第29話 炎上

愁陽は城門をくぐり、いったん城へと向かった。

愛麗の屋敷、李家を捜索するための私兵を集めるためだ。

自分が乗り込めば縁談の話も滅茶苦茶になり、李家の面子も潰れることになるかもしれない。

けれど、そんなこと構っていられる場合ではない。

今は愛麗をこれ以上一人にしていてはいけない、そんな気がしてならなかった。

とにかく少しでも早く彼女を見つけないと。


彼女の影の存在を知らない家の者たちは、昨夜の様子ではそこまで深刻に彼女の行方不明を扱ってはなかった。

李家にはまだ幼い弟がいて、今では愛麗は跡取りではなくなったし、幼い頃のお転婆な彼女を知っていたらなおさらだろう。婚礼を前にした彼女が、また気まぐれか何かでふらっと外へ遊びに出ていったくらいに思われても仕方ない。


昨夜は影の存在を話すわけにもいかず、話したところで信じないだろうが、李家のほうでもまた、婚約中の彼女のことで婚約者でもない別の男を家内に入れて大ごとにするわけにもいかず、愁陽はなかば追い出される形で屋敷外へ出されていた。


空は陽が傾き、赤く夕空となっている。もうすぐ陽が沈む。

そうすれば、また彼女を捜しにくくなるだろう

城に戻った愁陽は、すぐに動かせる自分の精鋭ばかり結成された小隊だけを集めた。

兵をほんの数名でもつれていくことは大袈裟かもしれないが、少しでも捜す手は欲しい。兵を動かすため、自分も戦のときと同じく蒼の衣に外套マントを羽織り、額には蒼の宝石いしをあしらった額飾りをしている。これでは愛麗の父とて自分を邪険には扱えないだろう。かなり父王からも怒られるかも知れないが、咎めは愛麗が見つかってからいくらでも受けよう。


愁陽は自分が城へ戻ってから、マルの姿をまったく見掛けないことに気付いた。

いつもはすぐに愁陽を見つけて、犬のように飛び出してくるのに。

こんな時、オオカミの血を持つ彼がいれば、強い味方となるのだが、仕方がない。


愁陽が兵たちに指示を出そうとしているときに、聞きなれた彼の名を呼ぶ声が響いた

「愁陽さまーーーーーーっ!!」


愁陽が声のしたほうへ顔を向けると、マルが門をくぐり慌てて駆けてくるところだった。

なにやらただならぬ様子で、その顔は青ざめている。


「っ…、こんなとこに、いたんですかっ!?」

珍しく息が切れている。ずいぶん走ってきたようだ。

転がるように愁陽の前に来ると、膝に手をあてゼーハーと肩を上下させて息をしている。ただならぬ様子に、愁陽も緊張した面持ちでマルに寄る。


「マルっ、どうかしたのか!?」

「どうかしたのかじゃないですよ!何、やってんすか!!」

「?」

「都で火事ですよっ!火元は……っ、愛麗さまの屋敷ですっ!!」

「っ、なんだって!!」

愁陽は慌てて愛麗の屋敷のある方角、その上空を仰ぎ見る。

夕空で気づくのが遅れたか……っ

火の手までは宮殿の建物などでよく見えないが、そちらの方向には煙があがり空の様子がおかしい。

マルは息を切らせながらも、状況を報告する。

「お屋敷の中の様子まではわかりません。ですが、なんせ大きなお屋敷です、火の勢いも強くて。逃げてくる使用人も多く、周辺の人達も避難を始めて、あたりはごった返してます」


愛麗の屋敷はこの宮殿がある城からも近く、周囲は貴族の屋敷や商店なども多い都の中心に近い場所だ。やがてもうじき日も暮れる。混乱が起こるだろう。

愁陽は踵を返すと、愛馬の手綱を取った。

その背にひらりと飛び乗ると、近くに控えていた兵の一人が、すぐに愁陽の太刀を手渡す。

すまない、と受け取ると、マルを馬上より見下ろし口早に伝える。


「マルっ、俺は先に行く。お前は、この者たちを連れて屋敷に向かえ。救助と避難する者たちの誘導と保護を頼む」

「わかりましたっ」


愁陽は真剣な眼差しでうなずくと、ハッと掛け声とともに馬の腹を蹴り駆け出すと、宮殿の門をくぐって出ていった。

「愁陽様っ!間に合ってくださいっ!必ず、愛麗様をお助けくださいっ!!」

マルは主の背に向かって叫んだ。


愛麗の屋敷近くまで来ると、街の大通りは逃げ惑う人で混乱していた。

これ以上、人込みを馬で進むことは危険だった。

愁陽は馬をおり愛馬の首を撫でてやると、元来たほうへ走るよう促した。そのように躾けてある。きっとそのまま無事に宮殿へ帰るだろう。もしくは、途中であとからくるマルたちが見つけるであろう。

愁陽は人の流れの波とは別に、屋敷へと向かって突き進んだ。


屋敷につくと、男たちが必死で消火活動をしていた。

愛麗の部屋は屋敷の一番奥だ。屋敷に近づこうとする愁陽を、危ない、と一人の男が腕を掴んで引き留めるのを、大丈夫だと言ってそっと手を外す。


「もしや、あなたは……」

振り向いた愁陽の顔を知っていたようだ。一緒に行軍したことのある者かも知れない。ましてやこのような出で立ちだ。簡単にこの国の第一皇子だという理解る者も多いだろう。

その愁陽がここにいることに驚き目を見開く男に、愁陽は尋ねた。

「姫は?」

しかし男は首を振った。まだ、お姿を見てません。おそらくまだ中に……

「わかった」

「危険です!火元は姫の部屋があるほうだと」

「なんだって!?」

「とにかく中は危険です!」

「俺は姫を助けに来た。だから行かなくてはならない」

男は少し黙って考えているようだったが

「わかりました。お気をつけて」

愁陽の意思が硬いことを知るとそう言った。

「ああ」

愁陽は頷くと屋敷の中へ飛び込み、火の勢いがとくにひどい屋敷奥のほうへと走った。


走りながら、ついぼやく。

「ったく……、ムダにでかい屋敷も考えもんだなっ」


途中、屋敷の庭を避難もせず、おろおろしている侍女がまだいた。

女が愁陽に気付き、あっ!と悲鳴に近い声をあげる。

「愁陽様!」

先日、愛麗の部屋へ頬を染めながらも案内してくれた侍女だった。


貴族の侍女らしい綺麗な衣は煤で汚れ、ところどころひっかけたのか破れている。

本来美しいであろう顔も、今は煤と汗で汚れ、ほつれた髪が額や首に張り付いてた。


ふらふらで足元がもつれて転びそうになる侍女を、愁陽は支えて立たせてやる。

彼女には愁陽がここにいる理由はすぐにわかった

両腕にしがみつくように彼に支えられながら、彼女は煙でひりつく喉の痛みを堪えて、必死で叫んだ。


「っ、愁陽様!愛麗様のお姿が見当たらないのです!お部屋にもいらっしゃらず、まだ屋敷の外にも出ていらっしゃいません。きっと、まだこの屋敷のどこかに……っ」

「ほかに彼女がいそうな所は……っ」


侍女は被りを振った。そして、何か言いたそうに愁陽を見つめ、わずか逡巡したようだったが、固く口元を引き結ぶと意を決したように言った。


「愁陽様。実は、火をお付けになったのは、愛麗様だと……」

「っ、愛麗が!?」

侍女は頷き、その目からはみるみる涙が溢れ出した。

「愛麗様はいつも穏やかに微笑んでいらっしゃいました。でも、どこか寂しそうで」そう言って、侍女は肩を震わせて泣く。

そんな彼女の両肩を手で支えてやりながら、愁陽は言う。

「……わかった。お前はもう逃げろ。手遅れになる」

「でもっ」


侍女は愛麗のことが心配でその場を去ることが出来ないのだ。

そんな彼女のやさしさもわかるから、愁陽は彼女の顔を覗き込むように見て言った。

「この先は俺が行く。お前は屋敷の外のほうを頼む」

そして、ふっと表情を緩めてやさしく言いきかせる。

「…もしかして、もう外へ逃げてるかもしれないだろう?そしたら、あいつ、困ってるだろうから」


侍女はほんの少し葛藤していたが、ここは自分が残っても彼の足手まといになるだけで懸命ではないと気付いたのだろう。わかりました、と頭をさげた。


「愁陽様、どうか、どうか愛麗様をお願いします。お嬢様にはあなた様しかいないのです。ですから、お願いします。どうか……」

侍女は何度も懇願して、屋敷の外へと走り去った。


侍女が去ったあと、愁陽は立ち止まり思案する。

火をつけたのは、本当に愛麗なのか?

それとも愛麗のほうではなく、もう一人の愛麗だというのか


部屋にはいない、けれど、この屋敷におそらくいるのであろう

いま、この状況の中で、彼女が行きそうなところはどこだ。

愛麗なら……

いや、あの女なら?

屋敷に火を放ったのが彼女なら、自分を束縛していたものを、忌まわしいものを燃やしたのだ。屋敷という名の大きな鳥かごを。

そして、きっと、その燃えるさまをどこかで見ているはずだ……


だとしたら……おそらく見下ろせる場所にいる。


「高楼かっ!!」


愁陽は急いで走り出した。

この屋敷には、今は使われていない古い高楼があった。

愁陽は庭を走り抜け、池のほとりへ出た。

足を止めると、そこから高楼が見える。

そして、高楼の一番上の窓辺に白い衣を着た彼女の姿はあった。


愁陽は肩で息をしながら、小さく舌打ちをする。

「くそっ、俺が行くまでそこに居ろよっ!」

彼は一気に高楼めがけて走った。


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