第25話・『一般人』レイネス・フォーミュラ④

「クソッ!」

 

 レインは地面にリンクスを立てたまま、伏せ撃ちの態勢から立ちあがった。


「スコープが狂ってやがる! 当たりゃしねぇ!」


 対物ライフルを放り出した腕で、死体が握るスティンガーミサイルランチャーを担ぎ上げ、上空へと飛翔するワルキューレに照準を合わせる。


 ピピピッと電子音が鳴り、ロックが完了する。引き金を引くと同時にミサイルが点火。ロケット燃料が撒き散らす極高音の発射音が彼の耳を傷め、立ち昇る煙が視界を奪った。


 レインは発射筒を投げ出すと、煙の中を突っ切った。雪の上を走る豹さながらに走り出す。

 聞こえるのは風切り音と、積雪を強く踏みしきる音だけだ。


 彼とナギとの距離は六百メートル程。ワルキューレを追う毒針スティンガーは、レインがその距離を走破するのに十分な時間を稼いでくれるはずだ。


 二度小刻みに息を吸い、二度小刻みに息を吐く。長距離を走る際に必須と言える呼吸方を行いながら、レインは雪の冷気を切り裂きながら前へ前へと進む。目の前に切り立った小さな崖が見えたが、どうやら迂回している時間は無い。


 崖から張り出した岩を駆けあがってジャンプし、ぽっかりと口を開けた崖を飛び越える。跳躍地点と着地地点の高低差は三メートル程。

 レインは着地すると同時に身を転がし、衝撃を体全体に逃がす。八一一空挺部隊で培った、五点着地だ。


 再び駆け出しながら身を起こし、腕を振り、足を回す。


 五百メートル程を走り切った所で息が切れて来た。喉の奥で鉄臭い血の匂いが充満する。不快で足を止めそうになる。白銀の世界を包む冷気に不釣り合いな汗粒が、レインの頬を伝った。


 残りは百メートル。


 行けるか?




 上空へ逃げた女兵士二人を追っていくミサイルを、ナギは呆然と眺めていた。撃ち抜かれた背中のブースターは沈黙を保ったままだ。


 突如、雪の上を駆ける足音が近づいて来る。彼女はそちらの方に目を移した。


「レイン!?」


 彼は息を切らしながら、ナギの機体に駆け寄り、パージレバーに手を伸ばす。


「相変わらずだなこれ!」


 レバーは動かなかった。レインは悪態を付きながら、ブーツの靴底でそれを蹴り上げ、無理やり作動させる。


 ガラクタと化したアーマーがナギを開放し、彼女はその上で起こす。レインは鉄塊の上によじ登り、ナギの腰と脚に手を回す。

 

 彼女を抱え上げようとした、その時だった。


 温泉が湧き上がる様な形で、少し離れた位置の雪が舞い散る。立て続けに起こったそれは、段々と二人の方へ近づいて来る。

 上空に逃げたワルキューレの攻撃だった。恐らく、斧を持った方の機体だろう。彼女の腰には、二門のリボルバーカノンが据え付けられていたはずだ。


 「危ない!」


 ナギがそれを見て叫ぶのと同時に、レインはアーマーの残骸から飛び降りた。少し離れた位置で彼女を庇う様に覆いかぶさり、瞬間、背後で二十ミリの弾丸を浴びた残骸が爆散する。


 二人の身体は爆風で吹き飛ばされ、宙を舞う。レインはナギがむち打ちにならないようしっかりと頭と腰を支え、自分を下にして着地。地面が柔らかい雪が積もっていた事が幸いし、彼は軽い擦り傷程度で済んだ。


 彼は雪の上で、ナギをお姫様抱っこに抱え上げ、再び雪上を走る。


「ちょっと!」


 彼女が顔を赤くし、抗議する声を上げるが、レインはそれには構っていられない。何故なら、後ろから20ミリの豪雨が迫ってきているからだ。


 切り立った段差を飛び越し、少し下の地面へ着地する。

 レインは足のばねを使い、そのまま後ろへ飛んだ。偶然見つけた洞穴へ身を隠し、鋼鉄の雨は彼等を追い越して行く。


 二人を仕留めたと思ったのか、見失ったのか。そのまま空を駆けるジェットエンジンの轟音は遠ざかって行き、息を止めていたレインは、やっと肺一杯に息を吸いこんだ。

 




 




 

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