第15話 羅李と翠蘭
羅李が蒼の国へ王とともに来た頃、愁陽は八歳でまだあどけないところもあり、兄が出来たかのように嬉しそうに懐いて、その後ろをひっついて回っていた。
翠嵐はというと、一つ上の羅李に特に気を使うでもなく、羅李もそれなりに今まで自分の顔が見目麗しい部類に入ることは周囲の反応でわかっていたけれど、翠蘭はまったく興味がないようで、弟の愁陽に対するのと対応は変わらず、同じだった。
羅李は蒼の王に生かされてる。自分は使用人であり、二人の姉弟の遊び相手であり、また自分も子供であるから姉弟とともに慈悲で学ばせて貰っている。そう考えて、学業も武芸もなるべく出すぎず、また二人には使用人のように接していた。
華やかな蒼の都の様子や自分の過ごしてきた宮廷での文化も違い、蒼の国は上品な感じがした。羅李もそれなりに言葉使いや立ち居振る舞いなど、母には皇子らしく躾けられてはいたが、さらに気をつけて丁寧に、上品に失礼のないように言葉も所作も気をつけていた。
そして何より、この蒼の国ではなおさら金の髪と青い目は見たことのない者が殆どで、宮廷内でもかなり目立つ存在で、白い肌と綺麗な顔立ちのせいで、ますます羅李は視線を落とし伏せ目がちで、髪はフードつきの衣装を着て隠し、常に下をむいて、自分を極力目立たないようにしていた。そうして自分の存在や個性を殺して、蒼の宮廷の羅李として存在しようと考えたのだった。
そんなある日、三人は武芸の稽古をしてた。羅李と翠嵐が木刀で打ち合っていた時、ほどほど続けた頃、羅李が木刀を落とし翠嵐に腕を打たれて負けた。
「姉さん、強すぎるよぉ」
無邪気に愁陽が言ったとき、翠蘭がまだ三十すぎくらいの若い師匠である将軍に言った。
「師匠様!ちょっと休憩いいですか」
「ん?よし、ちょうどいいな。休憩にしよう」
「ありがとうございます!ちょっと羅李借ります」
「は?」
「は?」
師匠と羅李が不思議な顔をしてる間にも、翠蘭は羅李の手首を掴んだ。
「ちょっと来て!」
え?え?驚きながらも羅李は翠蘭にずるずると引きづられてい行った。
「おお!今どきの姫君は積極的だなあ」
師匠はよしよし、などど頷いてる。
愁陽だけはきょとんとしていたが、口を尖らせて言った。
「え?姉様だけ抜け駆けずるいんだけど。ボクも遊びたいのに」
「よおし!愁陽様。このわしが直接剣のお相手をして差し上げましょう」
「えーーーーーっ!!」
やだよぉ~と嘆く愁陽は、そのあと師匠にみっちりしごかれたのだ。
翠蘭にグイグイ手を引っ張られながら、羅李は困っていた。いったい何だって言うんだ。なるべく人とは深く関わらないようにしたいのに。
「す、翠蘭様、いったいどちらへ」
「
「え?」
羅李はわけがわからなかったが、姫の手を力強く振りほどくとか出来ない。こんな宮廷の庭ではどこに人の目があるかわからない。
自分の先を歩く翠蘭は、簡素な自分たちと同じ簡素な稽古着で白いズボンを履き、頭のてっぺんで髪を一括りにして背に垂らしている。
勇ましい少女剣士のような彼女は、背筋をピンと延ばし、堂々として歩みを進めていいく。
やがて二人は、宮廷の中でも静かな池のほとりにある東屋まで来た。
そこで翠蘭は手を離し、羅李を振り向いた。
「ここは皇家の者しか使わない場所よ。だから誰も来ないし、見てないわ」
「えっと……翠蘭様、これはどういうことでしょうか」
「あんた、さっきわざと負けたでしょ!」
「え?」
「誤魔化してるつもり?私も将軍も気づいてるわよ。間抜けな愁陽は騙されてるみたいだけど。あいつの頭の中はお花畑だからね、フンッ」
どうでもいいことを偉そうに言う。
「誤魔化してるわけでは……」
「じゃあ、何?剣もわざと負けて、算術もそう。変なところで間違える。わざととしか思えないところで。あんたの間違え方は計算が苦手なのでもなく、統一性が無いのよ。私たち二人の様子を見ながら間違えてる。手習いもよ、ほんとはうまく書けるくせに」
「別に、そんなことは」
翠蘭がまっすぐに見据えている。
「もし仮にそうだとしても、私が損をするだけなので、別に翠蘭様が気になされることでは」
「その喋り方もよ」
「何か失礼でしょうか、もしかして下品なところがありますでしょうか」
「違うわ、あんた、ずっとその喋り方疲れないの?私も愁陽もあんたとは、学友でもありたいと思ってる。友達、いないんでしょ?」
「………………」
「あんたは一人でこの国に来た。宮殿でも誰とも交わろうとせず、一人ぼっちなんでしょ?もう一年よ、あんたがここに来て」
「………………」
羅李はなんて言えばよいのかわからず、黙ってしまった。
「今から、主従として言うのではなく、羅李の側にいる者として言うわね」
「え?」
「ねえ、剣も勉学でも自分を偽ってわざと負けて、言葉使いも所作もずっと装って、じゃあ本当のあなたはどこにいるの?」
羅李ははっとした。そんなことを言われるときが来るとは思わなかったからだ。
「私が知らないとでも?せめて私といるときは、自分を殺さないで。あなたはあなた自身生かせてあげてよ、生きてるのに殺されたのと同じよ、あなたはあなたよ、ライファン!」
羅李は息をのんだ。
「……なぜ、その名前を……」
その名はあの夜故郷に置いてきたはずだ。
「夜、寝ている時、一度あなたがうなされてて。その時に聞いたの。あなたが俺の本当の名は、ライファンだって言うのを」
しまった……俺はそんなことを。失敗した。
「宮廷の中では難しいと思う。でも、お願いよ、せめて私の前ではあなたはあなたでいて。これ以上ライファンを殺さないで。ちゃんと生きて」
生きて……
そう言われた時、母に最後に言われた言葉と重なった。生きるのよ……
俺は、この姫が言うように俺自身を殺していた。これからも殺し続けるところだったのかも知れない。目が覚めた気がした。
母は命を賭してまで俺を生かしてくれたのに、俺はなんてことを。
ひどく母に申し訳ないような気がして、なぜ俺が生き残ってしまったのか、この一年なんて酷いことをしていたのだろうか、なぜ生き残ったのが俺一人なのだろうか、この世で唯一人……
あの夜から、そう考えたこともなかった。きっと考える感情もなかったのかもしれない。自分自身の置かれた状況を改めて考えることもなくて……
「いいと思うわよ、自分のことを可哀想だと言っても。戦のあの夜から泣いてないのでしょ?抱きしめてくれる人もいなかったもの」
急に自分の中に何かストンとくるものがあった。
「泣いてもいいよ、ライファン。ここには私とあなたしかいないから」
この姫は……
彼は目の前の翠蘭を見る。一つしか違わない彼女と目線は同じだ。そんな彼女の顔がみるみるうちに滲んでいく。もう一度、彼女が言う、思いっきり泣いていいよ、私がいるから……
ライファンはあの惨劇の夜以来、初めて声を上げて泣いた。
そんな彼の背を、翠蘭は何も言わず抱きしめて、ただ黙って撫でていた。
その日以来、羅李は翠蘭に主従を誓い、常に側にいるようになる。蒼の姉弟とその従者は主従関係であり、ときに学友のように冗談を言い合いもするが、姉に対しては過保護で溺愛しているようだ。羅李が変わったのはこのことがあったからだろう。
その後まもなく、愁陽が剣の稽古で羅李にこてんぱにやられまくるようになり、急に強くなった羅李に愁陽は首を捻るばかりだった。
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