第5話 誰かが呼ぶ声
陽奈の友達、亜美さんの気遣いにより二人きりになれた俺たちは、ベンチに横並びに座り、持ってきた昼ごはんを口に運ぶ。
お互いどちらから話そうかと探り合っていたが、その空気に耐えきれなくなったので俺から話を始めた。
「陽奈、まず最初にはっきりしておきたい。君も、前の人生の記憶は持ってるんだろ?」
俺のこの問いに、どこか諦めたような表情で彼女は答えた。
「持ってるよ。死ぬ瞬間まではっきり覚えてる。……織田くんもやっぱり持ってたんだね」
最後に浮かべた彼女の残念そうな表情。それを見た瞬間『あぁ、やっぱり嫌われてたんだな』と疑念が確信にさらに近づいた。辛い。
しかし、聞かずに後悔するのはもっと辛い。疑念程度で諦められるほど軽い気持ちではないのだ。
「陽奈、これは忖度なしではっきりと答えて欲しい。君は俺のこと……嫌いか? もう付き合いたくないって思うか?」
「……ッ! それは……(どうしよう、なんて答えよう? 私はまだこの人のことを好きではいる。だが、それ以上に死にたくない。ただそれを正直に伝えても心に嫌な気持ちは残るだろうし、だったら私への思いを完全に断ち切ってもらった方が彼のためになる……)」
陽奈は返答に困ったように顔をしかめ、小さく声を唸らせた。
俺は彼女の返答を黙って待ち続ける。相手の目の前で自分の本心を語るなど、難しいことだからだ。
しかもそれが『嫌い』というものであるなら尚更だ。
そして二分ほど経った頃、彼女はようやく意を決したように頷き、こちらに向き直った。そしてーー
「ごめんなさい。私はもうあなたと付き合いたくないの。だって……力はないし、気が弱いし、私とのデート中に道端のおばあさん助けに行っちゃうでしょ? 私はずっとモヤモヤしてたの。だから……あなたのことは好きじゃなかった」
若干潤んだ目でこちらを真剣に捉える陽奈。弁当箱を掴む手は小刻みに震えていた。
あなたのことは好きじゃない、そんな言葉は普通本人目の前にしたら言えないだろう。それを陽奈は覚悟を決めて告げてくれた。
しかしおばあさんを助けに行ったのは嫌だったのか。一緒に最後まで手伝ってくれたから、マイナス感情は感じてないと勝手に思っていた。
先ほど陽奈があげた嫌なところ、ここを直せば良いのだろうか? そう口に出しそうになったが、やめた。それで復縁できたところで、それは俺ではないからだ。
覚悟を決め、言いたくなかったであろう言葉を口にしてくれた陽奈。彼女に俺ができることは、別れることである。
俺は別れに言葉と、自身の気持ちを言葉にした。
「正直に話してくれてありがとう。これじゃあもう復縁はないね。陽奈の正直な気持ちが聞けて、辛いけど、よかったよ。これで嫌いな奴と一緒にいないで済む」
「……そうだね。(なんだろう、これでいいはずなのに、心が痛む。嘘だよって口が動きそうだ)」
俺は弁当に蓋をし、ベンチから立ち上がった。そして、陽奈に対する最後の言葉を告げるのだ。
「陽奈、こんなこと言うのは迷惑かもしれないけど……俺はまだ君を……死んでも君をーー」
「ーーいやっ! やめて!!」
最後の言葉を告げるまさにその瞬間であった。少し離れた場所から女性の叫び声が聞こえた。大きくはあるがそこまで響く声ではない。『やめて」』いう言葉から察するに、その女性は何者かに襲われている可能性が高い。
気づいた時、俺の足はその声の方向に進んでいた。陽奈に対して自分の思いをまだ伝えていない。
しかし、別れの言葉よりも、今危険に晒されているかもしれない彼女を優先すべきだと思った。恐らくこうやって他人を優先してしまうところが、彼女の言う嫌いなところなのだろう。仮にもう一度付き合えたとしても、俺はおばあさんを助けにいくと思う。
「俺行くわ。ごめん」
俺は踵を翻し、声の方向へと足を走らせる。後ろは振り返らなかった。
また私を蔑ろにして! って怒ってるんだろうな。自分から話しかけといて、置いてけぼりにしてんだから当然だ。
「はは、そりゃ嫌われるな」
自身を軽く嘲笑した俺は、未練を断ち切るように速度を上げるのだった。
✳︎
一人残された雛木は、突然のことに動揺し、しばらく呆然としていた。そして織田の姿が物陰に消えた時、彼女はようやく心を落ち着かせることができた。
徐に髪の毛を触り、小さくため息を吐く。そしてスカートからハンカチを取り出し、ベンチから体を離し立ち上がった。
「ほんと、織田くんは変わらないなぁ。……いや、織田くん
小さく呟いた一言を呟いた彼女の口元は、わずかだが緩みを見せていた。
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