第12話 転落
けれども、唇に触れた柔らかな感触の次に俺が認識できたのは、フワッと何の前触れもなく宙へと投げ出されたような感覚だった。渦巻く光、登っていくような落ちていくような手がかりも足掛かりもない空間、進んでいるのか、戻っているのか全ての感覚が信用できない。ありとあらゆる光が俺の後ろへと流れ、目の前が虹色に染まり、青になり、藍になり、紫色と闇色とを混ぜ束ねた壁になる。
爆炎の記憶、守れなかった後悔、苦渋塗れの死、生と死の狭間に放った渾身のスティール。記憶の断片は踊る様に俺を囲み、渦となり、構築の時を待っている。俺の意識はまばゆい光の向こう側へと突き抜け、漆黒の闇を潜り抜ける。闇の底が世界を貫き、砕き割った。
「……っ!? 何だ!? 今一体何が起きたんだ!? めぐみん!? ここは紅魔の里じゃ無いのか!?」
意識はハッキリしているのに混乱を感じる。心臓がズキズキと痛み、頭は答えに結実しない思考で煮え滾っている。腕の中に抱き締めていたはずのめぐみんがいない。ただ、めぐみんに渡したはずの指輪が、ややくすんだ色合いで俺の手の中にある。なにも無い、なにも無いのだ、それ以外、服すらないどころではない、俺の体は半透明に透けており淡く輝いているようだ。
「カズマさん、落ち着いてください。どうか話を聞いて下さい」
「エリス様!? 俺は死んだんですか!?」
「死んだのも確かですが、それだけではありません。貴方に何が起こったのか思い出せますか?」
テレポートした覚えはない、なのに俺はエリス様の傍に居る。思い出す? 何を? 俺に何が起こった? 思い出せ、俺は何をした? 紅魔の里でめぐみんに指輪を渡して、キスをして、占いの人が編集した魔王討伐の映像を皆で見て、凄く盛り上がって、結婚を報告した。深夜にはめぐみんと二人きり、最高の一夜と夢のように幸福な朝。そして、俺達はアクセルに戻り、めぐみん安静明け一発目の爆裂散歩をして、いて……。
「う、あ、ああああ」
思い出してはいない。まだ、全ては思い出していないが俺の手はガタガタと震えている。苦痛、恐怖、怒り、溢れるまま纏まらない記憶に俺の意識が真っ赤に染まる。そうだ、俺は! 俺達は! 襲撃を受けて捕らえられた! めぐみんが爆裂魔法を撃った直後、魔王軍の残党に襲われた……!
「———ッ!!」
「思い出したようですね。カズマさんとめぐみんさんは襲撃を受け、囚われの身となりました。そして、めぐみんさんはカズマさんの命を質に取られて抗えないまま魔王の娘から『決して裏切れない呪い』を掛けられたのです」
「何だってんだよこれ!? これは悪い夢なのか!? そうだ、帰らなきゃ、俺は今夜めぐみんと結婚するんだ! 何でこんな所で悪夢なんて見なけりゃいけないんだよ!?」
「落ち着きなさい! 魔王を倒した者がその残党に復讐された。そんな当然が起こっただけです。生かしたまま彼女を苦しめると言う魔王の娘の復讐は貴方の死を以て完遂され、不要となっためぐみんさんもじきに命を奪われるでしょう」
思い出した。石にされて動けないまま俺はそれを間近で見させられた。めぐみんの爆裂魔法で紅魔の里は灰塵に沈み、凶行を止めようとしたダクネスも爆裂魔法で瀕死の重傷を負い満身創痍の所を魔王の娘に首を刎ねられた。
爆裂魔法はどんな存在にもダメージを与えられる魔法。その威力の前にはアクアでも耐えられずに天界へと送り返され、アクシズ教徒が皆殺しにされた事によってあの世界への干渉が不可能になった。
王都の襲撃で勇者の血筋は絶え、アクセルの街も、アルカンレティアもエルロードも全部、全部。大切な人も、想い出の場所も、半年余りの間に爆裂魔法で消し飛ばした。俺達を捕らえた魔王の娘は苦しむあいつをあざ笑い、俺は助けることが出来なかった。たった一人で、苦しませ続けた。俺が、俺があいつの枷になっていた。
「人類の敗北です。ただ一つの希望を除いては」
「希望なんて、もうどこにも……どこにも無いじゃないですか! 仮にあるとしても、今度こそどこかの勇者に任せて下さいよ! 俺は仲間と一緒に面白おかしく暮らしたいだけなんです! めぐみんに、誰よりも仲間想いで義理堅いめぐみんにあんな真似をさせちまうなんて! 生前ニートで親に迷惑かけてたからって、これ以上の罰なんてもう十分でしょう! 俺はもうエンディング後なんだ!! もう、もういい加減! 幸せに暮らしたっていいじゃないかよおおおおお!!」
パァン、と鋭い痛みが俺の頬を打ち抜いた。それはエリス様が初めて見せた有無を言わさない厳しい表情。音と痛みはビンタで頬を張られたのだと俺は気付いた。全身透けてあやふやな中で、その痛みだけが真実だった。
「下界では、めぐみんさんが絞首台の階段を上っている所です。貴方が死んだ瞬間に彼女を縛っていた強制の呪いは解除されましたが自らの手で誰も彼もを殺めた彼女はもう抵抗する気力を残していません。それでも貴方は、そのまま自分が不幸だと喚き散らしているつもりですか!? めぐみんさんを守るのではないのですか!?」
「……っ!」
救いのない記憶に翻弄されながらも俺はエリス様の真剣さから目を逸らせない。陰惨な復讐の標的にされ、生きることに絶望したあいつを放っておくのかと、俺自身の苦痛や後悔なんかより何倍も苦しんできたあいつを見捨てるのかと、痛みの上に重ねる痛みで突き付けられた。冗談キツイですよエリス様。俺があいつを放っておくわけがないじゃないですか
「辛い思いをしたばかりなのにごめんなさい。アクア先輩が地上にいない為、リザレクションは不可能。けれど希望はあります! あなたが殺される寸前、魔王の娘からスティールしたその指輪です!」
そうだ、俺は爆炎に呑まれる寸前、魔力も体力も命までも振り絞ったスティールを魔王の娘に食らわせた。最後の悪あがきで盗んだもの、それは……。
「この指輪、もしかして……」
「そう、前にアクア先輩に浄化を頼まれた神器。あれの対となる指輪です。キーワードは『時よ止まれ、お前は美しい』。そして、対象者に口づけする事で発動します。日本風に分かり易く言えばバックアップの復元ポイントを作り出すのです。本来の所有者であれば月に一度ずつ使えたチート能力ですが所有者でないあなたに許されるのはただ一度だけ。たった一度だけですが、それが最後の希望です! 願って下さい、自らの意思であの瞬間に戻ると! そして、どうかこの世界を救って下さい! 対となる指輪による時間遡航発動の為のキーワードは……」
へ、へへ、へへへ。
突然過ぎて頭がついていかないんですが、しょうがねえなああああ!
唱えてやる、戻ってやる、最後の希望? 上等だ! 全責任は俺が取る!
「対となる指輪よ力を示せ! 『この素晴らしい世界に、祝福を』!!」
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