第7話 再会2
一方、愛麗もまた心の中で自問自答をしていた。
ま、待って!ちょっとっ!
いま私、何をしようとしたの!?
だ、抱きつこうとしてた!?
あ、あり得ないからぁ~~~
恋人でもない男なのに!?いやいや、恋人でも、こんな明るいお昼間からダメダメ!
こんなことは姫がしてはいけない、はしたないって怒られる。
し、しかもっ!相手は、こともあろうか王の後継者だし!
勝手に抱きつくなんて、重罪よっ。重罪っ。
罰せられてもおかしくないわ。
と、とにかく、危なかったぁ~。
未遂、よね……。
この後どうやったらうまく誤魔化せるのか、どうやって誤魔化そうか、愛麗は足元を見つめながら必死に考えていたけれど、残念ながら良い案はなかなか浮かばない。
深呼吸をして騒がしい胸をなんとか落ち着かせると、大丈夫、うん、大丈夫よ愛麗、自分にそう言い聞かせ覚悟を決めたかのように、彼女は深呼吸を一つしてから、いきおいよく愁陽のほうへと振り向いた。
「っ!!」
急に彼女が目の前で振り向いたから、愁陽は思わずのけ反ってしまった。
顔が、近い!
思ったより距離が近く、愛麗の黒く濡れたように潤んだ大きな瞳と周りを縁取る長い睫毛が一本一本よく見える。
愛麗は駆け寄った恥ずかしさを誤魔化すのに必死で、今はお互いの距離の近さに気が付いていない。
愁陽は動揺を悟られないように意識する。
先ほど彼女の慌てっぷりを笑った罰だろうか、いまは自分の心臓が早鐘のように騒々しい。
コホン、と彼女が一つ咳払いをして言った。
「あの、どうしてココにいるの?」
「へ?」
「愁陽が、どうしてここにいるのかしら?って」
「えっと、どうしてって…それは……」
愁陽は平静を装い考えるふりをしながら半歩後ろへ下がると、愛麗から距離を取ったのだが、次は別の問題で内心焦った。
俺が、どうしてここにいるのか、だって?
彼女は、俺がこの都に戻ったことを聞いているのだろうか、それとも、先程この屋敷の侍女を微笑み一つで丸め込み、取次と御簾を用意させる手間を省かせて、今こうして、屋敷奥の姫君の部屋にいることだろうか。
とりあえず……
ここは、後者は無視をすることにした
愁陽は皇子らしい微笑みを浮かべて、姿勢を正した。
「ようやく北方との戦いもひと段落ついたので、我々は一度都へ戻り、私は戦勝の報告の為、父王と長老の方々に先程お会いしてきたところなのです」
思わず口調も儀礼的になってしまった。
「で、ちょうど、この近くを通りかかりましたので、少し寄ってみようかなっと」
すると、ちょうどそこへ銀髪の少年が部屋にひょっこり入ってきて真顔で言った。
「え?愁陽さま。通りかかったって、随分遠回りでしたよ?それに、お城の長老さまたちもほったらかしのまま出てきて、長老さま達がずいぶん怒っていらっしゃ……ふぎゃっ!」
少年が全部言い終わらないうちに、愁陽が微笑みながら少年の足を思いっきり踏んづけていた。まるで尻尾を踏まれた猫みたいな声をあげた少年は、涙目で主人に小声で訴える。
『ちょっ、愁陽さまっ!痛いぢゃないですかぁ!』
「アハハ…ちょっと失礼」
愁陽は笑って愛麗に一言断ると、がしっとマルの肩に腕をまわし、彼女に背を向けた。
『なんで、お前がココにいるんだよ!』
『はあ?いいじゃないですか。ボクは愁陽さまの第一従者なんですから』
『ここは空気読めよ』
『はい?』
『気を使うところだろ』
『なんの気です?恋人さんじゃないですよね?』
『っ…………』
痛いところをさらっと言ってくれる……何も言い返す言葉がない。
愁陽はマルの肩に腕を回したまま沈黙してマルの顔を見た。
小声で言い合うも、主人の言葉の意味がほんとにわからないといった様子の少年に、愁陽はため息をついた。
はあぁ……。しょうがないのか。
こいつが生まれ育った山奥には、浮世も姫もなかったのだ。
そんなやり取りをする二人の後ろ姿を見ながら、愛麗は先程見た夢を思い出して驚いていた。
戦場を眼下に見下ろす崖の上での夢と同じく主従関係の彼ら二人が、今、自分の目の前にいる。顔も姿もそのままに。ただ夢と違うのは、服は土埃などで汚れてはおらず綺麗に洗われていて、愁陽が目の前で明るく笑っている。
夢の中での彼の苦しげな
ふと、愛麗のほうへと視線を向けた愁陽と目が合った。
涼やかな目元に整った顔だち。やっぱり宮中の女たちが放っておかないと思う。
薄っすらと紅く染まったかもしれない頬を、愛麗はそっと小袖で隠した。
そして少し上擦った声で言った。
「あ、あの、また勝利を収められたのですってね。おめでとうございます。あなたの武勲は、この屋敷奥にいても、よく耳に聞こえてくるわ」
一瞬、愁陽は耳を疑った、何を言われたのか、わからなかったからだ。宮中ではありきたりの台詞。けれど愛麗からこのような儀礼的な挨拶を聞くとは思いもよらなかった。
愁陽は僅かに目を細めた。思わず彼女を見る視線が鋭くなる。
先ほどから感じていたことだったが、久しぶりにあった愛麗に何か感じる違和感は、気のせいではないことを確信した。それが何なのかは、はっきりとわからないが、何かがおかしい。
愁陽は目を伏せて、薄く口元に笑みを浮かべた。
「買いかぶりすぎですよ」
「いいえ。あなたが将を務める戦に負けは無しと。先にあるのは勝利のみ。さすがは王の後継者どのと、都中でもっぱらの評判よ」
愁陽は、ははんと鼻先で笑った。
「いつから、そんなお世辞が言えるようになったのです?」
「お世辞だなんて。若くして才があり、そのうえ見目も良いといえば、あなたに憧れる女人はこの都でも多いわ……ハッ!」
そこまで言って、愛麗は慌てて袖口で口元を隠した。
しまった!つい、つられてやってしまったわ……
ああ……、さっきから穴があったらほんと入りたい、と、また思うことになってしまった。
愛麗は耳まで熱くなるのを恥ずかしく感じながら、苦し紛れだと思いつつも、なんとか誤魔化そうと咳払いを一つして、背筋を伸ばす。
「愁陽。あなたこそ、いつからそんな丁寧な言葉使いができるようになったの?」
「さあ。でも、口の悪さでは、あなたよりマシでしたよ」
「はい!?」
彼女は形のよい片眉をはね上げ彼のほうを睨むけれど、愁陽は楽し気に自分の勝ちだと言わんばかりに笑みを浮かべている。愛麗は、ふくれっ面で横を向くしかなかった。
さっきから何を言っても、墓穴を掘りまくりだ。
はあ~、もう一度、再会のはじめからやり直したい。
愁陽は、久しぶりに会った幼馴染の姫を見て思っていた。
こんなに彼女は小さかったのだろうか。自分の目線よりずいぶん下で、先ほどから頬を紅く染めたり、肩をすくめたり忙しくころころと、変わる反応を見せている幼馴染の姫を可愛い、と愁陽は思った。
ふと何気なく彼女より視線を外すと、春のやわらかい日差しが視界に入った。
部屋のまるい窓から外へ目を向ければ、春の庭とのどかな空が見えた。
澄んだ青い空だ……。空は、あの頃と何も変わっていない。
窓辺に歩み寄れば、風がさらりとやさしく前髪を揺らしていく。
「それに、俺は跡を継いで王とはなりたくない。いつまでも、自由に
そう言って笑みを浮かべる愁陽のそれは、どこかあきらめたような困ったように見えた。
成長して戻ってきた幼馴染みの背中は、広くて、逞しくて、けれど、どこか寂しくも感じられた。
そんな彼の隣りに、愛麗も並んで立つ。
見上げた空は抜けるように青く、ゆったりと白い雲が流れていく。
「そうね。あなたらしい答えだわ。窮屈な宮殿よりも、よく晴れた空の下のほうが、愁陽には似合ってる」
「…………愛麗にも」
「え?」
幼い頃と違い、いつのまにか見上げるようになった隣りに立つ彼を見ると、彼は優しくも真剣な眼差しで、彼女をまっすぐに見つめていた。
そして、ゆっくりと深く問う。
「愛麗……何が、あった?」
「っ、……?」
愛麗は、答えられなかった。
いや、答えられなかったのではなく、答えを知らなかったから。
なんと答えれば、いいのだろう。
何も、ない。……たぶん。
なぜ、彼はそんなことを訊くのだろうか?
わからない。
今の愛麗には、ただ黙って彼の目を見つめ返すことしか出来なかった。
愁陽は答えを待ったが諦めて、小さく溜息交じりに言った。
「やっぱり、噂は本当なのか」
「うわさ?」
愛麗は想像もつかないと言うように、きょとんとした顔して小首をかしげる。
そんな彼女の仕草に愁陽は「まったく」と心の中で苦笑する。
こんな愛らしい表情をされては落ち着かない。
やっぱり噂さになる要因は確かにあるわけだ。
愁陽は、愛麗のほうへと身体を向けた。
「北の辺境の地にいても、愛麗の噂はよく耳にしたよ。“李家の姫君は、まことしとやかで麗しい姫におなりになった”って」
「え?」
愛麗はすぐには理解できず、こちらを向いて優しく微笑みを浮かべる愁陽を、ただぼうっと見ていた。正確には理解するよりも、優しく語りかけてくる成長した幼馴染の微笑みが甘く色香溢れるようで、あまりに綺麗な顔なので武将というより文官というほうが似合いそう……などと見惚れてしまっていたというほうが、正しいかもしれない。
そんな眉目秀麗な彼に、麗しい姫などとそんな風に言われたら、悪い気がしない。
また頬にほんのり熱を帯びた気がして、伏せ目がちに小さく笑って誤魔化す。
「ふふふ、とんでもない噂ね。」
「うん。俺もそう思った。」
「はっ!?ちょっと!」
あっさりと否定されて、思わず反射的に返す。
麗しの姫君はすっかり忘れて上目遣いに睨む。
愁陽は気にせず、にこやかにさらりと続ける。
「なぜなら俺の知っている愛麗は、しとやかいう表現からもっともかけ離れているし、自慢じゃないがへんな姫君と評判のうちの姉さんと互角に張り合えるのは、愛麗しかいないと思ってるから。」
愛麗は思った。
さっきから彼は、なかなか失礼なことを悪びれもせず言っている自覚はあるのだろうか。
こんな毒舌だったかしら?きっと辺境の地で、何か変なモノでも食べたに違いない。
甘くこんな綺麗な顔をしてるのに。
こういうのを残念ななんとかって言うのよね。ホントもったいない。
心の中でぶつくさ言った。
「面と向かって、堂々と言えるあなたもなかなか凄いと思うわよ」
少し離れて控えていた彼の従者も、うんうんと大きく頷いている。
きっと彼も常日頃から、主人のこの毒舌に被害被っているのだろう。
けれど愁陽の表情からフッと笑みが消え、愛麗に真剣な眼差しを向ける。
そして、低く慎重な声音で言った。
「でも、いま目の前にいるのは、噂で聞いたとおりの姫君だ。……愛麗、何があった?」
彼の真剣な問いかけに愛麗は何も答えられなかった。
胸が締め付けられるようで、ひどく苦しく感じる。どうして?
何も思い当たることがないし、愁陽が言うように自分が変わったとは思えない。
何も答えられないし、彼の問いの意味がわからなかった。
遠くの何処かで、のどかに雲雀が鳴いている。
「……愛麗?」
もう一度、彼が今度はやさしく気遣うように問う。
愛麗は瞳を揺らすように長い睫毛を落とすと、彼からゆっくり視線を外した。
「……愁陽、あなたの知っている私は、幼い子供の頃の私よ。いつまでも、あのままじゃないわ。子供は成長するし、成長して大人になれば、人も少なからず変わるでしょう?」
「そうかも知れないけど……!」
愁陽は、なぜか彼女の答えに納得できなかった。確かに子供の頃のままではいられない。自分もそれなりに成長して、あの頃の非力なままの自分とは違うし、冗談や皮肉も言えるようになった。けれど、愛麗の変化にはきっと何か別の、大きな何かがあったはずだ。二人の間に重く沈黙が流れる。
「あのぉ~、愁陽さま?」
ふいに沈黙を破ったのは、銀髪の少年の脳天気な声だった。
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