縁切鋏

※金夜さん視点




『縁』を切る、そう言った悪魔は懐からはさみを取り出した


それは少し大きいけど何の変哲もないただの鋏に見えた



「これは俺の固有スキル、『縁切り鋏』だ」


なんて縁起の悪いスキル名だ

そして解りやすい

学の無いアタシでも何となく予想がつく


「まぁ名前の通りだし最初に言った通りだ、俺は今からこれでお前とお前の恋人の縁を切る」


言葉にされても具体的に何が起こるのか解らないけどアタシにとっては最悪な状態だ


「安心しな、縁を切ったところで死ぬ訳じゃない…そして今日死ぬ訳でもない……ゆっくりと空虚になっていくお前にじっくり止めを刺してやるよ」



悪魔が生暖かい敵意を向け、鋏の刃を舐める


するとアタシの胸部、心臓の付近から直径3㎝くらいの赤い糸が飛び出してきた


糸は何処かに繋がっているみたいでピンと張った状態で微かに動いている



「これはなかなか太っといな、「生き甲斐」レベルの糸は久々だ」


嫌な予感が全身に駆け巡り額から一筋の汗が垂れた


その糸を切られたら全部終わるとアタシの勘が脳内を全力でノックする


どの道突っ立ってても状況が好転することは無い


「生き甲斐だけに切り甲斐がある、なんつって♪」


寒い冗談を言う悪魔の頬にアタシは既に拳を放っていた


相手がどれだけ強いのかは判らない

だけどアタシには自信が有った


喧嘩に明け暮れた経験とアタシの固有スキル、『女傑』が有れば悪魔だろうが何だろうが薙ぎ倒せる


そう思っていた



だけどここは異世界

アタシの知らないことの方が多い



「教えといてやる、悪魔相手に正面から突っ込むのは止めといた方がいいぞ」


アタシの拳が悪魔の頬を捉える直前、突然浮かび上がった魔法陣に拳を跳ね返された

そしてそのまま魔法陣から出てきた黒い鎖が身体に巻き付き身動きが取れなくなる


「俺は戦闘が不得手だからその分仕込みが多くてよ、打撃に反応する魔法陣をしかけておいた」


必死に藻掻いても鎖はジャラジャラと音を立てるだけ

力業じゃ絶対に解けない



「いい教訓になったろ?あとは大人しく自分が破滅する瞬間を静かに拝んどきな」


「止めろ…止めろーっ!!」


アタシの絶叫も空しく、悪魔はなんとも憎たらしく笑いながらその鋏で赤い糸を断ち切った




「…………」



襲い掛かるのは暗い闇に落ちていくような没入感


少しずつ、少しずつ

大切の記憶が黒く塗り潰されていく


カラフルだった思い出が色褪せてセピアになり、白黒になり、最後には真っ黒になる



何で大切だったのか…

何で嬉しかったのか…

何で幸せだったのか…


何で好きだったのか…


徐々に…そして確実にわからなくなっていく


真顔も笑顔も照れ顔も

次々とあいつの顔にバツ印がつけられていく



どうやら大切だった何かは今のアタシの中身の大半を占めていたらしくて、痛くも痒くもないのに身体に全く力が入らなくなった



喪失感だけを残し、ぽっかりと空いた心の穴を悲しみが埋める


だけどアタシにはもう何で悲しいのかもわからない



ただひたすらに涙が目から零れ落ちる




「まさに糸の切れたマリオット…意外と早く堕ちて興醒めだ」


溜め息を鼻から逃がした悪魔は鋏を逆手に握り直し、アタシの脳天目掛けてその切っ先を振り下ろした


大切な人の顔を忘れた直後、人生最後に焼き付ける顔が悪魔の鋏のような鋭い笑みなんて…



それはそれで悲しくて

やっぱり涙が止まらないから

代わりにアタシは瞼を閉じてもう見るのを止めた









「…………」



ポタポタと滴る雫がアタシの脚を濡らす


暖かいから自分の涙かと思ったけど鉄の臭いも混じってる

血かと思えば痛くはない


そもそもまだ死んでない


確認のために目を開けると鋏の刃が貫通した手が目の前にあった


その手から流れる血がアタシを濡らしている



「加賀…?」


そこにはクラスメイトの加賀が立っていた



加賀は手に鋏が突き刺さってるのに顔色1つ変えずに真剣な顔で驚く悪魔を睨む


「な、なんでお前がその女を助ける!?お前にとってそいつはもう他人のはずだぞ!?」


「いや、クラスメイトが殺されかけてんのに助けない訳ねーだろ普通………それに」


さっきとは比べ物にならない

髪の毛よりも細い糸が加賀からアタシに繋がった



「こいつは泣かせちゃいけない女だってのを俺は覚えてる」



加賀は刺さった鋏を強引に引き抜くと既に切れてる太い糸の方を見た



「何をする気だ!?」


「今のでお前のスキルはだいたい把握した、この糸をもう1度結ぶ」


「何を馬鹿な事を!それは概念体、ことわりの外の物だ!俺の鋏以外で触れると大惨事になるぞ!!」


加賀は悪魔の忠告を無視して糸に触れる

すると加賀の右腕に無数の切り傷が付いた


「止めとけ加賀!なんかヤバいぞ!」


噴水のように飛び散る血を見てアタシは止めるが加賀は聞き入れてくれない


躊躇なく左手でも糸を掴むと今度は左腕が壊死したように赤黒くなった


流石の加賀もこれには苦悶の表情を浮かべる



「馬鹿止めろ!アタシのためにそこまでしなくていい!!」


「男ってのは…馬鹿だからよ」



さっき繋がった糸が少しだけ太くなっていた




「俺はお前にもう1度「カッコいい」って言われたいんだ」



仕事の時じゃなくてプライベートでも

そう付け加えると朗志は糸を丁寧にも硬結びで結び直した



それでもアタシの涙は止まらない



「何でまだ泣いてんだよ…?」


「うるせーよバカっ…!お前がカッコよすぎて嬉し泣きしてんだよ…!」


朗志は満足気に笑った


本当…男ってのは馬鹿野郎だ



「見せつけてくれるじゃねえか…」


自分の思い通りにならなかった悪魔から余裕の笑みが消え去り、手に持っていたはずの鋏もいつの間にか鉤爪に変わっていた


「いくら俺が戦闘向きじゃないとは言え拘束された女と満身創痍な男なら簡単に始末出来る」


悪魔は完全に臨戦態勢


対して朗志はそれほどやる気じゃなかった


「こんな街中でやろうってのか?」


「なんだ、怖気付いたか?」


朗志は呆れ顔でアイテムボックスからポーションを取り出すと一気に飲み干す


そして腕が綺麗に元通りになった瞬間、目にも止まらない早業で悪魔の角を掴んだ



「お前が悪魔で俺が勇者ってのは全く関係ないし、お前の生き死ににも全然興味が無い……ただ怒ってない訳でもないぞ」


朗志は爽やかな笑顔で橋の壁に悪魔を叩き付けた


壁にヒビが入る程の威力で叩き付けられた悪魔は失神寸前

絵に描いたように形勢が逆転した



そして朗志はアタシの鎖を外して悪魔に鎖を付け替える


「お前は本当に何でも器用にこなすな」


「スポーツマンですから」


「脈絡も無く唐突にボケるなよ…つーかお前がスポーツしてるとこ見たことねえよ」


悪魔は拘束されたあとも抵抗することなく静かにアタシ達を睨んでいた


「茶番はいい…殺すなら殺せ」


「だから殺さねえって、悪魔なんて言ってもそんなに人間と変わらないだろうが」


「悪魔は勇者を殺すのが使命、逆もまた然り…とっとと殺せ!!」


聞く耳を持たず強情に殺せと喚き散らす悪魔

朗志も聞き分けのない悪魔に段々とイライラし始めた


「うるせえ野郎だ、だったらお望み通り殺してやる…色んな意味でな」


朗志は悪魔の角を鷲掴むと二本とも強引にへし折り、続いて鎖骨の辺りに右手をめり込ませる


掌握分離ソウルサパレーション


そして何かのスキルを発動して手を引き抜いた


引き抜いた手にはビー玉程の黒い玉が握られている


「まさか…お前っ…!」


「何だそりゃ?」


「こりゃ魔核まかくって言う悪魔とか魔物の魔力の源だな、これが無いと悪魔は殆ど力を失う…はず」


言葉に自信が無いのはたぶん実際に見るも初めてだからだろう



「まあとにかく、これでお前の中の悪魔は死んだ」


「ふざけやがって…こんな屈辱は初めてだ」


「この程度の屈辱で音を上げてちゃ労働者には向かないぞ?」


「ろう…お前…何を言ってんだ?」


「明日から俺の店で飼い殺してやるって意味だよ、デール・ラフィッシュ」


朗志が言ったのはおそらく悪魔の名前

いつの間に聞き出したのかは知らないけど名前を呼ばれた途端に悪魔の顔は青冷めた



「急に大人しくなったな、何したんだ?」


「悪魔には真名まなっていう本名があってそれを知られると逆らえないんだとよ、こっちの本に書いてあった」


手のひらで魔核を転がしながら悪そうな顔でニタニタと笑う朗志


「これは情報の塊みたいなもんだからな、こいつに『解析』のスキルを使えば真名なんて一発よ」


さっきからアタシは「へー」としか相槌が打てない

今日は何かと勉強になる1日だ

まぁ…勉強は嫌いだけど



「お望み通り2つの意味で殺してやったんだから俺達のデートが終わるまで今日はもうそこで大人しくしてろ、後で迎えにきてやるから」


「…………」


悪魔は完全に意気消沈と言ったところ

まさに糸の切れたマリオットだった



「というかまだ続くのか?デート」


「え…もう帰りたい感じ?」


アタシは全力で首を横に振る


「そうこなくっちゃな、折角用意した秘密兵器が無駄になるところだった」


「秘密兵器?」



朗志はおもむろにアイテムボックスを開くと中からレザージャケットと…


「な、750《ナナハン》じゃねーか!!」


異世界じゃ絶対に手に入らないバイクが飛び出してきてアタシのテンションは振り切った


「ん、そういう名前なのか?」


「んだよ、知らずに持ってきたのか?」


「俺は形から入るタイプだからな!」


そんな自信満々に言われても…



朗志はレザージャケットを羽織るとアタシにヘルメットを投げ渡す



「ようそこのナウい姉ちゃん、俺とナイトドライブなんてどうだい?………////」


自分で言ってて恥ずかしくなる朗志は半帽を深く被って鍔で顔を隠した


だったら言わなけりゃいいのに…

思いながらもアタシは傷口をえぐ


「ダッセーなおい!」


「止めてくれ…今のは忘れてくれ」


「へっ、ヤダね」


アタシは絶対に忘れない

今日という日を絶対に


「お前の方がよっぽど悪魔染みてるわ」


「言ってろバーカ」


エンジン音に胸を踊らせながら二人でバイクに跨がるとアタシは朗志の腰に手を回す


普段なら顔から火が出ちまうところだが今のアタシは嬉しさとハイなテンションでまったく気にしない



「それでは離陸しまーす」


バイクに乗っていたら聞くことのない言葉を朗志が口にするとナナハンがフワリと宙に浮いた


「なんか思ってたんと違う…」


「しょうがねーだろ、こっちは信号とか無いし交通整理とかもされてないんだからよ」


飛ぶのが一番安全

それが朗志の結論だった


「このバイク飛ばせるようにするのに1ヶ月かかったんだからな」


その1ヶ月をもっとアタシに当ててほしいところだったけど結果的には大満足

地上だろうが空だろうがナナハンの渋さは変わらないしな





空が暗くなりはじめ、星と各家庭の明かりが輝きだす


アタシは夜空に浮かぶ二つの月を見上げながら朗志の背中に頬を押し付けた


「お前がカッコいい時っていつも血塗れだな」


「ん?あぁ、あの時な」


「憶えてるか?」


「そりゃやり甲斐のある仕事は全部憶えてるからな」


「あれを仕事って言い張れるのはお前くらいだ」


出会った日の事を思い出す

今思えば、あれはアタシにとって最低で最高の日だった



「そうか?…まぁそうだな」


思い出を懐かしむのもいいけど

それは次の機会


今はただ二人だけの時間を焼き付けたい



「…なぁ朗志」


「んー?」


「今度は逃げられないけど…どうする?」


「それは…元の世界に帰れた時にしないか」


随分と気長な話だ


何度も言うようで悪いけどさ…


アタシはもう待てないんだって




「…っ!?」


アタシは朗志の後ろから肩越しに顔を出すと頬にキスをした


「このくらいなら今でもいいだろ?」



少し困るとすぐにだんま


情けない奴だ



情けないけど


その温かくなった背中が



今日はいつもよりちょっとだけ大きく見えた





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