第110話・TAU-RUS④

「右だ、右! ハンドルを切れ!」


 助手席の上で、ザイツが思わず声を上げる。レインは既にハンドルを切っており、ザイツが言い出すのと同じタイミングでタウルスの車体が右へ曲がり始めていた。


 その時、茂る木々の裏からアパッチが滑り出る様に姿を現し、機首を左へ回転させ、レイン達のタウルスと顔を合わせる形を取る。すぐさま機首下方に取り付けられたチェーンガンが火を噴き始め、タウルスに砲弾が降り注いだ。


「クソッたれッ!」


 レインは、さらにハンドルを右へ切り足し、先程抜けてきた森へ戻る進路を取ろうとする。


 そんな彼をあざ笑うかのように、アパッチが翼下のハードポイントからロケット弾を射出した。タウルスの進行方向先に着弾したそれ等が炎の柱を上げ、レイン達の退路を塞ぐ。


 レインは舌打ちし、ハンドルを左へ切り返した。タウルスのサスペンションが大きく右へ沈み込み、右側タイヤ二輪に土を噴き上げさせながら、車体を百八十度反転させ、停車する。


「進行方向が元に戻ってるぞ!」


 ザイツがレインの方を向きながら、怒声を上げた。タウルスの眼前に広がるのは、先程と同じ崖だ。左からは地上部隊、右を戦闘ヘリが塞いでいる。後方はロケット弾によって上がる炎の柱。


「逃げ場が無い……」


 アイドリング回転まで落ち込んだV8エンジンが挙げるドルドルという重低音の中、ザイツが息を呑みながら言った。


左方向から迫る地上部隊が、タウルスから少し離れた位置で停止し、開け放たれたドアからクゥエル兵が地面に降り立つ。開いたドアを盾代わりにし、タウルスの方へアサルトライフルの銃口を向けるのが見えた。


「えー、そこの……車か? まぁいい。それに乗っている奴、大人しく武器を捨てて投降するんだ」


 右方上空、そこにホバリング状態で留まるアパッチから、拡声器を通した声が響く。


「無駄な抵抗は止めておいた方がいい。今、その車にミサイルをロックした」


 アパッチの操縦士が続ける。ヘリのローター音が、無慈悲に空を支配していた。


「レイン、どうやらここまでの様だな」


 助手席のザイツが言う。どういう訳か、嫌に肝の据わった声だった。


 カチャリ、と銃の音が聞こえ、レインはザイツの方を向く。額の先に、MP7の銃口に取り付けられた消音機が突き付けられていた。


「悪く思うな。僕もすぐ行く」


 神妙な顔つきでザイツは言い、シートベルトを外す。


「シートベルト」


 その様子を見て、レインが呟くように言った。


「何?」

「『車に乗る時はシートベルトをしなさい』ママに教わらなかったか?」

「レイン、今は冗談を言う気分じゃ――」


 ザイツが言い終わるのを待たず、レインは顔を正面に戻す。


「昔、何でそんな機会があったのか今でも思い出せないが、ロケットの開発に携わった教授の話を聞いたことがあるんだ」

「レイン?」

「ジェット機が真上を向いて飛べるのは、ジェットエンジンのパワーが機体の重量に打ち勝っているからなんだと」

「一体何を言ってるんだ?」


 怪訝そうな顔を浮かべるザイツを余所に、レインは後方のジェットエンジンを指差して言う。


「俺は元々空挺部隊にいたから知ってるが、あのエンジンはF-16って戦闘機のエンジンだったはず。F-16は八トン、こいつは運転した感じ、あってもせいぜい2トンってとこだ」


 レインは指を下に向けて言った。


「つまり何が言いたい?」

 

 ザイツが言うと、レインはさも簡単な事を言うかのように言った。


「コイツは、角度さえつければ飛べるって事だ」


 ザイツはため息交じりに言う。


「だったとして、どうやってその角度を――」


 そこまで言った時、彼はふと、レインがずっと前を見て視線を動かさないことが気になった。ザイツがレインと同じ方向に顔を向けると、そこにはもちろん崖が広がっている。


 しかし、その一部分。タウルスの丁度進路上に、小さな岩が角度を付けて切り立っているのが見えた。


 さながら、小さなジャンプ台の様だ。


「お前! まさか――」

「ザイツ、もう一度だけ言うぞ」


 レインは自身へ銃を向けるザイツの方を向き、言う。


「俺を信じろ」




 



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