第15話・ムーンナイト・クルーズ⑦

「嘘だろ!?」

 

 目の前に広がる無慈悲な現実に、レインは否定の言葉を投げかけてみるが、重力は容赦なく彼の体を引き、凄まじい勢いで落下する。


 昔の癖で彼は両腕と脚を広げる。何とか落下速度を落とそうと抵抗してみるが、下へ引きずられる彼の身体にぶつかる大気が暴風となり、身に着けているヘンリーネックの裾やジーンズの踝辺りがバタバタと揺れる。


 髪は四方八方に揺れ、目を開けているのが苦痛なほどだ。


 彼はふと、八一一空挺部隊時代の訓練の事を思い出す。

 アレは入隊初期も初期の事だっただろうか? 彼の部隊を訓練したディーク・クルーセル中尉は浅黒い肌で丸坊主頭のいかにもな軍人で、所謂鬼教官と言われる人だった。


 ある時の落下傘降下の訓練の時、彼はレインのパラシュートを機外に放り投げ、パラシュート何ぞ飾りだ! と言い放ち、レインを空へ蹴り出したことがある。


 その時は死に物狂いで空中を漂っていたパラシュートを掴み、地上スレスレでそれを開いて生き延びたのだが、その時付いた傷は未だ痛々しく彼の右腿に奔っていた。


 もう無いだろう、もうごめんだ。


 彼はそう決意していたのだが。


 その時上げた彼の喚き声は、或いは海底で眠るウミガメすら深い眠りの淵から叩き起こしたかもしれない。


 訓練生時代の教官の顔を突如思い出したのを起点にして、レインの脳内では今まで経験した、様々な思い出が左から右へ通り過ぎて行く。

 

 両親ともおらず、施設で育った事。十八歳の頃に襲ってきた暴漢を叩きのめして返り討ちにし、それが原因で逮捕された事。いささか納得が行かなかったが、刑務所か従軍かを迫られ、そこから軍に入った事。

 

 マックスとカークとの出会い等、様々な思い出が脳内に浮かんでは消えて行った。


 つまり、彼が見ていたのは走馬灯だ。

 

 走馬灯は、死に直面した生物が、何とか生き残る道を探そうと記憶を漁るから起こる現象だという説がある。

 

(海へ落ちれば、或いは……!)


 だからなのかは不明だが、レインの頭の中にそんな淡い希望が浮かんだ。彼は風にさらされる目を薄く開け、下を見る。


 空母の飛行甲板が、ずっと大きくなってレインの眼前に迫っていた。


 彼の落下コースの真下だ。



 レインは脳内で皮肉を独り言ち、死を覚悟する。

 

 その時、すぐ隣でジェットエンジンの音が響いた。




 突如、彼の身体を衝撃が襲った。腹部を掴まれて振り回され、レインは胃の中の物を撒き散らしそうになる。


 と言っても、彼は空母に連れ去られてから何も食べていないので、胃液が凄まじい勢いで逆流するだけだろうが。


 吐き気と格闘し、口を塞ぐレインの頭上から、ナギの無邪気な笑い声が聞こえた。


「どう? びっくりした?」

「……死ぬかと思った」


 青い顔で返すレインとは対照的に、ナギはからかった様子で続ける。


「空挺部隊だったんでしょ? 情けない」

「せめてパラシュート寄越せっての」


 ナギはクスクスといたずらっぽく笑いながら飛行甲板に着陸し、レインを放した。


 彼女はパージレバーに手を伸ばし、引き上げようとするが、やはり固いのか、なかなか上がらない。


 レインはその手に自分の右手を添え、上に押す。


 レバーが動き、ナギは生身で地面に降りた。


「ありがと」


 彼女が降りた後、ワルキューレアーマーは小型の戦闘機の様な形状に変形し、ひとりでに飛び立ち、空母側面の穴、船側エレベーターの昇降口へ入って行った。


「あれ、勝手に飛べるのか」

「そ、呼び出す事も出来るよ」


 二人は甲板を歩き、少ししてレインが口を開いた。


「……なぁ、あの事は、本当に悪かったと思ってる」


 そう言うと、ナギはピタリと立ち止まった。


 雰囲気が変わったのを察し、レインはあたふたと続ける。


「その……何だ……俺に出来る事なら、埋め合わせするから……」

「良いよ別に、もう怒ってないし」


 ナギは変わらぬ調子で言うと、赤面した顔でレインに振り返り、ピンと伸ばした左手の人差し指を彼に向け、言い放つ。


「でも、次やったらホントに落っことすから!」


 


 

 






 


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