地球が静止す(とま)る、その前に

小坂みかん

 

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 

 ──僕は、この光景を何度繰り返し見たであろうか?

 何千? 何万? ……もう、それすらも覚えていない。ただ、確かなことと言えば、昨日まで十六歳だった僕が一夜にして老人と化したということだ。

 もちろん、僕にとっては<たった一夜>ではない。しかし、母からすれば、たったの一夜である。しかも、数日前には、齢四十過ぎの父が一夜にして老いさらばえた。母にとっては、とても不幸で悲劇的な数日となったことであろう。


 事の起こりは、父が自身の研究を完成させたところまで遡る。

 父の研究というのは時間逆行。いわゆる、タイムスリップというやつだ。父はに、タイムマシンの開発および実験に成功した。そのときにはすでに、地球滅亡のカウントダウンが始まっていた。

 各国政府や諸々の機関が「<地球が自転するのをやめ、星としての生命いのちを失う>のを食い止める方法はないのか」を必死に探っている中では、このタイムマシンは”ひとすじの光”のように見えたことであろう。父は各所から救世主として崇めたてられた。

 ほどなくして、父の発明したタイムマシンを利用して、地球の自転停止を阻止しようというプロジェクトが立ち上がった。我が国から”世界を救った英雄ヒーロー”を輩出したいという国々の衝突により、プロジェクト始動に至るまでは混迷を極めた。結局、タイムマシンの発明者である父がその英雄役に選ばれた。タイムマシンに万が一のことが生じた場合、何とかできるのが父だけだったからである。


 父に課せられたミッションは「地球が自転し続けるためには、どうしたらよいのか」を探ることだった。”過去の地球”から様々なデータを集積、分析、研究し、それにより地球に延命処置を施そうというわけである。──こうして、父はにようやく、過去へと旅立っていった。


 ……ここから先は、少々ややこしい話になる。なので、僕が「以上」と言うまで聞き飛ばしてもらって構わない。


 ***


 父の造ったタイムマシンは、腕時計のように身に着けることのできる”装置”と、僕の部屋ほどのサイズの”機械”がセットとなっているという代物だ。どんなシステムかというと、大きな機械で”行き先”をセットして、腕時計型の”装置”を身に着けている対象者を射出。一定時間が経過すると、”装置”が”機械”のある場所へと戻ろうと作用し、現代へと帰還する……という感じだ。

 父はA日の朝食後に過去へと旅立ち、夕方(A”)には帰還し、翌日(B日)を迎えるということを何度も繰り返した。もっと正確にいうならば「翌日(B日)を迎え、世界に変化がないのを確認したあとで”前日(A)の自分”が旅立った時間よりも少しあとの時間(A’)に逆行し、そこからさらに過去へと飛ぶ」ということをしていた。なお、射出と帰還はワンセットだ。だから、前日(A)に戻った父は一旦”装置”に刻まれた情報をリセットしてから過去(C)へと飛び、A日の夕方(A”)に戻り、B日を迎えるという手法をとっていた。

 この手法で時間逆行を繰り返していたら、A’に数多の父が顔を合わせることとなるような気もするのだが、父という”単一の存在”を起点に時間や時空が統合……上書きでもされるのか、パラドックスめいたものは起きたことがないという。

 ややこしいかもしれないが、つまるところ「A→C→A”→B→A’→C→A”→B→A’→C……」を途方もなく繰り返していたということである。

 しかも、どういう理屈かは分からないが、父の”生きている実時間”には存在する「A’」の部分が、僕や母には存在しない。だから、僕たち家族からすれば、ただの「A→A”→B」。たった二日間の出来事だ。

 しかし「B→A’→C」の部分を経験すればするだけ、父という存在の時間は進行する。しかも、父が過去で過ごせる時間は「朝食後から夕方まで」と同等の時間だった。そして、上書き効果が発生するのは、どうやら「A”」の部分に父が到達したときのようだった。


 ***


 ……「以上」だ。

 まあ、簡潔に述べると”今、ここにいる僕”のの記憶としては「今朝までオッサンだった父が、なんやかんやあって、夕方にはジイサンになっていた」である。もちろん、僕はとても驚いたし、母は涙で顔を濡らした。


 僕たちの感覚的には一瞬で年老いてしまった、しかしながら実際はその”一瞬”で二、三十年ほどの時間を過ごした父は、過去へフィールドワークしに行くのをやめた。しかし、それは、自身に課せられたミッションを諦めたからというわけではなかった。──次世代へと、ミッションを引き継がせることにしたのである。

 時間旅行を取りやめた父は、直ちにどこかへと連絡をとった。というのも、父はただ調査のためだけに過去へと逆行していただけではなく、過去の時間において協力者作りも行っていたらしい。どこぞへの連絡から数時間後、父は「過去で協力者との間に作ってきた”僕以外の子ども”」の資料をいくつか手にしていた。

 僕は飛び級で大学を卒業し、博士課程に進んでいた。自分で言うのもなんだが、とても優秀だったと思う。他の子どもたちも、同じく優秀だったようだ。そして、僕と”他の子どもたち”とを比べて一日悩んだ父は、一番適性があるのは僕であると判断し、僕にミッションを引き継いだ。母は、嗚咽を漏らした。


 、十六歳だった僕は、正直、馬鹿馬鹿しいとしか思っていなかった。何故なら、明日には「世界の終りまで、あと七日」なのだから。

 もしかしたら、タイムトラベルからの帰還の際に起こる”上書き効果”で、多少なりとも世界に変化はあったのかもしれない。でも、上書きされたことによって僕の記憶が改変されているだけかもしれないが、それでも、僕の体感としては「何も変化なし」。父が過ごした”数十年”が何かしらのバタフライ効果を生んでいるとは、到底感じられなかった。

 実際に何度かタイムトラベルをしてみても、その感想は変わらなかった。……だから僕は、求められていた「英雄としての行動」以外のことに幾ばくかの時間を割いた。

 父が”世界を変える”ことができなかったのだから、どうせ僕が救えるはずはない。そしてミッションを放棄して世界の終わりをただ待つにしても、あと七日しかない。ならば……僕には「地球が静止すとまる、その前」までにいくらでも時間が創れるのだから、それを利用して「年相応の時間とき」を過ごそう。地球が静止すとまる、その前に。ほんの少しだけ、青春というものを味わおう──と、そう思ったのだ。

 飛び級で大学院に進んでしまったため、僕には同い年の友だちはいなかった。もちろん、恋人もだ。部活動に勤しむという経験はもちろんできなかったし、授業をサボって遊びにいってみたりだとか、ファミレスで実りのない会話をダラダラとしてみたりということもしたことがない。論文作成用の資料を抱えて帰る道すがら、同い年くらいの高校生が楽しそうにそういうことをしているのを見かけるたびに、僕は少し羨ましく思ったものだった。勉強や研究は嫌いではなかったが、僕だって人並みに青春をしたかったのである。


 まず、僕は僕が生まれる少し前くらいの年代にタイムスリップすることにした。そうすれば、その時代の”僕”と出会うこともないし、うっかり家族と遭遇しても”未来の息子である”と気づかれることもないだろうと思ったからだ。そして、仮初でもいいから友人を作り、いっときの青春を味わいたいと思っていたので、タイムスリップの日時を毎回一日ずつズラして「あたかも、毎日にいるようになる」よう工作をした。

 最初の一週間ほどは、ただあてもなく街をブラブラとしていた。僕と同じくらいの年ごろの子は一体何をして過ごすのだろう、ということをリサーチするためだ。そのあとは、ゲームセンターに一週間ほど入り浸った。そこで、幾人かと友人と呼べるような関係を築くことができた。

 経験の差なのか学力の差なのかは分からないが、はじめのうちは何を話したらいいかも分からなかった。けれども、ゲームを通じてすぐに彼らと仲良くなることができたというわけである。

 僕はこの友人たちとファミレスに行き、どうしようもなくくだらない会話に時間を費やした。大きな街にくりだして、ナンパまがいなこともした。傍から見たらとても些末なことばかりだったと思うが、僕にとってはとても貴重な時間だった。──そして、僕は出会ってしまった。清香さやかという女の子と。


 清香とは、友人たちと街へ遊びに行った帰り道に、英単語帳に夢中の彼女とぶつかってしまったことで出会った。塾の時間に遅れそうだったのか、彼女は口早に謝罪の言葉を述べて去っていった。そのときにはもう、僕は彼女に恋していたのかもしれない。俗に言う、一目惚れというやつだ。

 それからというものの、僕は何とか彼女と仲良くなろうと必死になった。最初こそ怪しまれたものの、彼女は次第に僕と打ち解けてくれた。

 彼女はその名の通り、清廉な子だった。また、とても聡明だった。父や年上離れた学友たちと話すような内容でさえ、彼女とは話すことができたほどだ。しかしながら、年相応の可愛さもあった。そのギャップがまた、僕の心を惹きつけた。


 清香は学校と塾とで忙しい日々を送っていたから、一緒に過ごせる時間は日に一時間あるかないかくらいだった。ともに過ごせる時間が限られているだけに、僕は余計に彼女を愛しいと思うようになった。完全に、僕は彼女に夢中だった。

 いつしか、彼女も僕に対して、僕と同じように思ってくれるようになっていた。けれども、”清らかさ”を保ち続けることが僕たちにとってはベストな距離感に思えて、どうしても”友達以上”の一線を越えることはできなかった。


 愛しくて、貴重で、珠玉のような、かけがえのない”清香との日々”。それは次第に、僕にとって焦燥感を搔き立てるものとなった。

 僕がこの任務に就いたでは、清香は三十代後半に差し掛かっているはずだ。僕との出会いのあと、真っ当かつ順当な人生を清香が歩んだとすれば、彼女は結婚をし、子どもに恵まれ、幸せな生活を送っていることだろう。……そう思い至ったときに、僕は「何としてでも地球を救わねば」という気持ちになった。

 愛しい清香を、僕自身が幸せにできないのは仕方がない。本来の”生きる時代”が違うのだから。でも、僕がこのまま使命を投げ出して己の欲のみを求め続けたら、清香の輝かしい未来は途中で幕を閉じてしまう。清香を救いたければ、僕が頑張るしかないのだ。


 だからといって、彼女の目の前から突如消えるのも良くない気がした僕は、彼女に「もう会えない」と伝えることにした。

 夏休みに入っていたので、彼女は清楚なワンピースに麦わら帽子という出で立ちだった。麦わらに揚羽蝶が止まり、彼女は無邪気に笑っていた。


「地球が静止すとまる、その前に。君に出会えたことが、僕にとっては一番の奇跡であり、幸せだったよ」

「急に、どうしたの? 今日のあなたは、いつになく詩的ね」


 彼女は柔和な笑みを浮かべ続けていた。しかし、このあとすぐに僕が別れの言葉を述べたので、彼女の笑顔は揚羽蝶とともに飛び去ってしまった。こうして、僕たちの関係は終わった。


 僕は父から任務を引き継いだ際に、膨大なデータの山と「研究・分析についてのマニュアル」、「”実際に過ごした時間”を綿密にデータとして残し、そこから”今、自分が何歳なのか”を割り出すこと」「何歳になったら、どこの誰に連絡をとり、どういうことをすべきか」などの指示をもらっていた。

 父が何千、何万回とタイムスリップをし、僕がこれだけ時間の浪費をしても、父からの”遺産”に変化はなかった。だから、僕は最初に「何をどうしようが、未来は変えられないのだ」と思い、絶望し、自分勝手に行動してしまった。だが、それは裏を返せば「未来は変えられる」という証明でもあった。何故なら、それらはし続けても、消滅することなく残ることができたのだから。そのくらいには”未来を変える力”があるということなのだ。

 さしたることだと思っていたものが実は可能性を大いに秘めていると気づけたのは大きな成果だった。そして「何度タイムスリップを繰り返しても、清香はきちんと僕を覚えていた」という奇跡的な事実も、僕の心の支えとなった。……僕が年老いてこの世を去っても、美しい彼女の中で僕は生き続けることがきっとできるだろう。そのように思えば、永い研究の日々も耐えることができた。


 計算上で二十代後半くらいになったころ、僕は過去へと旅立つたびに”父が遺した協力機関”に連絡を入れることが日課となった。もしも僕が地球滅亡を阻止できなかった場合、僕のあとを継いで研究する者を用意しなければならなかったからだ。

 父が密かに作っていた”僕の兄弟”の中から選出してもよかったのだが、彼ら以上に優秀な人材が生まれる可能性がある。だから、僕はどうしても種を残さねばならなかった。

 僕が逆行を繰り返し、で定年を迎えるほど年を重ねたころに、僕がこの使命を与えられたときと同じ年齢の子どもたちが集まるようにセッティングしなければならなかったのが、少し罪悪感というか、奇妙な気持ちにさせられた。このタスクを行っている過去いまは、ちょうど清香と青春を過ごした時代でもあったからだ。

 彼女はいま、出会ったころとさほど変わらぬ年齢だろうに、僕はすでに青年となっており、そして見知らぬ女性との間に子を成そうとしているだなんて。よもや、である。

 清香以上に興味を覚える女性はいなかったし、関係を持ちたいと思える女性とも巡り合えなかった僕は、協力機関に精子を提供することでこのタスクを終了させた。


 その後も、僕は父から引き継いだ任務と研究に没頭した。たとえば、父がタイムマシンの技術を活かした瞬間移動装置の研究を過去時代でひっそりと始めてくれていたので、それを僕が完成させた。おかげで”朝から、夕方まで”という限りある活動時間の中でも、地球上のあらゆる場所でデータの収集ができるようになった。


 あらゆる過去へ赴き、あらゆる場所で調査をし、父から引き継いだデータも含めた”今までの研究・分析結果”を各機関に提出して「あと七日」のアナウンスが流れるテレビを見る日々を何千回も繰り返して。自分よりも年老いてしまった我が子を見てすすり泣く母の手を振り払って過去へと逆行する日々を何万回も繰り返して。それでも、僕が定年を迎えるまでに地球滅亡を阻止することができなくて。

 父と僕が突如として同世代の老人となってしまったことに母が絶望を覚えたころ、僕は引退して後継者を選ぶことを決めた。


 父も僕も、散々母になじられた。親不孝だ、子不幸だと罵られたが、まだそこそこに若い母を残して父子揃って年老いてしまったのだから、返す言葉もなかった。だが、僕は母が思っている以上に親不孝者だと思う。何故なら、母よりも清香に対して「こんなになっても、地球を救えずに申し訳ない」と思っていたのだから。


 精神状態が限界の母を支援者に任せて、僕は父とともに後継者リストを取り寄せ、誰が使命を継ぐに相応しいかを議論した。


 翌朝、テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと六日になりました」と言った。長い年月をかけて、初めて「あと六日」という言葉を耳にした。これでとうとう、僕は後継者に任務を引きつぐこととなるということだ。それから少しして、後継者が僕のもとへとやってきた。


 今までの経緯を説明し、各装置の使い方を伝授し、父から受け継いだデータに僕が収集したデータを追加したものを後継者へと受け渡した。

 後継者のタイムトラベルの準備が整って、これから早速過去に旅立つというタイミングで電話が鳴った。協力関係にある研究所のうちのひとつからの連絡で、僕は何の気なしに電話に出た。どうせ、三代目の旅立ちにより世界が救われることを祈るための電話だと思ったからだ。しかし──


「もしもし、正志さんですか?」


 受話器から聞こえた声が脳に響いた瞬間、僕は視界いっぱいに蝶が舞う幻覚を見た。


「地球が静止すとまるその日まで、あなたが諦めないでいてくれたから。私は地球を救うことができました」


「ああ、まさか。そんな……。本当に?」


「ええ、本当です。もう少ししたら、正式にニュースが流れます。それよりも先に、あなたに報告をしようと思って」


「君は聡明だと思っていたけれど、まさか、そんな……」


「バタフライ効果は、たしかにあったのよ。私の麦わら帽子から揚羽蝶が飛び立った瞬間から、現在いまにかけて」


 効果が出るまでに時間がかかりすぎたけれども、と言って清香は申し訳なさそうに笑った。

 清香が言うには、僕との別れがあったあと、彼女は自分の使命について知らされたという。彼女は父が過去で協力者との間にもうけた子のうちのひとりで、未来を変えるための協力者として研究職に就くか、優秀な男性と結婚して”時間旅行の後継者候補”を産むかの選択を迫られたそうだ。その際に、僕のことについても知ったのだとか。


「あなたとの思い出があったから。あなたが頑張ってくれていると知ったから。だから、私も研究者の道を歩んで、頑張ることができたのよ。……あなたと再会して、あなたと一緒に未来を生きたかったから」


 僕たちは、別れてからだいぶ時が経ってしまっていた。年齢も、とてもかけ離れてしまっている。さらには、他人と信じて疑わなかったのに、実は血が繋がっていた。とても、夫婦にはなれない。

 しかし、愛しさは色褪せることなく。思いは途絶えることなく。ともに、同じ未来を見つめて日々を過ごしていた。つまり、変わってしまったものと同じくらい、変わらないものも存在していたのだ。きっと、その”変化”と”不変”の両方が揃ってようやく”蝶の両羽”となり、地球滅亡阻止という奇跡が起きたのだろう。


 数えきれないほど聞いた、絶望的な「世界の終わりまで、あと七日」。結局何もできなかったと思いながら聞いた、初めての「あと六日」。しかし、それらはもう、あの日の揚羽蝶とともに飛び去ったのだ。

 ここから、僕の輝かしい未来がやっと始まる。──新たに兄妹かぞくとなった、愛しい彼女と一緒ともに歩ける未来が。

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