第16話 シュート・ザ・ヘヴン
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世界で最も深いダンジョン地下20階。魔王の娘のプライベート空間として改装されたそこは魔法の照明で明るく彩られ、品の良い家具と本棚に収められた沢山の本、そして幾らかの武具が飾られている。魔王が勇者を迎え撃つ広間はもう少し上の階層にあり、ここは言わば私室だった。
魔王の娘は休憩している最中であり、魔法で映し出されたダンジョン全域の様子を分割で見ながら白く濁った湯に浸かりくつろいでいる。何かと多忙でストレスも多い現在の魔王軍トップである娘にとって入浴をしながらダンジョンの様子を確認することができ、更に部下からの通信に対応することも出来る素敵空間だった。大悪魔バニルに提示されたリフォームプランは予算範囲内で十分に良く出来ていた。
『ふらっかり、帰還致しました。不意打ちのつもりでしたがサトウカズマはこれを察知。我が隊は周囲を冒険者に囲まれ、配下は全員捕縛されました』
「そうですか。いつも卑劣な不意打ちで、こちらの幹部の足元を掬っただけの小兵かと思っておりましたが、どこから情報が漏れたのでしょう」
『調査中ですが、我が軍の内通を疑うよりは紅魔の里の占いの可能性が高いかと』
「必中の占いとは厄介ですね。となれば次の手が必要でしょうか。食べてばかりのあのちびっこを死なない程度に痛めつけ、耳など捥いで送り付けて差し上げるのはどうかしら」
『それは……デルメン様にもお伺いを立てた方が宜しいかと』
「そうですね、私はついついやり過ぎてしまいます。反省しなければいけませんね。湯あみを終えたらデル爺に次の作戦を相談することにします。ちびっこにはお茶とお菓子を。最後のおやつになるかも知れませんが、うふふふ」
『はっ!』
作戦の失敗報告に眉を顰めつつも部下の能力もターゲットの強かさも理解しており、当たり散らしたりせずに次の手へと意識を切り替えている魔王の娘。かつて紅魔の里を襲撃し、一時的にでも制圧した統率者としての器は確かだ。
「ふぅ、思ったより骨のあるお方ですのねサトウカズマさん。ですが、その幸運はいつまで続くのでしょうか。我が魔王軍も弱体を極め、以前のような大規模な侵攻作戦はできませんがゲリラ戦ならお手の物……これから先も襲撃と暗殺の恐怖に怯えなさいな。卑怯者にはそれが似合いの末路でしょうから」
父の仇である人間の男に対し、怒りを隠そうともしない魔王の娘。白く濁った湯に指を通し、誰にともなく呟いた。
「今はミルクの入浴剤も節約しながらしか使えませんが、作戦成功の暁には人間の少女を絞った血液でこの浴槽を満たしましょう。ああ、楽しみですわ」
湯を弄びながらくつろいでいた魔王の娘が室内の異変を感じ取ったのはその時だった。魔力の揺らぎ、これはテレポート。何者かがこの地下20階にテレポートで入り込んだ。いや、正しくはテレポート以外では出入りできない作りなのだ。ここへと出入りする通路は本当に存在せず、空気の浄化は魔道具で行っている。この空間への出入りには魔王の娘自身さえもがテレポートを使わなければならない。プライベートの安全を担保する為に貴重なテレポートの登録先を使っているのだ。
「ッ! どなたです!?」
何の気配もない。だからこそ魔王の娘は警戒する。気のせいかなんて油断はしない。侵入者は気配を消せる手練れだと、油断することなく気を引き締める。何も身に着けておらず肌も露に白濁した雫を滴らせながら立ち上がり、その全身から黒い霧を吹き出し始める。それこそは魔王の特殊能力、配下のモンスターを強化する黒い霧。霧はまるでドレスのように魔王の娘の裸身を覆い、魔王の娘は全身の感覚を研ぎ澄まして周囲の状況を確認する。と、そこへごく微かな声で詠唱が聞こえた。
その内容には覚えがある、魔王軍幹部ウォルバクが得意としていたもの。そして、今まさに戦力として従えたい復讐相手の用いる魔法の詠唱に違いなかった。詠唱を完成されてしまえば爆裂魔法に抗う術は殆どない。テレポートで逃げるか詠唱完成前に応戦するか。魔王の娘は後者を選んだ、いや、選ばざるを得なかった。元来好戦的な性格ではあるのだがリフォームしたばかりの拠点を破壊されたら資金面で窮地に陥ってしまう。
「『潜伏』と『爆裂魔法』を合わせるとは脅威ですが、そこですねっ!!」
悪魔の速度で躍りかかるが、詠唱の聞こえてくる地点を薙いだ鋭い爪。けれども詠唱の主は寸前で極度に圧縮していた魔力を別の物へと切り替えた。爆裂魔法はネタ魔法だが、世界最強の破壊力。魔王の娘すらもその詠唱に焦り、その動きを読み易い直線にさせられていた。かくして詠唱の主であったカズマが放ったバインドは魔王の娘を正面から捕らえたのだ。
「『バインド』ッ!」
「くっ、あれほどの魔力をバインドに……あ、熱いっ!? きゃああああ!?」
「今日のロープは女神の髪の毛を編み込んだ特別製だ! どーも、サトウカズマです。魔王の娘、お前は本気で俺を怒らせた! 先ずはたらふく飲んどけ『クリエイトウォーター』!」
「きゃっ、んくっ、んうううー」
「でもって『フリーズ』!!」
かつてバニルに譲り受け義賊行為をする時の仮面をつけた本気のカズマ。それは魔剣使いミツルギを瞬殺した窒息コンボ。魔王の娘は体内を巡る灼熱と鋭い咬筋力で氷を砕いたが女神の髪の毛入りロープによるバインドと、間髪入れずに放たれたドレインタッチを受けて急速に力を奪われている。
「テレポート以外に出入り不可能の快適空間を作りたい気持ちも分かるけど、こういう事態じゃ、仲間も助けに来られないんじゃないか?」
「はぁ、はぁ、何たる無礼、何たる卑劣! 貴方が父を! 優しかった父をよくも! んくうううううーっ!!」
女神の髪を編み込んである特別性ではあるが、強度的には上質のロープ程度のバインドは魔王の娘の力でバリバリと千切れて行きカズマのドレインタッチにも焦りが見える。ご老体だった魔王よりも、肉体的に全盛期の魔王の娘の方が絶対に強い。
会社の老社長が社内で一番偉いとしても身体の強さで最強ではないというようなものだ。真正面から戦ったなら、戦力比率ではカズマが叶う相手ではない。だが、この空間に乗り込んで来たのはカズマ一人だ。
「ふ、ふふふ、カズマさん、覚えておいでなさい。拘束が解けたら貴方を考え得る最悪の拷問にかけた後で石像に変えて差し上げます。貴方は愛する者の手によって世界が滅ぼされる様を、死ぬことも出来ない無力を噛み締めながら眺めることになるのです」
「折角美人の誘いだがお断りだ! このまま魔力を吸い尽くしてやるぜ!」
悪魔の体を焼く女神の髪入りロープとドレインタッチ。そこから逃すまいとするカズマと、渾身の力で戒めを解こうとする魔王の娘。意地と力で押し合う両者の背後から、岩が枯れたような老爺の声が響いたのはそんな拮抗の最中、もう一つのテレポートの揺らぎが地下二十階に波紋を広げた。現れたのは魔王の娘の知恵袋にして知恵も実力も折り紙付きのダークウイザード。魔王の娘本人を除き、唯一この空間へのテレポートを許された者が異変を察知して飛び込んで来たのだ。
「姫様! 何事で御座いましょうか!?」
「って、来てんじゃねーか仲間」
「デル爺! 曲者です! サトウカズマです!」
「よもや! 姫様の私室に土足で踏み入るとは許せぬ!
『カースドペトリファ』……」
「なんてな! 『テレポート』ッ!」
テレポートの発動は相手に抵抗されると成立しない場合が多い。だが、カズマはドレインタッチで揺さぶりをかけ女神印の特別なロープで弱体化させつつバインドの拘束を解こうと力ませることで意識を逸らし、相手が援軍により勝利を確信した一瞬の緩みを突くことでステータス差の溝を埋めテレポートを成立させた。
魔王の娘とて、父がやられた手は調べてあり装備品でのテレポート対策はしていた。だが、入浴中であったことが災いしてそれらは手元に無く、魔王の娘はカズマともども、薄暗がりの中へと投げ出されたのだ。突入作戦の立案、そして相手にとって最悪なタイミングの割り出しには紅魔の里の凄腕占い師の助言があった。
「くっ、よくも! この私まで謀るなんて!」
「仲間が来たのが却ってアダになっちまったな! 魔法抵抗の綱引きは力だけじゃあないんだ、ぐえぇぇ」
だが、次の瞬間には拘束を逃れた魔王の娘の手がカズマの首を捉え、人間離れした力で締め上げてきている。支援魔法は受けてきたがそれでも首の骨が軋む音が鈍く響いた。
「あ、がっ」
「ええ、負けました。騙し合いは私の負けで結構ですわカズマさん。貴方は強い。幹部の皆さん、そして父さえも貴方のパーティーに敗れたのは誰もが貴方を見縊っていたのでしょう。皆さんの警戒や戦術戦略の心構えを超えて、そうさせるだけの能力が貴方にはあったと言う事です。十分に評価していたつもりでしたが私も貴方を見誤っておりました。貴方を生かしておくことが作戦進行の障害になるのを理解致しました。人質ではなく、ゾンビになって爆裂魔法のお嬢さんと再会すると良いでしょう。その上で、食べてばかりのちびっこを人質にさせて頂きますね『ライトニング』!」
「がああああっ」
「あらあら、頑丈ですわねぇぇ? 良い支援魔法がかかっていらっしゃるのかしら『ライトニング』! スキに成り得る大技は使いません『ライトニング』! このまま動きを封じて痛めつけ『ライトニング』! 貴方の神経と筋線維をズタズタに焼いてからその首を捻じ切って差し上げましょう『ライトニング』! 支援魔法が解けるのと貴方の最期、どちらが先に来るかしら?」
「こほん。お取り込み中、失礼。ええと、魔王の娘さん?」
「あら、お仲間がいらしたの? え、貴女、は? 何故ここに? こ、ここは、どこなのです!? ここはどこなのですかサトウカズマ!?」
「へ、へへ、すんませんエリス様。こいつ、お願いします……」
ライトニングの連発を受けてすでに指一本動かせないカズマ。全身の神経と筋肉は焼かれ、仮面の向こうでは眼球が片方破裂し一筋の赤が頬を伝う。口から蒸気した血を煙のように立ち昇らせているが、それでもまだ息はある。そんなカズマを確実に亡き者にせんとしていたはずの魔王の娘は目の前に立つ存在に慄いていた。
立ちはだかるは女神エリス。悪魔の天敵、天界の勢力、この世界の担当女神。それも女神が下天してくる時の能力的制約のある仮初めの物ではなく正真正銘の全力全開。片手にメリケンサックを嵌め、もう片方にはトゲトゲのついた鈍器を携えて貼り付けたような笑みで立っている。
「待って待って、私にもやらせなさいよエリス。水の女神のフルパワーを見せてやれる時が来たようだから最後にちょこっとじゃなく、沢山ボコってMVPね!」
並び立つのは日本担当、水の女神アクア。強大な力を持つ水の女神が、こちらも制約なしの全力全開。女神にあるまじき邪悪な笑みで握った拳をくりくりと撫で合わせている。多分、ゴキゴキ鳴らしたいのだろうが、それはさておき女神の力は本物だ。
「ええ、それじゃあ行きましょうアクア先輩!」
「行くわよエリス!」
「あ、あ、あああ……助けて、お父さま……どうか、どうか私をお守りください。残虐なる女神の手から私の魂をお救い下さい」
「「悪魔は吊るせええええええええーっ!!」」
「いやああぁぁああぁぁっぁああぁぁぁーっ!?」
気炎を上げる女神の声と魔王の娘の悲痛な声は魂座す死後の間に、それから先のかなり長い時間、響き続けていた。
◆
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