第6話 再会

ど、ど、ど、どうしてぇ!!!


いま、お、男の人の声がしたっ!?

そ、空耳っ!?


愛麗は、自分の部屋でするはずのない男の声が聞こえるという、あり得ない出来事が理解出来ず、完全にクッションに顔を埋めた状態で固まってしまった。さっきまでの春の陽気のようなふわふわした眠気は、一気にはるか彼方まで吹き飛んでいった。


明らかに父とは違う若い男の声。その父ですら屋敷奥のここには寄り付かず、今まで訪ねて来たことは一度もない。

もちろん屋敷の使用人に男もいるが、自分の身の回りの世話をするのは、すべて女人と決められていてる。だから男が愛麗の部屋まで入って来ることはなく、声が聞こえることなどあり得ないのだ。普通なら……。


そう、普通なら。


……なぜ?


「なんだか、妬けるなぁ~」

再び笑いを含んだ男の声に、今度こそ愛麗はガバッと音を立てて勢いよく身体を起こした。というより、ほとんど飛び上がったといったほうが近い。同時に薄桃色のクッションを無意識に胸にぎゅうっと抱きしめながら、声のした戸口のほうへ恐る恐る顔を向け、声の主を確かめる。

そして、声の主を確認して、愛麗は再び固まってしまった。


そこには部屋の入口の柱に、長い脚を持て余すようにもたれて立つ長身の男が一人、腕を組んでこちらを見ていた。

逆光で顔はよく見えない。けれど、細く引き締まった身体に長い脚。

愛麗が今まで見たことのないくらい均整がとれている。

そのうえ心地よい低音ボイス。


ええっ!なに!?

な、なんなのっ!?この視覚に訴えてくるような完璧な容姿は!?


脳内が大混乱を起こして、まったく脳がついてゆけない。

そんな愛麗にお構いなく、イケメンはなおも質問を投げかけてきた。

「いつの間に、夢で会うような方ができたのです?久しぶりの再会だというのに」

ため息まじりに彼がぼやくように言った。


わざとらしく、ため息をつきながら右手をあげ形よく綺麗な長い指でこめかみを抑える様は、ほんとうに気障だけれど。でも、それがまた似合っているからたちが悪い。

思わず、そんな彼の仕草に見惚れてしまった。


「まさか、“”なんて、聞かされるとは……」


「っ!!!」

彼のその一言に、一気に現実に引摺り戻される。


なんてっ、恥ずかしい独り言を聞かれてしまったのよ、わたし!!

あああっ、やってしまった!

穴があったら入りたいって、まさにこのことを言うのね……。

なんて、どうでもいいことを考えてしまう。


とにかくっ!愁陽は幼馴染で、恋人とか想い人とは違うからっ!!

それは誤解なんだと訂正をしなければと、焦って口だけが先走ってしまう。

「ち、違うから!っ……あ、いえっ、違います!彼っていうのはっ、え、ええっと、あの、その、えと、ここ、恋人っていうわけじゃなくて、幼馴染みで、そう!幼馴染なんですっ」


弁解しながら、顔に熱が集まっていくのを感じる。きっと赤くなっているのに違いない。もう恥ずかしくて仕方ない。


って、あれ?

そこでようやく気がついた。なんで私、この人にこんなに一生懸命弁解してるの!?

ふと疑問が浮かび首を傾げる。大きな黒い目をぱちくりさせた。


「ん?」

動揺のあまり気が付かなかったけど……

「え……、?」

愛麗は先ほど男の言った言葉を口にしてみる。


男のほうをもう一度落ち着いて見てみると、彼は口元を手で隠し肩を揺らせて笑っているではないか。

そして、彼は愛麗のほうをチラリと見ると、もう我慢できないというようにプッと吹き出し笑い出した。完全にわかっていて、彼女をからかって反応を面白がっていたのだ。


愛麗が胸に抱いていたクッションが、隣りにコロンと転がり落ちる。そして、呆然としながらも長椅子からふらりと立ち上がる。もういろんな意味で、言葉が出てこない。


「そんな全力で否定されると、地味に傷つくんだけど」

男の顔は未だ逆光ではっきりとは見えないが、雰囲気は柔らかい。

そして、ゆっくりと柱から身体を起こすと、彼女のほうへ向いて言った。


「久しぶり、愛麗」

こちらに踏み出し、二歩、三歩と彼が近づく。逆光で見えなかった顔がはっきりと見えて、まるで時が止まったようにスローモーションのように感じられる。

筋の通った鼻筋に形のよい顎、スッと伸びた眉に凛とした涼やかな瞳

そして不思議なのは、いま目の前にいる彼は、さきほど愛麗が夢の中の荒涼とした景色の中で見たその彼が、そこに立っていた。

愛麗は驚きと喜びがごちゃ混ぜになって、息を吞んだ。

「愁、陽?」

「ただいま、愛麗」

愁陽はにっこりと笑った。


あの日別れて以来、ずっと後悔して、ずっと会いたくて会いたくて、本当はそれよりも前から会いたくて、何年も待ち焦がれていた人。

その人が今、自分の目の前に立っている。

夢じゃない?


彼の姿がみるみると滲んでいく。気がつけば、愛麗は嬉しさに破顔して彼へと駆け寄っていた。


「愁陽っ」

そんな彼女を受け止めるべく、愁陽も両の腕を大きく広げそれに答える。


……けれど


駆け寄り彼の腕の中に飛び込もうとする、すんでのところで愛麗は急に立ち止まり、なぜか思いっきり体ごと顔を背けてしまった。


「って、え?……あい、れい?」


思わず、愁陽も腕を開いたままぽかんとしてしまった。


え?……ええぇ!?どうしたんだ!?

嘘だろぉ!?

ここで、止まるのか???


愁陽は、綺麗な形の片眉を跳ねあげて、端麗な顔を思いっきり引きつらせた。


いやぁぁ~~~、ないないっ!ないだろぉ~!

普通はさっ。ここで止まるとか!?

あり得ないんだけどっ


愛麗は、愁陽のすぐ目の前で顔を背け赤く染まった頬を袖で恥ずかしそうに隠している。


なに、この姫君のような反応は!?

いや、姫だからいいのだけどっ。


お転婆な幼馴染は、絶対腕の中に飛び込んでくると思った。

いや、先ほどの流れ的には絶対その勢いだっただろう!?

今、目の前にいるのは本当に愛麗か?

もしや別人ではないのか?


と、愁陽にそんな疑問すら起こる。

自分の広げた腕をちょっと曲げれば、目の前にある彼女の細い肩はすぐに囲める距離にある。

ここは男らしく腕を伸ばして彼女をぐっと抱き寄せ、再会の抱擁をすべきなのか。

力強く、強引に……


自問自答の結果。


いや……、俺には無理、だな……


うん……。


無理。


自分の不甲斐なさを恨めしく思いながら、愛麗が袖で顔を隠している隙に自分ではさりげないつもりだったが、かなりぎこちなく、しれっと腕を下ろしたのだった。


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