第5話 幼馴染

愛麗は、ゆるりと瞼を上げた。じわりと少し寝汗をかいている。

まだぼんやりとしたままのまなこで、あたりを見回した。


そこはいつも見慣れた部屋の中だった。

貴族の姫らしく高価で品のいい調度品に囲まれた自室だが、ここにある調度品などは、すべて自分以外の人間が選んで揃えたもの。


愛麗の部屋は大きな屋敷の奥まった場所にあるので、外の喧噪などもまったく届かない。また人の行き来も殆どないため、今も穏やかな春の陽がやわらく差し込む室内は静かだった。


彼女は優雅な彫刻が施され、黒檀で作られた長椅子の肘掛けに寄りかかり、ふわふわの羽毛を詰めた肌触りのよい薄桃色した絹のクッションを枕にうたた寝をしていたようだ。少し乱れて頬にかかった長い髪を手でそっと直す。


やわらかい春の空気をゆっくりと吸い込むと、ほんのりと甘い梅の香が鼻腔をくすぐった。先ほどの夢で見た、埃っぽい荒涼とした色のない世界とは大違いだ。


彼は、本当に愁陽だったのだろうか。

夢の中で、確かに彼だと、愛麗は思っていた。


自分が知っている幼い頃の愁陽も、皇子らしく凛としていて、当時はまるで女の子と見間違うほどに随分と綺麗な顔立ちをしていた。

愁陽はそう言うとすごく厭そうな顔をしていたけれど、でも、自分より姫らしいと思ったいたこともあった。

夢の中の彼も立ち姿は気高く品があり、甘く端正な顔立ちだった。


愁陽に、会いたい……


ふと、心にそう思った。


もう何年も会っていない。

愁陽が最後に会いに来てくれた時は、まだお互い十一か十二だった。

彼が初陣で遠くへ出征する前に、忙しいであろうに貴族の姫を訪問する段取りを整えたうえで、わざわざ屋敷まで訪ねて来てくれたのだ。

なのに、自分は体調がよくないからといって、御簾ごしにしか会わなかった。扇で顔もほとんど隠したまま。


二人の間には御簾が一枚あるだけだというのに、まるで何枚も御簾があるように、ずっと遠くに感じて、ありきたりのぎこちない会話しか出来なかった。

彼はいつ死んでもおかしくない、死と隣り合わせの戦場いくさばにこれから行くというのに、どうして子供の頃のように、素直に会わなかったのかと、あとでとても後悔した。


あれから四年も月日が流れた。愁陽は、今もずっと遠征を続けているのだろう。

長椅子にもたれて部屋のまるい窓から、のどかな春の陽だまりに目をやる。


自分のことなど、もう忘れてしまっただろうか……

あんな別れ方をしたのだから、呆れられたかもしれない。


「それも仕方ないわよね。」

思わず、溜息交じりに零れる。


この四年間、手紙も書いたことがないのだから。

愛麗は長い睫毛を伏せて、少し自嘲気味に嗤った。

安否を気遣うことも激励の言葉も送らないなんて、やっぱり酷い。


それでも、やっぱり彼は大好きな幼馴染だ。

彼女の楽しかった思い出には、いつも愁陽がいる。

彼を思い出すとあたたかい気持ちになった。彼を思い出すのも、こんなあたたかい気持ちになるのも久しぶりだ。

この穏やかな気持ちを幸せだというのだろうか。


成長した本当の愁陽の姿は知らないけれど、夢の中の彼は、かなり端正な顔をしていた。きっと自分が知っている子供の頃の愁陽も容姿端麗だったから、やっぱりかなり

の美形に成長しているに違いない。

遠征から宮中に戻ったら、きっと多くの女人たちが放っておかなくて、それはそれは大騒ぎになるのだろう。

優しい彼は、ちゃんと女人たちからの誘いを断ることができるのだろうか。

彼のことだから、うまく断れずに綺麗な女人たちに囲まれて、あたふたしているかもしれない。彼の困った顔が目に浮かぶようだ。綺麗なに化粧をして着飾った宮中の女人達に囲まれる姿を想像すると、ちょっとつまらない気がするけど。


本当のことをいうと、と思っていた幼馴染みの愁陽が、愛麗も知らない女人たちに囲まれて追いかけられて、人気者になってしまうのは少し寂しくもある。やっぱりなんだか面白くないかも。


でも少し優柔不断なところがある彼が、綺麗な宮中の女人たちからあたふたと慌てて逃げる姿を想像したら、やっぱりちょっと面白そうだから、物陰からこっそり見てみたい気もする。想像して思わずクスクス笑ってしまった。


「ふふふ……。けれど、どうしたのかしら。今ごろ彼の夢をみるなんて」

愛麗が幸せな余韻に浸りながらつぶやいた、そのときだった。


「……へえ~、って。それは誰の夢ですか?」


いきなり若い男の声が、部屋の入り口のほうから聞こえてきた。

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