踊る二人のエアロゾル。

紙季与三郎

第1話

 少し昔。蝉も鳴かない、とある高気圧に包まれた日。空に浮かぶ積乱雲の中にはどれ程の水分が含まれているかと問われた。


熱砂の中で深々とマントを羽織る彼女の解答はこうだ。


『知るか、バーカ』

全く以って。


「そんな事より燃料が後どれくらい持つかの数字を考えろってんでしょ」

彼女は恐らく六角レンチでネジを閉めながら不機嫌に車体を蹴った。


まったく以って。


「目的地までどのくらいかの距離かによるさ、いつだって」


運転席で足を延ばした先にある数字は見慣れぬ形の文字ばかり。

俺はふと、回顧する。


【俺が異世界とやらに来てから二日目、我ながら随分と心が落ち着いたものである】


 【いや……心は未だ、いつの間にか砂漠のど真ん中に突っ立っていたままの茫然自失から抜け出してはいない】


「ったく……とんでもないお荷物拾ったって感じ。アンタ、ホントに異世界人?」


車外の修理に一段落を付け、ぶっ刺すような日差しの砂漠からワンLDKくらいの広さのある車中に戻る悪態使いの少女。


「俺の世界には色んな奴が居たもんさ。世界を滅ぼせる発明が出来る頭の良い奴から口だけで何も出来ない平和ボケした俺みたいな家畜までな」


まぁ、偉そうに車中でふんぞり返る自分には負けるかと自嘲気味の笑みで俺は背後の席に座った彼女へ、水の入った水筒を渡す。


「はっ、私の世界には私みたいな使える奴しかいないけど?」


すると水筒の蓋を空けながら彼女は鼻で笑った。


【そりゃ、『私』しか居ない世界ならそうだろうさ】


皮肉めいた言動に心の内で俺も欧米風に肩で笑い返して。


「弱肉強食。人権だなんだと与太話を聞かされたって、行き付くとこはそこでしょ」

プハァと水筒の水を飲み、とても辛らつに世を語る彼女。


「脳筋め……それでもくだらない争いが起こらないまま人死にが減れば万々歳だろうさ」


俺は否定こそしなかったが、返された水筒に愚痴を溢すように言葉を漏らして車両の横に備えられているドリンクホルダーに水筒を戻す。


「詭弁だろうが何だろうが、それで八十九十と歳を重ねて家族に囲まれながら死んだのがうちの爺様だよ、馬鹿野郎」


今までは社会学にさして興味も無かったが、なにしろ故郷を馬鹿にされているようで些か気分も悪く、欺瞞に溢れたまがい物の反論だろうと反論できる物ならしておきたかったのである。これもまたガキみたいな言い訳で。


「棚上げ、後回しで……、さぞ満足な死に顔だったでしょうね。ほら、そんな事よりエンジン掛けてみれって」


「……あいよ」

それをくだらないと斬り捨てるように彼女は素っ気なく話を進めた。


サイエンスフィクションも真っ青なデジタル表記で先進軍事機密の宝石箱のような運転席だが、不思議な事に何故か未だにアナログキーで稼働するエンジン。しかし違和感もなく静穏性を遺憾なく発揮する駆動音に、


「完璧。ろくでなしのごく潰しには出来ない芸当でしょ、ははーん」

彼女は実にご満悦。少し苛立つ。


「——AIコントロール、当初の修復予定時間と修復時におけるマニュアル稼働時間」


「あ‼」


『五十九分で修理可能な故障。マニュアル稼働時間は八時間五十七分四十秒です』


何故なら日が昇る寸前に壊れた部品を修理するのに要した時間が、彼女の不遜な態度に納得できるに余りある結果では無かったからである。


「今朝から九時間。おかげさまでネギアブラとかいうフザけた名前な戦車の異世界人用マニュアルを覚える作業が捗って仕方なかったよ」


平仮名で《まにゅある》と書かれたタブレットを気怠そうに背後の彼女に見せつけ嫌みったらしく息を吐く。まぁ、正直の所は本当に丁度いい時間だった。


——昨日からの出来事に心の整理をするのには。


「うっっさい、バーカ‼ だいたい、昨日アンタが壊した所の修理してたんでしょ‼」

 「アレはお前の馬鹿に付き合わされて急に運転なんかさせられたからだろ‼」


「じゃあアンタ銃ぶっ放せんの⁉ アイツラと戦えるっていうわけ⁉」


それでも苛立ちは止まらない。堰を切ったように言い争う俺と彼女。



「それなら試しにぶっ放してみようじゃない。その前に私が試し撃ちしてあげる!」


ストレスに耐えかねてウンザリしたような怒声と共に、背中越しで感情的に拳銃の装填をしたようなカチャリといった音が響き、運転席に座る俺の後頭部に鉄屑の気配。


「は! やれるもんならやって見やがれクソアバズレ‼ その大好きな鉄臭い弾野郎と永久にイチャコラしてろ!」


 砂漠のど真ん中に投げ出されたらどのみち命も無い。そんな状況に開き直りつつ本当に撃つ訳も無いとタカを括れたのも相まって、俺だって堪えていた不満を吐き捨てる。


「俺はくだらない意地張って俺の手伝いやら助言を拒否したのがそもそも気に入らないんだよ!」


「そりゃアンタが何も知らない異世界人だからでしょ! 何も知らない奴に何か聞いてそれで話が先に進むわけないじゃん‼」


いつか振り返った時、喧嘩なんて二人以上の人数が居なきゃ出来やしないって思い知ればいいと本気で思っていた。


ああ、そうさ。俺はこの女が嫌いなんだ。心底な。


「進むか進まないかの話じゃないだろ! 俺が今、話してんのは——」


『ピー。お二人ともタイムスケジュールに大幅に狂いあり。ルートを修正しますか?』


けれど運転席の脇にぶら下がるランタンのような電子臭いAIシステムが仲裁役を買って出て上手い事お茶を濁して。


「……アイリンガル。良い、もう出発するから」


すると彼女は冷静さを取り戻したのか頭に昇った血をケツに一気に流し込んで後部座席にふんぞり返る。解っている、大人げないのは俺だって。


「ああ。自動運転で頼む——目的地はリリーに聞いてくれ」


大人じゃないからなんて言い訳、ツイッターじゃ通らない論法さ。糞の流れるドブ川で遊んでいるような群衆達に糞尿投げつけられて親の人格まで否定される始末になるって話だ。


「パテムスラット工業地帯。速度ステルス、警戒レベル3」


リリー、それが彼女の名だった。彼女がどんな見た目かなんて、表現したら何とかポリスに捕まっちまいそうだが、炎上覚悟で呟いておこう。


まぁ、それなりの美人なんだろうさ。西部劇のガンマンみたいなマント羽織ってロデオを乗り回すみたいに四六時中テッポー振り回してなきゃ、な。


「いや、警戒レベルは4に引き上げだ。昨日の戦闘で監視が強くなってると思え」

 「この点について、文句はあるか?」


ま、そういう勇ましさがこの世界には必要なのだろう。俺みたいな平和にアグラを掻いていた現代のもやしっ子には頼もしい限りだ。


『了解。妥当な判断と推測します、リリー?』

「……発進」


しかし、昨日の今日でこの拗ねて頬を膨らませるリリーって女と人工知能AIである《アイリンガル》の関係性も見えてきた。まるでそう、母と子だ。


「なぁリリー、俺は……お前だけに頼る気は無いからな」


となると、さしずめ俺は厳格かつ寛大な父の如き役割をしなければならないのだろうか。

なんてな。父親に幻想なんて抱くのは子供の甘えだ、馬鹿野郎。


奴だって同じ人間なのさ。もちろんリリーも、きっとそうなんだろう。


「……」


気分で道筋を適当に決めるロクデナシな人生。だから伝えなきゃ、伝えてくれなきゃ理解しがたい事だらけなのだろう。


『リリー』

「んー‼ はいはい、分かった。降参!」


ロックな感じで運転席越しに蹴り圧される俺の後頭部。ワンLDKくらいの彼女にとっては狭すぎる空間に悲鳴にも似た苦悶を吐き出す声が響く。


「私も意地張って悪かった! 今度この子が壊れるようなことがあったら、手伝ってもらいます‼ これで満足⁉」


「壊すとしたら俺の運転で、だろうがね」


この開き直ったような言い回しは絶対に反省していないとは思いつつ、眉根にシワを寄せるリリーの両手を掲げた不機嫌な宣誓に、俺は俺なりの謝意を言葉に込めながらランタンのようなアイリンガルの電子の煌きと目を合わせて息を吐き、せせら笑う。


「なんなのよ、ったく。アイまでコイツの味方しちゃってさ」

 「俺は昔から人間以外には何故かよくモテるんだ」


そしてリリーの吐露した泣きごとを軽く首を横に倒してニヒルなスーパースターの如く茶化した。黒いサングラスでも付けていたら前髪をかき上げて颯爽と外していたに違いない。


しかし、当然の事だが——、

『残念ながらモテるという好意対象にアナタは該当致しません』


俺はニヒルなスーパースターなどではない。自称も、言わずもがな他称も、である。


「は、ざまあない。今からでも耳の穴に砂でも詰めて上げましょうか?」


そんな滑稽の道化をリリーが鼻で笑った。

「他人の飼い犬に手を噛まれた気分だよ」


道化冥利に尽きると思ったものである。強がりじゃなくてさ。


さて、与太話はこれくらいで話を進めよう。


「それで? パテムスラットだったか、には何の目的で行くんだ? もしかしてそこに家でもあったりするのか?」

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