第28話 交錯する想い ー愁陽の場合ー

愁陽はひどく焦っていた。


昨夜、愛麗の部屋で彼女と別れてから一夜明けて、すでに陽も高く昇ってずいぶん経つというのに、愛麗の姿はどこにもない。愁陽は一睡もせず捜し続けているのに、いったいどこにいるのか、未だその姿を見つけられないでいた。


彼女と別れたあと屋敷の中を探したけれど、見つけられなかった。

婚約者でもない男が、幼馴染の姫を捜して大貴族の屋敷の中をうろつき回ることも出来ず、あとは仕方なく家の者に捜索を頼み、自分は街の中を探している。


愛麗の父親の大臣も、今では家督を継ぐ男子が再婚の妻との間に生まれたとは言え、幼い頃とは違い近々家同士の結婚が 決まっている彼女を邪険にはしないだろう。

かつての幼い頃の彼女はあまり父親から愛されてはおらず、寂しい幼少期を送っていたが。


もし今日一日、彼女を探して見つからなかったら、皇子の名前を使ってでも捜してやる。王家としての権力を使ってでも、愛麗の屋敷内を捜そう。

あの頃は幼かったけれど、今は違う。使えるものは全部使ってやる。

公私混同だろうが、職権乱用だろうが構わない。上等だ。

絶対にっ、彼女を見つけてやる!


過去の自分は形式に囚われて、彼女の傍に一番いなければならないときに居なかった。無理にでも、強引にでも、本当は彼女の側に居るべきだった。

それは、今もだ。愛麗を絶対に一人にしてはいけない。

今もどこかできっと苦しんでいる。闘っているのかもしれない。

一人泣いているかもしれない。

愁陽はそう思うと居ても立ってもいられず、食事も睡眠も取ることをせず、愛麗の姿を探し回っていた。


愁陽は時折愛麗の屋敷を訪れては捜索の状況を聞き、あとは街のあちこちを巡り、朝から広い城壁の中を三周はしているが、未だ愛麗らしき姿を見かけた者もなく、懇意にしている情報屋にも聞いてみたが、まったく手掛かりも見つからなかった。

さきほどまで真上にあった陽も、少し横へ移動し傾き始めている。


愛麗が外に出ていたのは、自分と屋敷を抜け出してよく遊んでいた子供の頃だ。姉が亡くなって以来、屋敷の奥でほとんど過ごしているのだから、街には出て来ていないだろう。だったら、おそらく彼女は一人で街に来たことがないはずだ。

そう考えると土地勘のない街にはいない可能性が高い。

いったい、どこへ……


貴族の姫が人目に触れず抜け出すことは難しいと思うが、まさかすでに城壁の外へ?

城壁の外、そう考えたとき、一つだけ思い当たる場所があった。

二人がよく出かけたお気に入りの場所

あの草原くさはらだ。


愁陽は用意していた愛馬にひらりと跨り、一声掛けて城壁に向けて一気に駆けだした。

門に近づいたとき、城門の兵士たちが前に立ちはだかった。

「何者だっ!」

愁陽は馬の手綱を引き寄せスピードを落としながらも、剣の柄を見せるように突き出し叫んだ。

「私だ!道を開けよ!」

「はあ⁉」

兵士たちはなんだなんだと口々に言ったが、そのうち兵士の一人が刀の柄にはめられていた蒼家の色をした蒼い宝石いしに気付た。

「愁陽さまだ!」

なに!?ほんとうか!?と口々に言うと、慌てて脇に避けて道を開けた。

そんな彼らの横を、愁陽は馬でそのまま駆け抜けていった。

そのまま愁陽は広い草原くさはらへと馬を進めたが、どこまでも広がる緑の中、ぐるりと見渡す。

探し求める姿が、どこかにないか……

目を凝らしてみる。


「クソ……ッ、どこにいるんだよ!!」

滲む額の汗を拭う。苛立ちと焦りが募る。


馬から降りて、柔らかい草の上に立つ。緑の草が風に吹かれて波のように脚に寄せてくる。

空を仰ぎ見ると、あの頃と何も変わらない空がそこにある。

伸ばした手が、青い空に吸い込まれそうだ。

幼かったあの日、彼女も空に向かって小さな手を伸ばしていた。

大きな黒い瞳をキラキラさせて。

あの瞬間、彼女の笑顔が自分にとって、すごく大切なものになったのだ。


あの笑顔を失いたくない。彼女には笑っていて欲しい。

おそらく姉を亡くしたあの夜から、彼女は愛麗として笑ったことがないのだろう。

彼女として笑って欲しい、愛麗として生きて欲しい。


愛麗には別の何かが見えて、自分には聞こえなかったが声も聞こえているようだった。その会話はまるで自分の中の別の人格と話しているようにも聞こえた。

マルは邪悪なものだと言っていた。

愛麗がこの世から消えてしまいそうな、ひどく嫌な予感がしてならない。

いったい彼女はどこにいるというのか


もう間に合わない…とか。

ふと、そんな不安が頭を横切り、慌ててかぶりを振る。

何を弱気になってるんだ、と自分で叱咤する。

俺は何のために剣を振るうんだ。何のために今ここにいる。

彼は、剣を握り続けてきた右の掌を見つめる。

大切なモノを守るために、この手はあるんじゃないのか。


彼女が教えてくれた。止まない雨はないと……

彼女の言葉は俺を救ってくれた。

今ある苦しみもやがて笑顔になり、いつの日か穏やかな日々がくる。

そう信じていたい。そして、そのときは喜びも悲しみも彼女とともに、二人で感じたい。

だからこそ、今、彼女の手を離してはいけないんだ。


俺は彼女に勇気をもらった。だから強くなれる。

彼女が言うなら、俺は陽ともなるし、あの空のようになろう。

強く握った掌から、勇気が力が全身に伝わってくるような気がした。

それは光のようにあたたかく強く愁陽自身すべてが満たされていく。

自分の側にはいつも愛麗がいてくれるような、そんな気がするのは自分の胸の内にいつも彼女の存在があるからだろうか。


頬を春の風が優しく撫でていく。

そうだった、ここで感傷的になっていてもなにも変わらない。


愁陽の中で愛麗の存在がこれほどまでに大きく大切な存在になっていたということを、彼は昨日の出来事から彼女を失ってしまうかもしれないという恐れを感じて、嫌というほど自覚させられた。

いま自分の中にあるこの気持ちは、もう認めないわけにはいかない。

そして告げなくてはいけない。どんな愛麗でも自分は好きだと。愛しているということを。


見上げた空は、今日も変わらず青く澄んでどこまでも高い。

愁陽は桃の木の下で、彼女にした約束を思い出した。

キミを守る、その言葉に偽りはない。

俺は誓う。俺だけの姫を守る、必ず。

そして彼女とともに太平の世をつくる。

愛する人が笑顔でいられるそんな世をつくり守る。


だからもう一度、彼女とこの草原くさはらへ来て、並んで寝転び、そして馬に乗りともに駆けるんだ。


愁陽は再び意を決し、空から視線を戻すと愛馬の手綱を手に取った。

「また頼むな」

そう言って愛馬の首を撫でると、馬も答えるようにブルルルンと鼻を鳴らす。

馬の背にひらりと跨ると、愁陽は彼女がいそうな場所を考える。

陽は先ほどよりもずいぶん傾き始めていた。

やはり、愛麗はまだ自分の屋敷の中にいるのではないか。

もしかして、部屋に戻っている可能性だってある。

一縷の望みをもって、愁陽はもう一度城門へと向きを変えると馬を走らせた。

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