリリーには知る由も無いことであろう。

『リリー。翻訳の結果、彼はアナタの事を心配していると言いたいのでは?』


「ずいぶんと気の利く人口生命体な事で。惚れちまいそうだな」

この傍らに居る高度な人工知能さえいなければ、である。


『照れ隠しの為の挑発的な言動は自身の品位を下げると具申します』

 「下げてんのさ。身の丈に合わない品位なんて脱げた時に恥が際立つからな」


無機質な節介に俺は少しゴキゲンに謳った。


「……///」

そこにリリーが食って掛かってこなかったのは些かなれども僅かに意外で。

しかし、好奇心が根源の疑念で様子を確かめるべく振り返ろうとした矢先に——、


『ピピ。残り数分で工業地帯が遠視出来る範囲に入ります』


物の見事に意識を逸らされる。空気読者の為せる業か偶然という神の御業かのどちらかだろうという程に絶妙なタイミングには舌を巻かざるを得ないものであった。

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