第17話 婚礼2
愛麗は愁陽と別れたあと、婚礼衣装のため商人が待つ部屋へ向かう途中、庭に咲く桃の花を見て、ふと足を止める。
薄桃色と白が混ざり合い、ふわりと嬉しそうに咲き誇っている。今が一番の見頃だ。
婚礼を控えた女たちは、この花のようにもっと喜びで満ち溢れているものなんだろうか。別に結婚が嫌だとか思わない。姉が幼い頃に決められていた結婚を、姉の代わりに自分がすることは当たり前だと思っている。
だから、この結婚自体は別に嫌とも思わないし、そうかと言って幸せだとか喜びを感じるわけでもなかった。
普通なら憧れる婚礼衣装を決めることも、嬉しいわけでも嫌だとも別に何も思わなかった。ただ婚礼に必要だから、商人の元へと足が向かっている。
ただ毎日が穏やかに、何も憂えることもなく退屈に過ぎていく。
しかし、それも退屈とは感じていないのかも知れない。ただ日々が過ぎていく。
それは、いつの頃からだったのだろう……
けれど、ここ数日は違った。まるで子供の頃のままの自分が、自分自身の片隅のどこかに住んでいるような、そんな不思議な感覚がする。
きっと、愁陽に再会したあの日から
ふと愁陽の顔を思い出すと嬉しくもあり、なぜか胸がきゅっと締め付けられるような、なぜか切ない気持ちになる。
この気持にもし名前をつけるなら…そう思わずにはいられなかったが、気づいたら最後、もう戻れないような気がして、それ以上は考えることは怖くて、考えてはいけない気がした。たとえその気持ちが何なのか気づいたとしても、自分にはその資格がないのだと。
なぜかわからないのだけれど、自分はいけないのだと思ってしまう。
桃の花が可愛らしく、青い空を背景に桃色が綺麗に映えている。
冬が終わって春の到来を感じると、どこか心がふわふわと軽くなった気がした。
愁陽は、衣装決めが終わるまで部屋で待っててくれるだろう。
また愁陽に会える。
よし!衣装はさっさと決めて、早く部屋に戻ろう!
愛麗は一人にっこり笑ってうなずき、高い空を見上げた。
彼に会えると思っただけで、身の周りの景色すべてが色鮮やかに見えだす。
「不思議ね、こんな楽しい気持ちになれるなんて」
愛麗の口からふと素直な気持ちが零れた。
深く息を吸い込むと、花の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
「長い間、忘れていた気がするわ」
口元に笑みを浮かべて愛麗がつぶやく
『……彼の、せいね……』
愛麗にはまだ届かない声。
「空って、こんなにも青くて、遠かったかしら」
高い青空に手を延ばし、陽の光に翳してみる。
笑みが少し自嘲的なものに変わる。
子供の頃見えていた高く青い空がいつの間に見えなくなってしまっていたのだろう
これが、子供から大人になるっていうことなのだろうか……
彼女の視線も青い空から、庭の地面へとゆっくり落とされていった。
『……あの男のせいね』
「っ!」
今度は愛麗の耳にも届いた。いや、実際に音として耳にではなくて、脳内に響いてくるような、禍々しい低い女のような声
『すべてが壊れてしまう』
「誰っ!?」
思わず、愛麗は口元を手で隠す。誰の声かわからない、けれど、自分の中から発しているような気がしたからだ。
愛麗は強い恐怖を感じた。あたりを見回すけれど、誰の姿も見当たらない。
『まあ、私にとっては都合がいいけれど』
正体のわからない低い女の声は、嘲るように言う。
「……誰かいるの?」
小さい声で言った愛麗の声が震える。
『……………………』
確かに女はくつくつと小さく笑っていた。
愛麗は恐怖を抑えて問う。
「………あなたは……、誰?」
『ワタシがワカラナイ?ずっとソバにいるのに?』
「近くに?」
『そう、とってもチカク』
低い女の声は、今ははっきりと聞き取れるようになっていた。
『ワタシはアナタ』
「っ、……私が、あなた?どういう意味?」
『長いアイダ、アナタと共にいる』
「……私と、ともに……?」
愛麗は周りの様子を窺うけれど、すぐ傍の部屋にも目の前の庭にも、人の姿はなかった。
女の声は、耳に届くというより、重く深く脳内に響いてくる。
それは、遠くて近い。胸の奥底から響いてきて、魂ごとすべて闇で飲み込んでいくように禍々しい。じわじわと頭の中に広がり侵略していく。
「私は、あなたを…、知っている?どうして?」
愛麗の中から感情とその黒い瞳から光が消えていく。
「よく、わからない……でも、感じるのは…恐ろしくて……哀しい人……」
愛麗の表情は、いつものように人形のような形作られたものに変わっていた。
そして、もう空を見上げることもなく、ただ前を向いて婚礼衣装を決めるために、長い廊下を静かに歩いていく。
女は再び閉ざされた暗闇で、一人繰り返し呟く。
愛麗の夢に出てきた白くぼやけた女の顔。けれど夢と違うのは、真っ赤な口だけでなく、目や鼻も輪郭がわかり始めている。
鋭い目で暗闇をにらみつける
『……哀しい……?私が、哀しい?…冗談じゃない。馬鹿なことを言う』
女は哀しいという言葉に苛立った。
『そう……かわいそうなのは彼女。長い間、心の奥底に閉じ込められていた。寒くて、暗くて、苦しくて、どんなに叫んでも、あいつは私の存在を認めない。…………いいえ…、気づかないフリをしているだけ……』
『そうね…でも、もう終わり』
女の目に強く瞳に光を宿し、挑戦的に笑みを浮かべていく
『こんなところ叩き壊して出て行ってやるわ。すべては、あの愁陽が壊してゆく。…………私が、愛麗。消えるのは私ではない。消えるのは、彼女のほうよ!』
女の嗤う声が暗闇に響いていた。
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