死んだ童貞

[かつて童貞だった男性視点]

誰かが俺の肩を揺らす。左右からの振動が俺を夢の世界から現実に戻そうとしてくる。


まどろむ睡魔は何事にも耐え難い快楽の一つ。俺は睡魔の誘惑に身を委ねることにした。

「ねえ! 起きてってば!」


誰かが俺の耳に声を突っ込んでくる。俺は尚も夢の世界にしがみつく。


そして、

「さっさと起きろっ!」

強烈な張り手とともに、夢の中から引きずり出された。

目を覚ますと、先ほど俺を殺した銀髪のアリシアと名乗った女だ。

「君はさっきの?」

「やっと起きた!」


さっきは確認することができなかったが、アリシアはよく見るとすごく俺の好みかもしれない。


いや、よく見なくても可愛い! なんだ! やべー! すげー!


アリシアのたおやかな銀髪が風に揺らいでその身を翻す。

夕暮れの焦げた金色を艶かしい銀が弾いてより一層輝く。


激しく光る銀と金のコントラストは童貞の俺の童貞心を激しく掴んで離さない。

こいつ童貞を殺す女だ! 


ん? そういえば俺この女に童貞を奪われたんじゃなかったっけ?


「なあ。アリシア。俺の童貞って?」

「ええ。あなたはもう童貞じゃないわ」


「そうなのか」

俺の心の中に青色の切ない風が吹いた。俺の心が潤うことなどもうないだろう。

「私が奪い取っちゃった!」


アリシアは可愛らしい笑顔を俺に向けた。その瞬間、俺の心は

「でもただ剣で切りつけただけだろ?」

「うん! それについてちゃんと説明させてね! 私が持っている剣は“童貞を殺す剣”よ。この剣は童貞を殺すの!」

「うん。それで?」

「?」

アリシアは疑問符が現実に見えるほど不思議そうな顔をしている。


「えっ? 今ので説明終わりっ? 今のだけ何の説明にもなってないよね? 

これで全部理解できたら俺神童だよ?」


「え? 神童ってなあに? 童貞の中の童貞のこと?」

「ちげーよ! 神童っていうのは才能がある人のこと!」

やべーこの女やべー。顔は可愛いけど頭がマジやべー。

顔は可愛いけど頭がアレだ、やべーやつだ!


「君、最終学歴は?」

俺は恐る恐る聞いてみた。


まるでライオンの檻の中に餌を放り込む飼育員が間違って足を滑らせてこけてライオンの檻の中に入ってしまってあたふたしているうちに今日が休園日で自分以外の飼育員が誰もいないことに気がついてやべーと思っている飼育員の友達の飼っている猫のことをまたもふもふさせてほしい。

あの柔らかな感触がたまんねーんだよなー。あれ? 何の話だっけ?


「私の最終学歴は幼稚園卒業よ!」

と、自慢げなアリシア。そうだ。学歴の話だった。ん? 幼稚園卒業?


「え? ってことはよう卒?」

その瞬間、アリシアが俺の頭を勢いよく叩いた。


「よう卒っていうなー!」

アリシアは少し頬を膨らませて怒った。なら何でさっき得意顔だったんだよ? 

こいつ自慢したいのか恥じているのかまるでわからない。こいつを喋ると頭が変になりそうだ。


「ご、ごめん。それで話が逸れちゃったけど、なんで俺のこと、いや童貞のことを殺したの?」

「それが私たちの旅の目的なのよ!」


アリシアは懐から紙のようなものを取り出した。

「旅? 目的?」

「ええ。説明するわね!」


そしてアリシアは俺の目の前で紙を取り出したにも関わらず、紙を俺に見えないように隠しながら、

「さっこんの合計特殊出生率には目を見張るものがあります。女性のしんしゅつに伴って、結婚率が激しく、て、て、て、ていまよしています」

「低迷か?」

こいつカンニングペーぺーを読みながら喋っているな。つーかそれなら最初から紙を見えないように取り出せよ。



「低迷しています。そして、ライトノベルや萌えアニメ、恋愛シュミレーションゲームのせいで出生率の低下には、しろクルマがかかりはじめました」

「拍車か?」

「拍車がかかりはじめました。そして、我々童貞狩りの一族、はそれを食い、止めるべく姉妹を旅に出しました。我々は童貞の持つ強いコンプレックスを吸収することにより特殊能力を発動させることができます」

「だから君は、いやアリシアは俺の好みのタイプがわかったんだな?」



「我々が持つ武器には童貞を非童貞に変えることができる魔法がかけられています」

(こいつ! 俺のことを無視して進めやがった!)

俺は右手をワナワナさせながら黙って聞いた。


「攻撃を食らった、童貞は童貞から、非童貞になります。だがこの時、攻撃を食らう以外の手順、などは必要、ありません」



「つまりアリシアの持つ魔法の武器に攻撃されたらたったそれだけで童貞を卒業できるんだな?」

「童貞を奪う仕組みは単純。剣にふ、ふ、ふ」

(当然のように無視か……)

「付与された?」


「付与された魔法が男性の脳の中に存在するシナプスと海馬(記憶を司る部分)を操作して、童貞を卒業したのと全く同じような状態に変えます。あとは何やかんやあって童貞は死にます」



アリシアは疲れたのか最後はなんかうやむやにした。

「待て待て! 肝心な部分が何もわかっていない! ちょっとそれ貸せ!」


俺は嫌がるアリシアから紙を強奪すると、それを何度も読み返した。






そして、


「要するに、ラノベ、萌えアニメのせいで子供の数が減ったからそれを解消したいってことだ。


童貞を殺す仕組みは専門知識が多すぎてよくわからんが、とにかくお前らの持つ武器は童貞を非童貞に変える。


その後、非童貞になった男性は恋愛に対する欲求が二次元に対するものから三次元に対するものへとシフトする。

わかったか?」



「はい。勉強になります」

正座しているアリシアが真摯な目で俺の要約を聞く。


「続けるぞ。さらに、童貞を殺す武器は人体を傷つけない。これがどうしてかわかるか?」

「いえ。私の頭は悪いのでわかりません」


「よろしい。なら俺がわかりやすく説明しよう。

童貞を殺す武器に攻撃力はほとんどないんだ。

これは武器というより、手品の小道具なんだ。

人間は強烈な思い込みによって、実際には火傷をしていないのに火傷をしたと錯覚してしまう場合がある」


「強烈な思い込みですか?」


「その通りだ。剣からは常時音波と電磁波が発生している。

それが接触した人間の脳内の状態を強制的に変えるんだ」


「そんなことが可能なのでしょうか?」

「ああ。現代のお前の一族の科学力と魔法力の全てを使えばな!」

「すごいです」


「ああ。すごいだろ! そして、童貞は非童貞と同じ状態になる。

実際に童貞を卒業したわけではないのだが、そもそも童貞と非童貞の違い自体が曖昧だ。


実際に童貞を卒業しても何かが変わるわけではないだろ? 

身体的にも内面的にも目に見えた変化はないわけだ」


俺はまるで自分の自慢話のように語った。


「おっしゃる通りです」

「だからお前の一族は童貞の定義の曖昧さに漬け込んだんだ!」


「と、言いますと?」

「童貞を殺す剣で殺された童貞は、自分が童貞を卒業したと強烈に思い込む。するとどうなる?」


「わかりません」

「すると自分に自信が出るんだ。『俺は女をモノにしたぞ』ってな。自分に自信がつくと次はどうなる?」


「わかりません」

「次は、実際に女を口説きたくなるんだ。二次元や空想ではなく生身の本物の女と付き合いたくなる。そしたら、最終的にはどうなる?」


「わかりません」

「最終的には、童貞は現実の女と結婚して子供を産むだろ? そしたら合計特殊出生率低下は改善する。そして、念願の世界平和だ」

「世界平和っ!」

アリシアが目を輝かせて言った。どうやらわかってくれたらしい。


「そう! 世界平和だ! それがお前のやりたいことだ!」

「なるほど!」

ここまで説明するのに何時間かかったか。くー。俺の苦労が報われたような気がした。


「アリシア、お前は世界を救っているんだ。そしてこの俺のことをも救ってくれた」

「なるほど!」


「俺は童貞を卒業してから自分に自信が満ち溢れているのを感じる。

もう俺は昔の俺じゃない。俺は童貞じゃないんだ!」

「なるほど!」


「俺が実際にお前に切りつけられて(童貞を卒業して)変わった。

これが童貞を非童貞に変えるお前たちの役目だ。

これで全部の説明が終わった。最後に何か聞きたいことはあるかね?」



その瞬間、周囲に不穏の影が流れた。嫌な空気が張り詰める。

ピリつく何かが足元から登ってくる。


そして、アリシアは申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、本当に本当に申し訳なさそうに、

「最初からまた全部説明してください」


「お、お前途中からわかったふりしてたなっーー!」

俺は右手と左手でポカポカとアリシアの頭を連続で叩いた。


「痛い痛いやめてー!」

それからアリシアが全部理解するまで付き合わされた。あたりは真っ暗になっていた。


「それじゃあ本当にわかったんだな?」

「は、はい」

自信のなさそうな返事。

「なら説明してみろ!」

頼む! 神様! もうそろそろいいだろ! いやマジで!


「それでは説明させていただきます。


私たち一族は人間の大脳辺縁系に存在する海馬に作用する武器を用いて、童貞の男性を非童貞の男性の脳内と同じ状態にします。


それにより、男性は自身が女性をモノにしたと錯覚。


そして、男性の恋愛対象が三次元へと移行します。


この時男性は自身の感情の変化と起伏の融合を内包しています。


最終的には、これら一連のシークエンスにより、晩婚化、合計特殊出生率の低下を防ぎ世界の平定と秩序の安寧を達成させます」



その瞬間、一陣の風が吹き抜けた。冷たい路地に沈黙が滑る。氷漬けになった世界に、赤熱する何かが灯されたような気がする。


「やったーーーーーーーーーー! できたぞ! 完璧だ! アリシアよく頑張ったな!」

「えっへへ。えっへん! それもこれも先生のおかげです! あーりがとー!」

「すごいぞ! アリシア!」

「もっと褒めよ!」

「やったな! アリシア!」

「もっともっと褒めよ!」

「やったー!」


そして俺たちは手を取り合って、

「「ばーんざい! ばーんざい! ばーんざい!」」


俺たちは飛び上がって喜んだ。まるで生まれたての子鹿が生の喜びを噛み締めているようだ。


幸福感が跳ねまわり、俺たちの周囲を暖かく包む。


そして、祝福と幸福のベールを切り裂いて、

「ねえねえ(お姉ちゃんお姉ちゃんの略)? 何しているなり?」

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