第14話・ムーンナイト・クルーズ⑥
ジェットエンジンの轟音が夜空を突き抜け、加速Gがレインの身体を襲う。ただ、ザイツに連れ去られた時とは違い、今度は意識を失う程の強烈な加速感は無かった。
呻き声を漏らさずに済む程生易しいものでもなかったが。
さながら胸の前に抱きかかえられたテディベアのような状態で、レインは空へと上がって行く。命綱は胸の前に回されたナギの両腕だけだ。
ワルキューレアーマーを着込んだ鉄の腕で抱えられているので、十分にレインの身体は固定されてはいる。しかし、安全装置としては少々不安が残る上、彼女の裁量一つで彼の身体は海原目掛けて真っ逆さまだ。
レインは心臓を掴みあげられている感覚を覚えていた。
とは言え、首元に当たる二つのふくらみの感覚は、決して悪いものでは無かった。
月に手が届きそうな程の高度に到着し、ナギは上昇をやめる。レインはゆっくりと下を見た。
離陸先地点の空母が米粒ほどの大きさになっている。
「随分と高いところまで来たな」
レインが言う。彼にとっては懐かしい高度だ。
「燃料は足りるのか?」
「大丈夫、結構残ってたはずだから」
ナギが答え、そして続ける。
「私、夜飛ぶの好きなの」
「どうして?」
「月が近いから」
彼女は左腕を放し、開いた掌を月にかざす。
「もう少しで、手が届くかも」
彼女と同じ月を見上げ、レインが言った。
「かもな」
ナギは再びレインの身体に腕を回し、暫く月を眺めていた。
冷える夜気にブースターの轟音だけが響いている。淡い月明かりがナギの端整な顔立ちを幻想的に照らしていた。
「……ねぇ」
彼女が突然口を開き、レインは反射的に返事をする。
「ん?」
「……お昼の事、憶えてる?」
「お昼?」
「私の事、引っ張り上げてくれたよね」
「あぁ」
レインはその時の事を思い出す。ただ、彼にとっては何日も前の事の様な気がしていた。
「そういえば、あれからどの位経った?」
「四、五時間って所?」
という事は、恐らく今は二十二時、二十三時辺りだろうか。
「そんなもんか」
レインはそう言って、空の上で納得する。
「……あの時」
少し間があってからナギはそう言って、彼女はまた言葉を切った。腕への力の入り方や、落ち着き無く動く細い足から、何やらモジモジしているようだとレインは察する。
「……チューしたでしょ」
ナギにそう言われた途端、レインは彼女を海から引き上げた時の事を鮮明に、嫌味なほど事細かに思い出した。
酸素が足りず、重く沈んでいく彼女の身体を浮かび上がらせるために、唇を重ね、肺に空気を送り込んだ。
それは、紛れも無い事実だった。
「……してないです」
レインは妙な方向に曲がった口から、上ずった声を上げる。発せられたバレバレのその嘘は、ほぼ認めているようなものだったが。
「むぅ……」
ナギは彼の身体をさらに強く抱きかかえると、脚部ブースターを点火させ、身体を右へ高速回転させた。
レインの垂れ下がった足が前に浮き上がり、慣性が彼の身体を宙に放り出そうとする。
「した! した! した! した! やったよ! 悪かったって!」
レインは自身に回された腕を必死で掴み、情けなく釈明の声を張り上げた。
やがて回転は止まり、彼の三半規管が平衡感覚の異常を訴え、視界がグラグラと揺れた。
「いや……アレはその……ほら……」
惨めったらしく言い訳を述べようとする彼の身体を、突然の浮遊感が襲った。
「え?」
反射的に下を見る。
ナギの腕はそこに無く、眼下に広がる海原が良く見えた。
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