第7話 恋とスマキと月明かり
夜、俺とめぐみんは二階の奥の部屋を長期滞在用の一室として借り受けたんだが、部屋の中央では今、敷くはずだった布団を利用したバインドでスマキと化しためぐみんを顔だけ出して縦置きにしている。丸め込まれる前にやる気満々で抵抗してきたが、焼けつくような魔力を抜く意味も含めてドレインタッチを食らわせてある。真の男女平等主義者である俺は必要とあらば恋人だろうと容赦はしない。
「カズマ、カズマ。ふざけたことは謝りますから、そろそろこれ外しませんか?」
「いーや、許さん。これからお前を髪とか頬とか撫でまくりの刑に処す」
「ほほう。体調不良な女子の自由を奪い欲望の赴くままに弄ぼうと言うのですか」
「その通りだ、いつものように寸前でヘタレるカズマさんだと思うなよ」
「でしたら色んなキスの刑とでもしておけば
少しは私がしおらしくなるかもしれませんのに。意気地がない男ですねえ」
「てめ、スマキにされてんのに余裕だな」
「誰かさんのパーティーで散々カエルに吞まれましたから、このスマキとやらは程よい締め付けと温かさでむしろ落ち着きます」
こいつ、想定外の土壇場本番でさえなければ、こういう胆力は俺たちの誰よりもあるんだよな。いやだが俺の優位は揺るがないはず。お手並み拝見、興味津々とでも言わんばかりに俺を見つめてくるめぐみん。視線に負けじと俺はじっと見つめ返しながら右手でめぐみんの頬に触れる。が、嫌がるでも驚くでもなく「いいですね、次はどうするんですか」とでも言わんばかりに自分から頬を寄せてくるんだこいつ。普段よりはるかに熱く火照った体と手の平に伝え返される柔らかな力で俺の方がくらりとしてしまう。畜生、可愛い!
ムカついたので軽めに鼻をつまんでやれば「ふあっ」とか言うし、ほっぺをつまんでむにむにしてやれば「いひゃい」とか言うし、瞼に沿って指を這わせれば気持ちよさそうに目を閉じてじっとしているし、恐る恐るを気付かれないように唇をなぞった時には上目遣いに「指で良いんですか?」とでも言わんばかりの視線を送ってくる。畜生、ゆんゆんの台詞じゃないが、めぐみんはずるい!
「ふふっ、隙ありです」
あまつさえ俺の手の平にちろりと舌を這わせてくるという不意打ちにびびった俺は思わず一歩下がって自分の手を胸元に庇ってしまった。驚き目を見開いている俺の顔は、きっと真っ赤になっている。
「髪も触ってくれませんか? 指の間に通す感じで」
「お、おう」
サラサラの黒髪に指を通す感触と洗って間もない髪の香りにくらくらする。あれ? 俺がこいつを処刑している筈が、完全に手玉に取られているんですが、その感触の心地よさと鼻よりも深いところをくすぐってくる微香に抗えません。
「カズマの手は心地良いですね。いつもは温かいと思いますが今日はひんやり涼しく感じます」
小首を傾げて俺の手にその重みを預けてくるめぐみん。不敵で余裕なその態度、本当に俺より年下なのだろうか。毒気を抜かれた俺は触れているこいつの体が未だに異様な熱さを帯びていることを再確認し、刑の方針を少しだけ変えた。
ハンカチを手に取り『クリエイトウォーター』と『フリーズ』をそれぞれ弱めに。ひんやりと湿らせたそれでもって、熾火の籠るその顔を拭いてやる。心地良いのか静かにしているめぐみんと俺との間に無言の時がしばし流れ、効果時間の終わったスマキバインドが解けて、ふっと空中に投げ出される華奢な体を受け止める。こいつの重みも、倒れる時の重心も、一番負担の掛からない支え方も、俺は全部知っているんだ。
「きょ、今日の所は体も本調子じゃないだろうしな。この位で勘弁してやる」
「そうですか。もう寝ますか? それとも何か希望があるなら私が聞かせて貰いますが」
「カズマさんのカズマさんがしもやけでヒールしたけど痛痒いんだよ。それに具合の悪いめぐみんに無理して頑張って貰っても心配でそれ所じゃねーし、今日の所はこの冷たいハンカチで気持ち良くしてやるから、ゆっくり休め」
「ふふっ、やっぱりカズマは優しいです」
俺はめぐみんを布団に横たえて自分も隣に、そうして、めぐみんの額に乗せたハンカチを時々フリーズで冷やし直しながらいつしかウトウトと眠りに就いた。
◆
その日の深夜、めぐみんはふと目を覚ました。寝つきは良い方なのだが、この時は何故か目が覚めてしまったのだ。何だか虫の報せのような、予感のような何かを感じて。
「カズマは……眠っていますね。お疲れ様、ありがとう」
髪で顔をくすぐらないよう片手で抑えながら、眠るカズマの唇に、そっと自身の唇を添える。口を開けばぐうたらで、手を動かせばパンツを奪うカズマも眠っているとあどけない少年のように可愛らしい。眠るカズマを見つめる瞳は起きている彼には見せたことのない優しさに滲んでいた。
「私としたことが今日はカズマに先手を取られっぱなしでしたね。普段は優柔不断なくせにこういう時ばかり思い切りが良いんですから」
両親への挨拶と婚約の許可を考えると自然と気持ちが高ぶってしまい、深夜にも関わらず益々目が冴えてしまう。爆裂の次くらいに真剣に将来の事を考えようとして、どうにもふわふわしてしまう。
「いつか、私とあなたは家族になる。あなたと私の間に、私達によく似た子供の眠る時が来る。日々を真剣に踏みしめながら、いつしか共に年を取る。そのいつかはきっと、そんなに遠い未来ではないはずです」
信じられないという風に頭を振り、カズマの横顔を指でなぞる。自然と零れた微かな笑みは誰に向けたものなのだろうか。
「さて、すっかりこんと目が冴えてしまいました。そう言えばカズマに貰った記録水晶がありましたね。ふっ、最強の魔導士たる我は、如何なる時も決め台詞の研鑽を怠らないのだ。……こんな時間でも、ではなく如何なる時もは良い感じです。メモしておきましょう」
そうして魔道具を起動しためぐみんは気付いた。映し出される映像と音声が自身とゆんゆんの名乗り勝負ではない。場所はウィズ魔法店、後ろ姿のバニルと向き合う辛そうな表情のカズマ、そして——
「これ、は?」
カズマは知らなかったが一度記録したら永久に消せない水晶の欠点は上書きは可能ながらランダムな時間経過で最初に記録したものに戻ってしまうこと。隠密諜報用にするにしても、元の記録が戻るのが10年後とかでは意味もない。そして、永久に消せない保存媒体として役に立つかと言えば水晶が壊れるくらいの衝撃で簡単に破壊できるので結局大して使えないことだ。つまり、名乗りの見直しをしようとしためぐみんが見たのはバニルに脅しを受けたカズマが語っためぐみんへの想いだった。
「……っ!!」
ありったけの気概を込めた真剣だった。
めぐみんは水晶に記録された世界の来歴に目も耳も逸らせなかった。
『今はもう、恥も外聞もなく大好きで大切だって叫べるくらい 仲間以上で、掛け替えのない恋人候補なんだよ! 俺がこの世界に戻って来たのは何不自由なく遊んで暮らせる財産よりも、まだ顔も知らない理想の奥さんよりも、めぐみんに会いたかったからなんだ!』
「ああ……何という事でしょうか」
記録はそこまでだったのか名乗りを上げるめぐみん自身と、ゆんゆんのそれになるが、それらはまるで思慮の外。
「カズマはやはり思った通りの人でした。目の前の女は情熱的に口説くくせに別の場所では言葉を変える男ではありませんでした。人の本音は相手が傍に居ない時に、他人に対して語る言葉に現れるのです……」
めぐみんは焼き付くようなカズマの真剣に指先が冷たく震えるのを感じ、抗いようもない嬉しさに縋ってしまうことを恥じながら自由にできる心の部分で自身の弱さを握り締めた。
「馬鹿ですねカズマ。私はあなたを想っていましたが、あなたがこんなにも私を想ってくれていたことを私は知らなかったんですよ。両親への挨拶だって意表を突かれてしまったほどに鈍感なんですよ。ただ、あなたからの言葉が無いことに不安ばかりで、あなたの気持ちが見えていなかった愚か者なのですよ」
記録されたものは自身とゆんゆんの名乗り勝負へと変わっいたが、今のめぐみんはそれには少しも意識を向けていなかった。
「私は、自分の体に自信がありません。発育の良い者ばかりが揃う紅魔族だと言うのに遺伝か栄養か私の体は年齢不相応に幼く、女らしさの欠片もないのです。それが悔しくて、誰にも負けてなるかと頑張って来たんです。現在進行形で意地を張っていると言ってもいい」
自身の胸に手を添えてもパジャマの布の向こうはストンと寂しい。紅魔族隋一の発育と名乗るあるえは勿論、ふにふらにもどどんこにも、ねりまきにも、最も認めたくはないけれどゆんゆんにも、まるで及ばないと知っている。無茶な屁理屈と喧嘩っ早さで辛うじて自分を誤魔化しているに過ぎないと分かっている。身体に無駄な肉は殆どなく、まるでお人形か何かのようだ。だから、色恋沙汰なんて考えもせずひたすら爆裂道に邁進してきたのだ。
カズマに対しても最初は純粋に危険なセクハラ野郎として警戒していたのだが生活や散歩や冒険を重ねるうちに信頼を育み、シルビアとの戦いの前後、そして覚悟を決めて差し出した冒険者カードに最高の形で答えてくれたあの瞬間から無視のできない異性になった。それはひとつの福音だったが同時に己のコンプレックスとも向き合わねばならなかった。
「カズマをからかうのもそうです。あるのかないのか分からない私の胸だの、布切れに過ぎないパンツだので、いちいち大騒ぎしてくれるあなたが可愛らしくて、ついつい悪ノリしているのですよ。この体に、そんな価値なんて無いことは私が一番よく知っています。ダクネスくらいに豊満なら男性に対してご褒美と言えるのかもしれませんが今までの事も、あなたを弄んでいるのではなく、怖かったのです。いざとなったその時に、がっかりされたら、どうしようって」
カズマはまだ眠っている。それでいい、そうでなければその顔を見られないとめぐみんは思った。言葉も紡げないだろうとの確信に、硬い唾液を飲み込んだ。幾度かは勇気の無い自分を、逃げられなくしてくれたらいいと不安に煽られながらも願ったことはある。けれどもカズマはそうしなかった、嬉しさも不安もその度に同じだけ増えていった。カズマにロリと言われる度に怒りを見せてきたのも、旧友に恋の話で勝ち誇って来たのもコンプレックスの裏返し。そんな弱い自分を、精一杯の背伸びを勝ち気と度胸で隠していただけの自分をカズマがとっくに追い抜いてしまっていただなんて。
「私はもう信じてしまいますよ。あなたとの未来を求めてしまいますよ。だけどカズマ……その時あなたは……」
めぐみんはカズマの耳元に口を寄せ、そして、月明かりすら揺らさないだろう微かな声で囁いた。
『あなたは私を、綺麗だよって、言ってくれますか?』
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